元夫が遺した笑顔。川崎貴子さんの女を磨く離婚道 #3
DRESSの対談企画でもおなじみの川崎貴子さん。「元夫が遺した笑顔」というタイトルで、自らの離婚経験の記憶とそこから得たことを寄稿いただきました。
昔から、絡まってしまった何かをほどくのが苦手だった。
だから、華奢な2連のネックレスやブレスレットがこんがらがってしまうと誰かに助けを乞うか、もしくはあきらめて捨ててしまうことがほとんど。保存の仕方も悪いが、元来手先が不器用で、致命的に根気がないせいだろう。
離婚する1年前ぐらいから、私と元夫の関係性もぐちゃぐちゃに絡み合い、常時醜悪にとぐろを巻いていた。そして、既に原型すらわからないその塊を長いこと見て見ぬふりをして、結果的に私はやはり捨ててしまうのだった。二人の間に未だ小さな娘がいて、私たち家族をサポートしてくれる人もたくさんいて、何より元夫は結婚前、起業家同士として何でも話し合えた、まるで「親友」のような存在だったというのに。
そして、離婚するほどの夫婦が末期にやりがちな、「相手を軽蔑して自身のプライドを保つ」という方法があって、私たちも例外じゃなくそれを離婚するまで採用していた。会話をできる限り避けながら私は彼を軽蔑していたし、彼が私を軽蔑しているのを生活の中でひしひしと感じていたものだ。坊主憎けりゃ袈裟も木魚もライフスタイルまで憎いもの。
当時の私のブログ(既にブログサイトが閉鎖)を読み返せば、「離婚が決まりましたが、これからも前向きに生きていきます! 円満離婚です!」的なことが書いてあったがそれは表向きな発言であり、内心はそんなすっきりした決意だけでは当然ない。娘に対する申し訳ない思いや、元夫への憎悪や自己嫌悪で、私の感情そのものも絡まりまくってほどける見通しがなく、本当はただただ途方に暮れていただけだ。また自分の人生に、こんなにもこんがらがってほどけないものを抱えてしまった……と。
■無視することで、頑なにプライドを守ろうとした私
夫婦ではなくなった私たちは、それから1年ほど、娘の父親と母親として月に一度会う関係になった。彼は平均よりずっと高い養育費を娘のために払い続けていたし、面会日など、私や娘との約束を破ることはなかったし、一緒に暮らせないぶんも娘に愛情を注いでいたように思う。
そんな関係がしばらく続き、私は今の夫と出会い再婚が決まり、元夫からも彼女ができたと聞き、時間はいろいろなものを解決するものだと思っていた矢先、元夫が病気になって自宅療養しなければならなくなる。
彼の新しいマンションに娘を連れて見舞いに行ったとき、私は絶句した。
初めて足を踏み入れたそのマンションの一室には、私との結婚生活がところかしこに再現されていたからだ。
彼は、私が持ち込んで離婚時に置いていった絵を飾り、当時と同じような花瓶を買い、同じような場所に花を活け、同じようなラグに、同じようなチェロやピアノ曲をかけ、同じ調味料を揃え、昔私がよく作った料理を振る舞ってくれたが、それらは全て当時彼が「馬鹿馬鹿しい」と軽蔑し、軽んじていた「あの頃の生活」そのものだった。
そして彼は言った。
「俺は悪い夫だった。仕事を休んでいろいろ考えるようになって、やっとあの頃のキミの辛さがわかったよ。ずっと辛かったよね。ごめんな」
「キミとチアキの幸せをずっと応援しているよ」
と。
なんで今更? なんで今になってそんなことを言うの? という声にならない熱い塊が喉元にせり上がってきて、私は結婚生活当時のような部屋で昔を振り返った。
そこには、向き合おうとしなかった夫も当然いたが、相手を軽蔑することで自分のプライドを守る「冷たい顔をした女」がいて、それは紛れもなく私だった。二人の関係の問題解決をしないどころか、彼の問題からも目を背け、徹底的に無視を決め込んだ、それは他の誰でもなくあの頃の私だった。
■元夫は娘を授けてくれた人。結婚して良かった
私はできるはずだった。
自分の絡まりはほどけないけれど、人の気持ちの絡まりをほどく仕事をしているのに。
カウンセリングやコーチングを人さまに教える仕事をしているのに。
チャンスはいくらでもあったはずなのに。
私と元夫は、夫婦としても、人の親としても、あきれかえるぐらいアマチュアだったのだ。
それから、彼が突然死するまでの1年半、「応援する」と言ってくれた言葉通り私の会社のピンチを救おうと動いてくれたり、私の再婚を祝ってくれたり、新しい彼女を紹介してくれたりして私たちは結婚前の穏やかな関係に戻りつつあった。
彼が亡くなる前、最後に会った日には、
「今度のキミの相手は年下なんだから、あまりキツく詰めない方がいいよ。経験者は語るけど、マジで怖いから(笑)」
と、ありがたくも余計なアドバイスをくれたと記憶している。そして、そのときの彼の笑顔を見て、私の感情の「最後の絡まった部分」が、しゃらりと音を立ててほどけたような気がしたこともよく覚えている。
彼が亡くなってもう6年が経つが、あの笑顔だけはこの先も忘れないだろう。
私たちが親友のように仲が良かった頃の、要は結婚前によく見た彼の笑顔であり、私にとっては良い思い出がいっぱいだから。
皮肉にも私たちの人間関係が一番良かったのは友人だったときなのだが、それでも私は彼と結婚して良かった。
彼と同じ笑顔を持つ娘を、私に授けてくれたからである。
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