出産ストーリーは一人ひとり異なる。初産となる大泉りかさんの出産ストーリーを詳しくお届けする。難産ではなかったものの、壮絶な痛みや不安を乗り越えた出産ストーリーは、これから妊娠・出産する方にとって、参考になること、考えさせられることが多いはず。
39歳での妊娠が教えてくれた、仕事人生を立ち止まる勇気
18年間、出版業界でハードに働いてきたフリーライターの大泉りかさん。したいことをして、このまま仕事に駆け抜ける人生か、と思っていた39歳での妊娠発覚。妊娠できない可能性すら感じていた状況での出来事。この先、仕事をどう続けていこう? さまざまなリスクや現状について悩んだ結果、見えてきた光とは――。
「平日の待ち合わせは、いつも遅刻してくるよね」というセリフを、20代の頃、女の友人に言われたことがある。遅刻が人様に迷惑をかける良くない行為だということは、もちろん、重々に承知はしている。けれども、わたしが、時間通りに約束の場所に辿り着けることは滅多になかった。その理由は「仕事が忙しいから」だった。
大学を卒業して小さな出版社に就職した。希望していた紙媒体ではなく、ネット事業部にまわされた。それを不満に思いながらもその会社で働き続けていた半年後、某大手の版元から、編集部にデスクを置く「『常駐フリー』という形で働かないか」と誘いを受け、会社の規模や給料がアップすることを踏まえて、迷うことなく転職した。
30歳になる前までは、ずっとその「常駐フリー」の仕事を続けていた。それと並行して、別の雑誌に記事を書いたり、小説家としてデビューし、著作を出したりもした。自分では「フリーランスだからあたりまえ」と思っていたけれど、実際にはダブルワークどころかトリプルワークしている状況だ。けれど、「一日のほとんどを仕事に費やしている状況」が少しも苦ではなかったのは、自分がしたい仕事であったことと、将来に向けて、夢が着実に叶っていることが実感できていたからだ。
始業時間も終業時間も決まっていないフリーランスという職業は、「余暇」という概念を持ちにくい。ようやく原稿を書き終えて、あとはゆっくりしようと思っても、メールが届けばつい開いてしまうし、それほど急ぎの用でなくとも、気になって返事を書くことになる。私生活と仕事のメリハリをつけるために、自宅とは別に事務所を借りて、そこを仕事場にしている人もいる。わたしの場合、かなり長い期間、会社にデスクがあったし、完全にフリーランスになった後も、通勤の時間が省けることと、無駄な出費を抑えたいという理由から、ずっと自宅で仕事をしていた。だから、家にいても、まるでリラックスなんてできない。
来年には40歳を迎えるわたしは、大学を卒業して以来、そんな生活を18年間近く送ってきたことになる。そして、これからもずっと、仕事中心の生活を送っていく……仕事がある限りは、送っていきたいと思っていたし、そうするつもりで、心積もっていた。が、そんな将来の計画が急変したのは、今年のGW明けのことだった。
■諦めかけていたなか……39歳で念願の妊娠
生理が遅れていること、胸が張っていることに気づき、自宅のトイレで妊娠検査薬を使った。結果は陽性。予感はしていたものの、最初に感じたのは、「これからどうしよう」という気持ちだった。
結婚したのは4年前だ。互いに「子どももほしいね」という話はしていたし、それ以来、避妊もしていなかった。けれどできる兆しはなかった。ここ1、2年ほどは「いよいよ、年齢のことを考えて、本気を出そうか」という会話が、何回かはあったけれど、海外旅行を趣味とするわたしと夫が、「次の旅行が終わったら、病院に相談に行こう」と先伸ばししているうちに、39歳の誕生日を超えてしまった。だから、正直なところ、もう「できないかな」とも思っていた。しかし、突然の妊娠である。
医者に行くと7週目だと言われた。夫は喜んでいるし、わたしだって、やっぱり嬉しい。けれど、問題はこの先のこと。調べてみると、通常、9週から14週の間に起こると言われているつわりさえひどくなければ、お腹が目立たない間は、変わらずに働けるようだ。その間に妊娠後期および出産後の仕事の仕方を考えることにして、わたしは妊婦生活をスタートさせた。
自宅で自分のペースで仕事のできるフリーランスは、子育てと仕事の両立がしやすい……と思いきや、出産経験のある友人に訪ねると、皆「家で仕事なんて絶対に無理!」と口を揃えて言う。「ベビーベッドでおとなしく寝ていてくれる間ならまだしも、ハイハイしたり、タッチしたり動き始めたら、もう大変」だそうだ。その前の妊娠後期には、いつ生まれるかわからない正産期が5週間と、産んだ後の(新生児の世話と最低限の家事以外は安静にするべし、と育児雑誌に書いてある)産褥期が4~8週間がある。この間は、仕事は「ほぼ、できない」と考えたほうがいいようだ。となると、連載の原稿を、多めに見繕って3ヶ月分、前倒しに終わらせておけば、ひとまずはなんとか、仕事先に迷惑をかけずにやり過ごせる。今まで何度も、「もう、ダメ、間に合わない」と泣きそうになりながらも、歯を食いしばって、すべての締切を切り抜けてきたから、きっと大丈夫!
……と、自分を励ましても、やはり不安は不安。いっそ、すっぱり「産前産後は休みます!」と宣言して、タイミングを見計らって復帰するくらいの思い切りがあればいいのだけれど、「そんなことができるか」と問われれば、答えはノー。ちゃんと復帰できるかどうかが不安すぎて、それこそ鬱にでもなってしまいそうだ。18年間かけて、積み重ねてきたものをあっさりと手放す度胸はわたしにはない。
■「最後には、きっとなんとかなる」と気づいた
そんなこんなで、いまいち産前産後の見通しが定まらないまま、ただリミットばかりが近づいていき、安定期へと突入して、お腹も膨らんできてしまった。レギュラーを任せてくれている仕事先に早めに相談しなければ、これまた迷惑をかけることになる。なので結局、「こうします!」というビジョンが決めきれていない状況で、「相談」という形で、仕事先の担当者に報告すると、返ってきたのは「大丈夫ですよ、そのときの体調と状況をみながらやっていきましょう」という温かい言葉だった。
そうして気がついた。
「人のため、自分のために一歩先を想像して、自分が困らないようにしておく」というのが、仕事のやり方だと習った。だから、出産に関しても「先々のことを考えて、コントロールできるようにしておこう」と考えたけれど、そうではなく、そのときどきの状況に応じて、やっていけばいい……やっていくしか方法はないということに。それは、実は、今までわたしがしてきた、出版の仕事と同じことだ。そう考えると、急に気が楽になった。
しかも、だ。アラフォーになるまで、仕事に鍛えられてきたのだから、突然のトラブルや突発的な出来事に、対処して処理する力は、きっと、十分に蓄えられている。先輩の編集者が言っていた。「白いページの本が出たことはない、最後には、なんとかなるものだ」と。出産もきっとそう。最後には、きっとなんとかなる。
実はいま、社会に出て働き始めて以来、初めて、家でゆっくりと過ごせている。ゆっくりといっても出産にまつわる書籍を読んだり、ネット通販でマタニティ用品を物色したりと、「やらなくてはならないこと」をしていることには変わりがない。今までの仕事だけでなく、もうひとつ、出産準備が加わったことで、「やらなくてはならないこと」に費やす時間は増えたというのに、反対に、心と体の余裕はできたように思える。ゆっくりお風呂に浸かったり、時間をかけて凝った料理を作ったり、眠気に負けて昼寝をしても、以前のように、「まだ仕事が残っているのに……」という罪悪感をおぼえることはない。それは出産に向けての準備であって、決して「やらなくてはならないこと」をサボっているわけではない、と思えるせいだと思う。妊娠することで、自然と、自分を慈しむ時間ができたのだ。
言い換えれば、妊娠でもしなければ、ただ、駆け抜けるだけの毎日だったと思う。妊娠が、人生を立ち止まるきっかけをくれた。そして、知った。今まで築いてきた、仕事やライフスタイルを崩すことは、実は恐れることじゃない、と。だって、「最後には、なんとかなるもの」のだから。妊娠は、アラフォーになってもそんな変化を受け入れて「まだ変わることができる」という希望をも運んできてくれたのだ。
Text=大泉りか
■大泉 りかさんのプロフィール
39歳で妊娠が発覚した作家の大泉りかさん。30代・40代での高齢出産はリスクが大きいと言われている世の中で、彼女は「アラフォーでの出産には、この年だからこそ良かった、と思えることもある」と考えています。壮絶な痛みや不安の先に見えた高齢出産のメリットとはなんだったのでしょうか。
40代で母になる。二度の妊娠・出産で気づいた命の尊さ(42歳)
https://p-dress.jp/articles/220540代の妊娠・出産にはリスクも多い。流産の確率は40%を超えるとも。だが、数々の経験や思慮を経て、それを受け止める人生経験や知恵があるのも40代。40代で母になるということ、二度の高年齢妊娠で経験した悲しみや喜びから得たものとは。