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大人の女はコミュニティを抜けるも作るも自由

「女とコミュニティ」について考えてみた。思い返せば、私たちは幼い頃から常にコミュニティに属して生きてきた。そうしなければ、安全に生活することができなかったから。しかし、今そのコミュニティに依存しすぎていないだろうか。とらわれすぎていないだろうか。コミュニティに属するのも抜けるのも、本当はもっと自由だ。

大人の女はコミュニティを抜けるも作るも自由

小さい頃からグループでの行動が苦手だった(最たるものが集団でトイレに行くことだ)。

大人になって、フリーランスという職業柄、「ひとりでいる」を選択することが許されるようになった。さらには「おひとり様」という言葉が流行り出したときは心底、ホッとした。

ひとりでいることに、うしろめたさを感じなくていいのだと。もちろん、ひとりでいることを楽しめるのは時としてお酒を飲みかわす友人、旅行へ出かけたりする友人がいるからこそだ。

ひとりを楽しむ時間、友人と過ごす時間、両方必要だし、大人になるにつれてその楽しみ方を知り始める……と思っていたのだが、いくつになっても、「誰かと一緒」でないと気が済まない人は多くいるらしい。

■SNSで見かける「大好きな友人」表記にモヤ

「今日は大好きな友人とごはんに行ってきました」
「親友と○○へ!」

こんなSNSのツイートを見るのが好きではない。どうしてわざわざ「大好き」とか「親友」、なんて言葉を使うんだろうなあ、と見ながら背中がぞわりとする。いい大人がみっともない、とさえ思う。

双子コーデ、などというのが流行っていたが、それもなんだか苦手だった。そう友人に告げると「ああでもしないと友情を確かめられないんだよ」と言った。

SNSでわざわざ「大好き」などとラベルをつける行為もそれと同じなのかもしれない。

私はあなたのことが大好きだよ、じゃああなたは?
……やっぱり?
そうだよね、あなたも私のことが好きだよね?

という確認作業を公にやっているのかもしれない。でも、その好きが裏切られたときに、彼女たちは決まって大騒ぎする。

「好きって言ったの、嘘だったんだ」

■仲良しだけのコミュニティなんて存在しない

1対1の付き合いでさえなかなか難しいのに、仲良しばかりが集まったコミュニティなんて、本来は存在しないのではないかと思う。

ひとりがちょっと少しでも違う行動をとればブーイングし、個を殺し合う。互いに我慢で心をすり減らし、それでもそのコミュニティにい続けるのは、そこから抜けたら自分の居場所がなくなるから、存在価値がなくなったような気がしてしまうから。

そう、気がしてしまうだけなのだ。

コミュニティを抜けたからといって、自分が消えてなくなるわけではない。コミュニティの中での存在がなくなったことで、そんなに大きな傷を受けるのだろうか。

■コミュニティを抜ける自由

たまに、「ランチタイムに誰と食べるかが問題だ」「仲の良いグループのあの子とあの子が喧嘩して板挟みになって困っている」という職場の話を聞くことがある。

話を聞けば聞くほど、世の中の大人の女性の間ではかわいらしい事件が起こっているんだなあ、と感心する。

一方で、それが当人たちにとっては大事件で心痛む出来事なのだということも、学生時代からの経験で分かる。

1日の大半を職場で過ごすわけだし、精神衛生上、人間関係が円滑なほうがいい。だからといって、一度できあがったコミュニティにとらわれすぎているのではないか、と思えなくもない。

■女のコミュニティは日々作られ、日々壊れていく

コミュニティに属することで得ることも多いだろう。心許せる友人に出会えるかもしれないし、今まで知り得なかった世界を知ることだってできる。

しかし、そこに依存しすぎるのはどうだろうか。恐ろしいのは、依存していると知らず、周りを苦しめている可能性があることだ。

友人にしたってそうだ。友人は自分のすべてではないし、自分もまた友人のすべてではない。

輪の中にいる自分、そして、輪の中にいる自分を見つめる、ひとりでいる自分。両方の自分を保つことで、世界は少しずつ広がるはずだ。

ふくだ りょうこ

シナリオライター。1982生まれ、大阪府出身。大学卒業後、2006年よりライターとして活動を始める。現在は胃が虚弱な痩せ型男性と暮らしながらラブストーリーについて考える日々。焼き鳥とハイボールと小説、好きなアイドルのライブに...

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