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「奢る・奢られる」論争に思うこと

中学2年生、14歳の11月。初恋相手の年上男性との人生初デートで私は一切お財布を出させてはもらえなかった――。「奢られるのが当たり前」だった時代から10年が経ち、今「奢る・奢られる」に思うことは? マドカ・ジャスミンさんのコラムです。

「奢る・奢られる」論争に思うこと

中学2年生、14歳の11月。初恋相手の年上男性との人生初デートで私は一切お財布を出させてはもらえなかった。というよりも、お財布を出すタイミングを計らせてもらうことすらさせてもらえなかった。

その人とはその後も何度かデートを重ねたものの、歳の差もあってか一度も私がお会計を持つことはなく、いつかのやり取りの中、「私の目標は、あなたにお寿司とかをご馳走すること。夢じゃなくて、目標だから」なんて格好つけてみたときもあった。ただの格好つけではなく本心ではあるが、結局これが叶わないまま10年の歳月が過ぎ去り、今や私も立派な社会人。

あの日持っていたお財布は父親が買い与えてくれたCECIL McBEEで、現在愛用しているお財布はSaint Laurent。誰かにもらったものではなく、自分への誕生日プレゼントとして買ったものだ。お財布を開く回数だって、昔と比較にならないほど多い。

■相手のお金のなさを嘆いた高校時代

元々、父子家庭の我が家は食費が経費制。お小遣いから支払っていた食費を、週末に父から全額まとめて返金してもらうシステムだったので、外食費に関しては他の子よりも緩かった(ただ、度を過ぎた額だと自己負担が強いられる場合もあった)。

そのせいか、高校生の頃は例えば友達と飲食店に行った際、自分はセット注文をしているが友達は単品注文をしているという場面に出くわすことも多々あった。バイトもしていない。でも、使える額は他の子よりも多い。それにより、友人たちと遊んでいると本来自分がしたいことができないこともあって、ヤキモキする日々を過ごしていた。

それは、恋愛においても言えることだった。高校1年生の夏前、一瞬だけ同級生の男の子と付き合っていた時期がある。今考えれば当たり前すぎて悩みにすらならないが、当時は彼氏のお金のなさを何度嘆いたことだろう

前述の通り、私はその2年前から“完全奢られデート”を繰り返していて、その場所も代官山や表参道などの大人がするようなデートばかりだったのだ。お金がないから、ひたすらマクドナルドやミスドで喋る。イチャイチャするのも放課後の公園。なんという落差だろうか。それでも、不満を抱えつつ、その彼が好きだった私は、やがてこう提案するようになる。

「私がお金を出すから」

ここから、奢られるよりも奢る人生が始まったと言っても過言ではない。

■大人になり、奢られることへの感謝が芽生えた

時を現代に戻そう。24歳の今、パートナーとは同棲していて、お互いフリーランス、なおかつ出不精でもあるので、一日中家で過ごす日が月の大半を占める。外出もするが、一日家を空けることは稀中の稀だ。

たまにふたりで外出、いわゆるデートをする日があっても、掛かる費用は基本的に割り勘。一円単位まで割り勘。何なら私が多く出したり、彼が興味のない場所に行きたいときは「私が負担するよ」と半ば強制的に連れ出すなんて場合もある。10年前の私から想像ができないほど、現在の私は見事なまでにお財布を出し、さらには紐を緩めるのが上手くなっていた。

でも、奢られたい願望が皆無かと言えば、それもまた嘘になる。

お世話になっている先輩や年上の友人と食事に行ったとして、スムーズにお会計を済まされたりなんかすれば感謝と感動と感激で胸がいっぱいだ。同い年や女性から同じことをされたりすれば、涙が出そうになると同時に「この人のために何かをしなければ」という気持ちさえも抱いてしまう。

恥ずかしい話、“奢られる”に対し、心からこういった気持ちを抱けるようになったのはここ1、2年ぐらいのこと。それまでも今のような気持ちを抱いてはいたけれど、その熱量は今とはほど遠かった。心のどこかに「年下だから」「女だから」などのこじつけと共に「奢られて当然」があり、もしかしたらその気持ちが滲み出ていたかもしれない。それ故に、現パートナーとの交際当初は、これ以上なく揉めに揉めた。

当時の彼はアルバイトを始めとした定職に就いておらず、それはそれは絵に描いたような無職だった。ファミリーレストランはおろか、ドトールのようなカフェでお茶ができるようなお金さえもなく、SNSでよく取り沙汰されるような「奢る・奢られる論争」にすら発展しない。だって、笑っちゃうほどお金が全然ないのだから!

■自分が与えられたいなら、与える

そんな過去があっての今。当初は高校時代のように彼とデートをする度にほぼすべて奢っていたが、段々と私が奢る額が減っていき、気がつけば完全割り勘が当たり前となった。彼が全部奢ってくれる日はまだまだ少ないが、それでも大きな進歩である。素晴らしい。

彼が進歩したと同時に、私もまた進歩したのだ。今まで理解するタイミングがなかった“奢る側のマインド”を身をもって知れた。「百聞は一見に如かず」とよく言うが、どれだけ知識を得たりや意見を聞いたりしようとも、自分が経験しなければ本当の意味での理解はできない。それが人間というものだ。

「女性だから奢られる。男性だから奢る」
そういった固定観念に捉われ、雁字搦めになり、思考が停止するのは非常にもったいない。自分が与えられたいなら、与える。与えてくれる人の心情を理解できない人が、この先ずっと与えられ続けるわけがない。ただ、そんな難しく考えなくとも、時代錯誤なジェンダー論によって自分の願望実現に二の足を踏むのはいかがなものか。

誰かが決めた価値観に則らず、自分のしたいことをすればいいじゃない。

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マドカ・ジャスミン

持ち前の行動力と経験を武器にしたエヴァンジェリストとして注目を浴びる。また性についてもオープンに語る姿が支持を集め、自身も性感染症防止の啓蒙活動を行う。 近年では2018年に著書「Who am I?」を刊行。テレビ番組や雑誌...

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