開放型結婚(オープン・マリッジ)とは、二人の間の平等な自由と主体性を基礎にした、まじめで開放的な人間関係を意味している。めいめいが、結婚生活の中で個人として成長できる権利をもちながら、言語の上でも、知性や情緒の上でも結びつきあう関係を意味している。また、開放型結婚は男女の間で相手を操作できる対象とするような関係ではない。どちらも自分の無能や欲求不満を相手のせいにしてしまうような関係ではない。
パートナー以外ともセックスOK?「オープン・マリッジ」という結婚の形
世間を賑わす浮気や不倫。ダメだと分かりつつ手を出してしまう人が後を絶たないことを見ると、現代の結婚観にこそ問題があるのかもしれない。今回は複数人と同時交際を行う「ポリアモリー」とともに、“婚外”で性関係を持ってもいいとして、注目を集める「オープン・マリッジ」という結婚の形について掘り下げていく。
結婚とは、主人と主婦と、それに二人の奴隷を合わせて二で割ったような共同体である
これは、アメリカの作家、アンブローズ・ビアスが1900年代初頭に放った結婚についての言葉だ。「結婚は人生の墓場」なんて言葉があるように、100年以上経った今でも結婚に対する見方はあまり変わっていない。
■息のつまる結婚生活に、逃げ道を求める浮気や不倫
そんな息のつまるような結婚から逃れるかのように、人々は浮気や不倫に走る。ネットや週刊誌などのメディアでも、芸能人の浮気や不倫が頻繁に報道されているし、最近ではテレビドラマやマンガ、映画の人気作もこういったものをテーマにしていたりする。
今日の日本では配偶者以外の異性との不貞行為は、法廷離婚原因として法律で認められている(民法第770条)ことから、配偶者のある人が他の異性と関係を持つことはタブーというのが一般的な認識だろう。しかしそれでもなお、浮気や不倫が消えることはない。
人間はひとりの相手と永遠にパートナーシップを組むことは不可能なのだろうか?
■「オープン・マリッジ」は互いの自立、自由、成長を願う結婚の形
そんなことを考えているときに「オープン・マリッジ」という結婚の形を知った。
これは昭和50年にアメリカの人類学者であるニーナ・オニールとジョージ・オニールのオニール夫妻が発売した『オープン・マリッジ―新しい結婚生活』という本が、始まりと言われている。今から40年以上も前のことだ。
本書によるとオープン・マリッジは以下のように説明されている。
妻は家事をしなくてはいけない、子供の面倒を見なくてはいけない、夫は一家の大黒柱としてお金を稼がなくてはいけない……。そんな風に夫婦の間には「こうしなくてはならない」という暗黙の圧力が多くのしかかっている。
そんな結婚の実態に疑問を呈しているのが「オープン・マリッジ」という結婚の考え方だ。
夫婦がお互いのことを所有物として考えて束縛するのではなく、お互いがお互いの自由を尊重し、平等でありながら、お互いが刺激し合うことで成長することを目的としているのである。
■結婚してもセックスは配偶者のモノにはならない
「オープン・マリッジ」という考え方の中でも特に興味深く、ほかのネット記事でもセンセーショナルに書かれているのが、性生活についてだ。
まず、セックスは誰のものかという話。今の日本でも「結婚したら妻はセックスで旦那に尽くすのが当たり前」という考えがあるように、男性に支配されている節がある。それに苦言を呈しているのが以下の一節だ。
セックスは個人の表現であり、個々の人が所有するものである。(―中略―)セックスでの行為や機能はその人自身に属するものであって、相手や配偶者の所有になるようなものではない。(―中略―)相手に与えるのは、その人が独自にそうするのであって、相手から命ぜられたり、所有されてするのではない。
セックスは自分自身の一部で、自我の表現であり、それは誰かに命じられてするものであってはならない。
つまり、夫婦関係にあったとしても、セックスでお互いを支配するべきではないし、セックスが配偶者の所有物になるなんてことはおかしいということだ。
■夫婦の間に成熟した愛と信頼があれば、結婚外の性行為もアリ?
そして注目すべきは、旧来型の貞操観念と異なり、夫婦以外の異性とも愛情を分かち合って良いという考え方だ。
貞操の本来の意味は、何らかの義務に対して忠節を誓うことであり、誠意を尽くすことである。(―中略―)開放的型の結婚生活では、夫婦関係のほかに、余分の関係が付け加わってくる可能性がある。また、開放的な愛は、夫婦以外の他人も含めて広がることもある。(―中略―)開放型の結婚では、配偶者の他に別の異性とだって愛情を分かち合い、楽しむことができる。そのような関係が逆に夫婦関係を豊かなものにするのである。
このように、「オープン・マリッジ」という関係性では、夫婦という枠にとらわれ閉鎖的な関係性になってしまうことの方が問題であり、他の異性と愛を分かち合うことは、逆に夫婦関係をも豊かにすると捉えている点が新しい。そしてそれにはセックスが含まれることも記述されている。
もちろん、このような結婚外の関係の中にはセックスが含まれてもいいわけだが、それは当事者である人に完全に任されている。もしその人が結婚外に性的な関係をもてば、それはその人の心の内部の条件に従っているということが言えるのである。つまり、その場合、夫婦は成熟した愛を経験し、現実的な信頼を身に着けているから、他人を愛し、楽しませることができるし、その愛や喜びを自分たちの結婚生活に、嫉妬なしに持ち帰ることができるのである。
「オープン・マリッジ」がセンセーショナルに取り上げられたのは、結婚外に性的な関係を持ってもいいと捉えている点だろう。とはいえ「当事者である人に完全に任されている」「夫婦は成熟した愛を経験し、現実的な信頼を身に着けているから、他人を愛することができる」という前提と但し書きがある。
つまり夫婦間が冷めきっている中で、結婚外の性交渉を持つことや、配偶者を欺くような結婚外のセックスは、この「オープン・マリッジ」の考え方には反する行為になるだろう。
■閉鎖型の結婚観に縛られず、夫婦がそれぞれの能力を発揮する
他メディアの記事では「オープン・マリッジ」という言葉自体が「配偶者がありながらも配偶者以外と性関係を持つことを夫婦で了承している関係性」という奔放な男女の関係性的な意味で執筆されているものがほとんどだが、本書では性生活について記述された文章は全体の15分の1にすぎない。また本書の中で
ここでは、結婚外のセックスをすすめているのでも、それを抑制すべきだと言っているのでもない。その選択は、完全に自分自身の問題として任されていると言っているのだ。
と、記述されているように、婚外セックスを勧めるために執筆された本でもないことは明らかだ。「オープン・マリッジ」という言葉を、浮気や不倫を推奨する結婚のスタイルとして捉えるのは安直な考えだろう。
それよりも大切なことは、従来の抑圧された結婚観に縛られることなく、夫婦がそれぞれの持っている能力を最大限に発揮し、それぞれが自立性のある個人として人間的に成長できるような自由で柔軟な関係を築くことである。
そのためにも私たちは私たち自身で、閉鎖型の結婚観がもたらした洗脳や呪いから解放される必要があるだろう。配偶者を所有・独占するような考え方、型にはまった役割、配偶者への絶対的な忠誠など古い結婚観は、捨てていくべきだ。
■シナジー効果で人間として成長をしていく夫婦関係を
開放型の結婚は、要するに、夫婦が一心同体であることや自分一人が自由であることから、超越した状態になることである。それは協力形態の極致であり、拡大するフィードバックと成長によって創造する一つのダイナミックなシステム―共働的(シナジー)夫婦―となることなのである。
結婚してふたりの人間が共存するということは、ひとりの人間がふたりになるということではない。
「オープン・マリッジ」は、お互いの自由を尊重しながら、相互に刺激し合い、シナジー効果を発揮して人間的に成長していくことにその真意がある。
ひとりの人と一生パートナーシップを結ぶのは本当に難しい。だからこそ人々は結婚という契約をすることで安心し、束縛することで相手をつなぎとめようとする。けれどそれは相手への不安があるからであり、独占や束縛は相手を思いやっての行為ではない。
ひとりの自立した人間としてお互いを認め合い、対話を繰り返すことで信頼関係を築き、お互いが刺激し合い努力をする。そんな「オープン・マリッジ」という考え方は、希望あふれる結婚の形であるように思う。
【出典元】
ニーナ・オニール、ジョージ・オニール著、坂根厳夫・徳田喜三郎訳(昭和50年)『オープン・マリッジ―新しい結婚生活』 株式会社河出書房新社.
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