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慶大→博報堂のエリートコースから外れて。プロレスラー・三富政行の選択

慶大、博報堂出身という、異色の経歴を持つプロレスラー・三富政行。「安定」「エリート」の道を手放し、あえて「普通」ではない道へ進んでいった彼をインタビュー。自分らしい生き方を選択し、今どう感じ、どう生きているのか迫りました。

慶大→博報堂のエリートコースから外れて。プロレスラー・三富政行の選択

慶應大学卒業後、博報堂へ就職。しかし、1年も経たないうちに、多くが羨むようなエリート街道を外れ、プロレスラーになった男、三富政行。彼はなぜ、その選択をし、プロレスラーという生き方を実現したのでしょうか。枠の外へ飛び出す勇気、好きなことで食っていく覚悟を併せ持つ男の軌跡に迫りました。

■いじめに遭って「群れずに生きよう」と決めた

――プロレスに興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか。

小6のとき、深夜のテレビで、プロレスリング・ノアの試合を放送していたんです。今でも覚えているのは、2003年3月の三沢光晴(故)VS小橋建太戦。「この人たち超人だな……」と、純粋に憧れました。

それと同時期に、10歳上の兄が買ってくれたプロレスのゲームをやり始めて、プロレスの面白さに魅せられていました。小2から空手を習っていたこともあり、格闘技に興味を持ちやすい土壌ができていたのかもしれません。

――数ある習い事の中から、空手を選んだ理由は。

はじめは、仲良しの同級生たちが地元の空手道場に通っているのを見て、軽い気持ちで習い始めました。皆、中学入学のタイミングでやめて、僕だけが高3まで続けるなんて、当時は予想もしていませんでしたが(笑)。子ども心に「自分に空手は向いている」と感じたんです。

――どういう点で向いている、と?

空手には組み手と型(形)があります。どちらかというと、僕は型のほうが得意で、高校時代、東京都大会ベスト8に入るなど、それなりに実績も出せていました。、身体表現の要素が強い型は、プロレスに通じるところがあるかもしれません。空手にのめり込むようになってからは、学校の水泳部との両立に悩み、空手を選びました。

――水泳は4歳から続けていたそうですが、やめることに未練はなかったんですね。

中3の一時期、いじめに遭いました。そのときに、「自分は群れずに生きよう」と、独立心が芽生えたんですよね。だからこそ、部活という狭い世界にとどまるのではなく、外の世界にひとりで飛び出して、そこで結果を出してやろう、と決意しました。

学校外の活動ですから、どんな実績を出そうと校内で表彰されることはないですが、もっとすごい実績を残して、たとえ校外の活動でも皆が注目せざるを得ないレベルになってやる、と闘志を燃やしていました。

■学プロ界のカリスマ・潮吹豪が生まれるまで

――大学は一浪して、慶應に進学します。当時、高校卒業後にプロレスラーになる、という選択肢はなかったんですか?

まずは、普通に大学に入ること、が頭にありました。というのも、「普通に生きないといけない」「型にハマった生き方をしないといけない」という思いが人一倍強かったので。

小学生時代は進学塾に、中高は進学校に通っていたこともありますし、兄が大手金融機関に勤めていたり、従兄弟が国家公務員だったりと、周りの人たちが優秀で、堅くて順当な道を歩んでいるのを見て育ったので、自分もそうあらねればならない、と強く意識していました。

ただ、大学に入ったら学生プロレス(学プロ)に入って活動しよう、とは決めていましたね。プロレスは小6からずっと観続けてきましたが、実際にやったことはなかった。だから、高校卒業したらプロレスラーになるんだ、という気持ちにはならなかったんです。まずは、学プロでプロレスをやりたい。それくらいの気持ちでしたね。

――学プロ時代のリングネームは「潮吹豪」に(笑)。どうしてこの名前に?

当時4年生だった先輩から好きなレスラーは誰かと訊かれ、棚橋弘至選手と答えたら、「じゃあ君は潮吹豪ね」と(笑)。

――「じゃあ」が意味不明ですけど(笑)。当時、私はプロレスをまったく観ていなかったんですが、潮吹豪選手は学プロ界では名を馳せていたそうで。

今の僕とはまったくの別人格です。プロレスラーになってから同業者に、「三富政行って誰?」と言われることは多かったです。でも、「昔、“潮吹豪”のリングネームでやっていた」と言うと、「あの、潮吹豪と同一人物なの!?」と話が伝わる。潮吹豪という存在は、プロレスラーの中でも、そこそこ知られていたんです。

――それはやはり実績を残したからでしょうか。

とにかくプロレスが好きで好きでたまらなくて、「学プロを世の中に広めたい」思いが人一倍強かったからだと思います。僕が1年生だった2010年は、学生プロレスサミットが15年ぶりに後楽園ホールで開催された、記念すべき年でした。そこでメインイベントを務めた4年生の試合を観て、クオリティの高さに感動したんです。

「学生のおふざけでしょ」とナメられがちな学プロを、こんなにすごい試合をするんだぞと伝えたかった。質の高い試合と肉体、そして、人を驚かせるアイデアの3つが揃えば、学プロはもっと世間から注目されると信じ、まず自分にできることとして、本気で体作りをするようになりました。

■メンタルが弱いから、何でもプラス思考で捉える

――学プロで中心となって活動した実績が評価され、見事、博報堂の内定を勝ち取ります。でも、大学卒業時期、実は暗黒期だったと……。ウィキペディアにも悲しい情報がまとめられていました。

人生でどん底ともいえる時期でした。交通事故に遭ってしまい、最後の学生プロレスサミットには出場できず、声をかけてもらっていたプロデビュー戦も延期となり、博報堂の入社式も足を引きずって参加して……。新しい環境がスタートするタイミングで、混沌とした世界に迷い込んだ感覚でした。

――正直、初めての大きな挫折じゃないですか? よく心が折れませんでしたね。

なんとかして、へこまずにいました。僕はどんなに大変なことが起きても、プラスに転換する能力があるんです(笑)。中学時代にいじめに遭った経験と関係しているかもしれませんが、嫌なことを「つらい」と感じないよう、「この経験は必ず今後に生きる」と捉えるようにしています。

――メンタルが強い、ということですか?

いや、メンタルは弱いんですよ。弱いから、むしろ意識して、プラスに解釈するんだと思います。真に受けていると、自分が壊れてしまうので。

――「博報堂時代、仕事が忙しくてプロレスができないとき、心の息ができなくなった」と、昔のインタビューで語っていましたね。あのときは、壊れそうだったんじゃないでしょうか。

当時、「自分は普通に生きれない人間だな」と、気持ちが落ちていました。皆が社会人として、あたりまえにやっていることが、僕にはできなかったんです。会社員としてやるべきタスクを一つひとつクリアして、ルーティーンを回していく、というのが僕には難しかった。

あれほど「普通に生きなければ」と、普通であることに縛られていたのに、どこかで普通というものになじめない自分もいました。それは中学・高校時代からぼんやり感じていたことでもありました。

潮吹豪として活動していたときは、生きている実感がありました。でも、会社員・三富政行としてのアイデンティティはなかった。会社員人生を終える頃は、潮吹豪の残り滓を燃やしつつ、なんとか生きながらえていた時期だったと思います。

■プロレスが大好きだから、プロレス業界をもっと上げたい

――プロレスという本当にやりたいことを仕事にして4年。今は三富政行というプロレスラーとして、認知されてきたわけですが。

4年経ってようやく潮吹豪から脱皮し、三富政行というプロレスラーになれた、と感じています。僕は人生を三度生きている、と思っているんです。一度目は18歳まで、二度目は潮吹豪、そして今が三度目の人生です。

――人生の区切りには、「生き直す」という感覚があるんでしょうか。

そうですね。その過程では苦悩や葛藤も多いです。前の人生における自分と、これから歩む人生における自分が相反したり、理想と現実のピースが一致しないこともあります。でも、今が一番楽しいです。プロレスを嫌いになりそうな時期もありましたが、今はプロレスが大好きだと自信を持って言えるようになりましたから。

――今後、どうなっていきたいですか。

多くのプロレスラーが問題意識として持っていることかもしれませんが、プロレスという業界をもっと上げていきたいです。プロレスが大好きだから、より良くしていきたい。

以前、「東洋経済オンライン」で、僕自身のルポルタージュが掲載されたことがありました。博報堂や大学時代の友人、プライベートの友人から、驚くほど大きな反響がありました。一方、プロレス業界の方からこの記事について触れられたことはないに等しくて。

――千葉商科大学 専任講師、常見陽平さんが書いた「博報堂を辞め、プロレスに挑む男が見た現実 『好きなことで、生きていく』のは甘くない」ですね。2000超シェアされていたので、誰かひとりくらいは反応してくれてもいいのに(笑)。

唯一、「記事読んだよ!」と控室で僕に声をかけてくれて、褒めてくれた人が、大仁田厚さんでした(笑)。そのときの経験で、一般社会とプロレス業界の差異というか、温度感の違いを感じました。その差をこれから埋めてみたい。一般社会で活躍している彼らにも振り向いてもらえるように、もっとがんばらないといけないなと、今強く思ってます。

個人的な目標としては10年後、プロレスラー・三富政行として、今さまざまな一流企業で活躍している優秀な同級生たちと、対等な関係で仕事をしたい。そうすればプロレスというジャンルが、音楽やプロ野球のように社会的にもっと振り向かれるポジションまで上がっていくと思うんです。

そのためには僕自身がリングの中で生き残らないといけません。プロレスラーとして活躍し、実績を残して初めて、自分のキャリアや築いてきた人脈が生きると思っています。僕が長年お世話になっているDDTの高木三四郎社長も、大学時代から作ってきた人脈が、今になって生きている、とおっしゃっていました。

DDT立ち上げ期は大変なこともあったようですが、今年で旗揚げ20周年を迎え、今ではいろいろな人や企業を巻き込み、新たなコンテンツを生み出し続けているという形は、とても参考になります。そういった素晴らしいコンテンツを、一流企業が振り向いて興味を持ってくれるものにまでブラッシュアップしたい、という思いがあります。

――最後に、ご自身のプロレススタイルを一言で言うとしたら。

「基礎に忠実」です。これは、浪人時代の経験が関係していて、現役時代とは勉強のスタイルをがらっと変えたんです。問題集を5冊以上同時にやっていたのを、教科書1冊だけ100回くらい、完璧にマスターするまでやり続けたんです。そうしたら成績がどーんと上がって、志望校すべてに合格した経験があるんです。

当時、自分の血となり肉となるまで、基本を繰り返し体に染み付かせることの重要性を学びました。反復練習をし続けると、体がすっと反応できるようになる。これはプロレスにも、どんなスポーツにもいえる、と受験勉強の経験を通じて実感しました。

僕は背も高くないし、運動神経も普通ですし、派手なことはできません。特筆すべき才能がないから、とにかく基礎を極めようと意識してやってきました。だからこそ、初めてプロレスを観てくださる方にも、わかりやすいプロレスを届けられたらと思い、日々リングに上がっています。

今狙っているのは、WRESTLE-1の新王座「WRESTLE-1 リザルトチャンピオンシップ」。5月20日には、初代王者・土肥孝司選手とベルトを巡って戦いますので、観にきていただけると嬉しいです。

――ありがとうございました。

三富 政行(みとみ まさゆき)さんプロフィール

WRESTLE-1を主戦場として、魔界やガンバレ☆プロレス、歌舞伎町プロレスなどに参戦するプロレスラー。慶應大学在学中は「潮吹豪」として学生プロレスで活躍。卒業後は博報堂に就職するも1年以内に退職し、プロレスラーに転向するという異色のキャリアを持つ。NESTA-PFT、全米エクササイズ&スポーツトレーナー協会認定 パーソナルトレーナーなど、パーソナルトレーナーの資格も所有。Twitter( @Tooomuch_3103 )
https://ameblo.jp/masakichi3103/
http://mitomi-masayuki.com/

Text/池田園子
Photo/小林航平

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丸藤正道選手といえば、プロレスリング・ノアに所属するプロレスラーで、自身の会社、キュリオシフトで代表を勤める経営者でもあります。そんな丸藤選手にプロデュースするカレーのこと、プロレスのこと、いろいろ伺いました。

DRESS編集部

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