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妊婦さんへ伝えたい。「周りから気遣われるのが苦手」だと感じたら

妊娠後、体型が明らかに「妊婦」になってから、見知らぬ人からも気遣われる機会が増えた大泉りかさん。甘えてもいいんだと思う一方で、でもできるだけ普通に扱ってほしい。そんなモヤモヤを解消するには「自分ではなく、お腹の子が気遣ってもらっている」と考えること。周囲の優しさに戸惑うこともある妊婦さんは参考にしてみよう。

妊婦さんへ伝えたい。「周りから気遣われるのが苦手」だと感じたら

臨月に入ってお腹もますます大きくなり、今のわたしは、どこからどう見ても正真正銘の妊婦の姿をしている。ゆえに自然と、歩いていても立ち止まっていても、周囲の人々からは「妊婦さん」として扱っていただくことが増えたのだが――。

■人に極力甘えまいとしていた時代

妊娠するより以前、わたしは自分のことを弱者だと感じたことがなかった……とまでいうとさすがに少し言い過ぎかもしれない。むしろ、弱者として扱われないように、心がけてきたというのが正しいだろうか。もちろん、男性と比べれば、身体的な強さや体力は完全に劣っているし、立場においても、日本の男社会の中では、女という存在は、それだけで弱者だとも思う。

しかし、女性が無理せずに働ける社会が理想だとは思いながらも、長らくわたしは、女性としてマイペースで働く方法を模索するのではなく、男性と肩を並べることを望んできた。それは決して「無理をして」というわけではなく、そのスタイルがしっくりきていたからだ。

常駐スタッフとして、20代のほとんどを過ごした某出版社の編集部では、男性向けのグラビア誌を作っていた。当然、編集部員は9割以上が男性で、皆、数少ない女性スタッフを気遣ってくれてはいたものの、だからといって、そこに甘んじたくなかったのは、「女性社員」として登用されたわけではなく「フリーランス」といういわば傭兵的な立場であったことも関係していたと思う。

重いものを運ぶのも、パソコンの配線も、頼ることなく自分でするようにしていたし、月に2回の校了日は朝までの徹夜になったけれど、たとえ生理前や生理中などで、どんなに体調が悪くても、休むという選択肢はなかった。責任を持ってきちんと仕事を遂げることに、喜びとプライドを持っていたし、代わりのない自分でいたかった。

その後、常駐を辞めて、まったくのフリーランスになると、スケジュール管理からお金の算段まで、いよいよすべてが自分の肩に乗ってくるようになり、人に極力甘えないように心がけることが、ますます自分の中で当然のことになっていったが、その働き方も自分の性に合っていたように思う。

■妊娠後「気を遣わせてすみません」と複雑な気持ちに


そんな環境が、妊娠を境にして、ずいぶんと変わった。こちらが甘えようとしていなくても、皆、やたらと甘やかしてくれるのだ。歩いていても「大丈夫?」と気遣ってくれるし、煙草を吸うときには、席を立ってわざわざ外まで行ってくれる。

「ありがとう」とお礼をいうと「当然のこと」だと返ってくるけれども、そもそもヒールで慣れている身としては、ペタンコ靴ならば歩くことになんの苦もないし、否応なしに煙にさらされる状況ならともかく、「煙草を吸える場所にはこない」という選択肢があるのに、わざわざ酒場に出向いているのはわたしのチョイスだ。ありがたいと思いつつも、「気を遣わせてすみません」と、少々複雑な心境でもあった。

そもそも、運が良かったといえばいいのか、わたしには、妊娠初期からつわりがまったくなかった。だから、どんな食べ物の匂いを嗅いでも平気だったし、体調と気分に至っては、毎晩の深酒がなくなったおかげで、むしろ妊娠してからのほうがいい。万年二日酔いが解消し、今までの1.5倍近くの量の食事をとっている上に、仕事も、身体と精神に無理のかからない量を、余裕を持ってこなしているため、正直なところ、人生の中で最も快適な状態といっても過言ではない。

だからあまり気を遣われるとむしろ気まずくて「妊婦といっても元気なんで、そんなに気を遣わなくていいですから」と言ってしまう。が、友人や知り合いならば、そうやって口で伝えられるからいいが、もっと悩ましいのは、対社会。見知らぬ人々との距離感だ。

■人々がくれる優しさに甘えてもいいんじゃないか、と思えるようになった

わたしの住んでいる場所は、都心の近くだから、いつ乗っても電車はそこそこに混んでいる。さすがに満足に呼吸もできない朝の通勤ラッシュに乗る勇気はないが、夕方や夜などの、人と肩先がぶつかり合うくらいの混雑した車両ならば、手や鞄などでお腹をカバーしつつ、乗ることにしている。

「妊婦が混雑した電車に乗るなんて……」という世論があることも知っているけれど、電車は公共交通機関だ。もちろん鞄にはマタニティマークをつけている。もしも事故に遭ったときに妊娠中だとわかったほうがいいし、何も知らない人に、お腹をぐいぐいと押されるのは、さすがに避けたい。

電車に乗るときのわたしの、だいたいの状況としては「席を譲ってくれるとありがたいけれど、いつもどうしても座りたいわけではない」である。なんせこちらは、人生の中で最も体調がよく、しかも、外出といっても、友人とお茶をしたり、マッサージに行ったりと、基本は自分を甘やかしている状態だ。通勤と仕事とそのストレス(による毎晩の痛飲)とで、かつてのわたしのように体力も気力も削られている人に席を譲っていただくほどのことではない。妊娠していなくとも、男性に混じって仕事をする中で、疲労困憊している女性もいるし、PMSなどの女性特有の悩みを抱えている人だっている。男性だってみんな、長距離通勤と仕事のプレッシャーで心も身体もへとへとになっている。

だから立っていることが苦じゃないときは普通の席の前に立ち、「もしも譲ってくれるというのならば、ありがたく座らせていただきます」という気分のときは、優先席の前に行くことにしている。

実際は優先席の前で立っていたところで、席を譲っていただけることなんて、5回に1回もないのが実情だ。けれど、どうしてもしんどくて座りたければ、「譲っていただけませんか?」と声をかければいいのだし、普通席に座っている人の前に立って、無駄なプレッシャーを与えるよりはマシだと思っている……のだが、一方で、こういう自分の態度に疑問も抱いている。というのも、「気を遣われたくない」なんてことを言わずに、人々がくれる優しさに甘えるのが、世の中の妊婦および、ひいては多くの女性のためになるのではないかとも思うからだ。

■「気遣いはわたしじゃなく、お腹の子どもがされている」と考えるとラクになるかも

妊娠して身体の不調を感じる人は、周囲の話を聞いても非常に多い。むしろ、そちらが多数派だと思う。初期のころのつわりがひどすぎて、オレンジジュースしか飲めずにガリガリに痩せてしまった友人もいれば、途中、切迫早産の危険があって入院したために、体力が落ちて、歩くのでさえもとにかくしんどいという人もいた。だから、「妊婦さんには優しくする」のは決して間違いではない。むしろ、優しい社会であってほしいと思う。

そう考えると、自分がいくら元気だから、無理が利くから……むしろ無理をするのが好きだからといって、「平気なんで!」と弱者扱いされることを拒否することは、世の中に勘違いを生み出す原因にも、なるのではなかろうかと悩ましい。けれど、わたしの望みは「できるだけ普通」に扱ってほしいということなのだ。そうされることがしっくりとくる。

こんなふうに、「気遣ってほしい」のレベルは個人によるのだけれども、だからといって、する側に、いちいち「この人はどうなのかな」と判断させるというのも酷な話だと思うし、かといって、される側の誰もが、自分の望みを口にできるかというと、それも難しい。たとえば電車で座っている人に誰もが「席を譲ってください」と言えるかというと、おそらく、そういうわけでもない。

わたしの態度は「妊婦にどう接していいかわからないけれど、極力優しくしようと思っている」人々を混乱に陥れているかもしれない――というわけで、考えたあげく、少し発想を変えてみることにした。「わたし本人」が気遣われているのではなく、「お腹の子ども」が気遣われていると考えることにしたのだ。すると、少しは人の気遣いを、素直にありがたく受け入れることができるようになった。

このコラムを読んでいる女性の中で、もしもわたしと同じように「気遣われるのが苦手」だという妊婦さんがいたら、ぜひ、「気遣いはわたしじゃなくって、お腹の子どもがされていること」を考えてみるのはどうだろうか。生まれる前から優しさをたくさん受けることは、子どもにとってもきっと幸せなことだと思う。

というわけで、ただいま10ヶ月と少し。おそらく次の更新時には、お腹の子は外に出ていて、わたしはお母さんになっているはずだ。初めての出産に、今から楽しみな気持ちと不安がないまぜになっているが、次回、わたしなりの出産ルポをお届けできればいいな、と思っています。


大泉 りか

ライトノベルや官能を執筆するほか、セックスと女の生き方や、男性向けの「モテ」をレクチャーするコラムを多く手掛ける。新刊は『女子会で教わる人生を変える恋愛講座』(大和書房)。著書多数。趣味は映画、アルコール、海外旅行。愛犬と暮...

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