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「誰のことも受け容れるべき」は本当?

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ある人の正義や良識が、自分にとってもそうであるとは限らない。相手の言動に傷つけられたり違和感を覚えたりしたときは、どのような態度をとればいい? マドカ・ジャスミンさんが、自身の経験から導き出した結論とは。

「誰のことも受け容れるべき」は本当?

「多様性を重んじて、一人ひとりを受け容れるべき」
「誰にでも正義を持って優しくすべき」


世の中にはそのような明るい言葉が溢れているし、みんなそれに従って生きようと努力をする。「君ってこういう人間だから」「あ、ごめん。そのことは忘れてたよ」「そんなキャラだったっけ?」「やめておいたほうがいいよ」。他人が発したほんの些細な言葉から、少しばかり嵐の前兆を感じたとしても、それは自分の勘違いだと首を横に振り、笑顔と言えない笑顔で対応を繰り返す。その行為に消耗すれば、友人に愚痴を吐き、また同じ日常へと戻っていく。

私も、昔はそうだった。

自分の中で「あれ?」と思うような場面があっても、貼り付けた笑顔で抱いた違和感を掻き消した。そして、「これもあの人の個性」「私は私、あの人はあの人」と割り切る。いや、完全に割り切ることなんかできず、割り切るフリをしながら、そういった機会の数だけのペルソナを作っていった。ペルソナが増えれば増えるほど、本来の笑い方がどうだったかを忘れそうになっている自分。それでも、私は違和感と向き合うことをせず、ただ時だけが流れていく。

不思議なもので、人間は求めている物事を実現させてしまう生き物だ。
小さな違和感、別の言い方をすれば「心の危険察知信号」を無視し続け、あろうことか私はその違和感をこれでもかとわかりやすい形で実現させてしまうことになる。

■ある裏切り行為から芽生えた、コミュニティへの違和感

詳細は記せないが、2017年に私は自分を慕っていた人間から酷い裏切りにあった。SNSでその内容を発信すれば、瞬く間に話は広がり、大問題へと発展しただろう。実際、そういった“私刑”の実行は可能であったが、私はあくまでも公平な結果を望み、内々での処理を選んだ。裏切った相手にも、振り絞った慈悲を表明した自分が正しかったのかはわからない。でも、その選択を取ったことへの後悔は一切ない。

裏切りという行為はもちろん、それ以上に絶句した出来事がある。その裏切り行為を知った場面は、あろうことか私も同席していた飲み会の最中だった。笑えるジョークであるかのように、それを喜々として話題にする友人たち。

心から傷つくような出来事を、笑い話にされる意味がわからなかった。笑えない自分が異常なのかとさえも考えた。傷つくことがダサいとも思ってしまった。

幸い、別の良識ある友人からの助けにより、この件は前途のような終息に至ったが、自分の気持ちが治まったかと言えばそれはまったくの別物。そのコミュニティの当たり前と自分の正義と良識がイコールにならないのだと知り、これを機に所属するコミュニティへの疑念を抱き、次第にそのコミュニティと疎遠になった。

これ以外にも、2017年から2019年の2年間、ありとあらゆる離別が相次いだ。

人によっては「そんな程度で!?」と思うであろうきっかけもあれば、個人的にも司法的にも許せないことなど、離別の理由は多岐に渡る。例えば、家族や友人を馬鹿にする言動。犯罪・違法行為や反社会的を擁護する発言や姿勢(注意してもその場限りの反省ばかりが目立つ)。私が見聞きしないと高を括ってSNSで悪評を流す(正々堂々とした批判ならいい)。ライトなものだと、対人関係や金銭感覚、人生における価値観の大きな相違など。

今まで毎日のように連絡を取り合っていたり、よく遊んだりしていた仲であった人も何人かその中に含まれていた。離別を決意したとき、心苦しくなかったわけではない。これまで自分が慕い、相手に慕われ、喜怒哀楽を共有した相手との絶縁ほどストレスフルなことがあるだろうか? 対象人物との共通の友人に「なんとか仲直りしたら」と打診されるも、私は頑なに首を横に振る。ペルソナではなく、正真正銘自分の意志でだ。

たしかに、怒りを始めとした人の負の感情は、さほど長続きはしない。事実、パートナーと喧嘩をしても、口喧嘩レベルであれば十分後には平常に戻ってしまう。だけど、情で許してしまって、今度はもっと自分の心が荒んだり、自分や家族や友人たち、仕事に危害が及ぶ結果となってしまったりしたら……そのときに沸き起こる凄まじい怒りの矛先は、一体どこへ向ければいいのか。

もう、あえて言おう。違和感を抱く存在から自分を遠ざける行動は、長期的に見れば自衛となるのだと考えない人があまりにも多い。多すぎる。

■自分の“善”=相手の“善”とは限らない

少し話が逸れるが、以前父親とこういう話になった。

「この前、電車内で女の人に今にも覆い被さりそうな酔っ払った男がいたのね。酒の匂いはすごいし、女の人も怖がってたからその男の注意を引いたんだよ」

「女の人から感謝されたわ」なんて朗らかに語っていた父親だが、一転して真面目な表情とトーンでこうも続ける。

「でもさ、こうやって善意で人を助けても、今回なら男に因縁をつけられて刺されちゃうなんてこともあるんだよな。人のためだと思ってやったことで、自分が死んだら元も子もないから気をつけろよ」

赤の他人での話だが、これはコミュニティや人間関係にも言えることだと考えた。自分が善行を施したつもりでも、想定外のところから攻撃してくる人や、恩を仇で返してくるような輩はどうしても一定数存在する。そして、その数は自分の想像をはるかに上回る。しかも、彼・彼女らはその仇を仇と認識していない場合だってある。ただ、逆も然り。自分が恩だと思って施したことも、人によっては仇と捉えられるかもしれない。物事に対する認識は千差万別だから、こればかりは仕方がないとしよう。

自分の常識や善行=相手の非常識やどうでもいいこと、なんていう認識の違いはどれだけ仲が良くても起こってしまうものだ。たとえ、そういったどうしようもない価値観の違いがあっても、今まで通りの関係が築けないとまでは言わない。だが、どこかで綻びが生まれ、ゆくゆくは大変な事件に発展してしまうリスクもなきにしも非ず。

仮にリスクを背負うとなれば、自分だけならまだしも家族や恋人、友人にも迷惑が被る可能性だって十分に考えられる。それは一番避けなければいけない事態だ。自分を守るのと、近しい大切な人たちを守るのは紛れもなく同義なのだ。

「自分や大切な人やものを守るには、時に人との関係を絶つ勇気を持て」
「思っている以上に自分の手で守れる数は少ない」


私は、自分の経験からそう伝えたい。
そして、いま一度問い直してみてほしい。

「多様性を重んじて、一人ひとりを受け容れるべき」
「誰にでも正義を持って優しくすべき」


それは、誰の常識なのかを……。

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マドカ・ジャスミン

持ち前の行動力と経験を武器にしたエヴァンジェリストとして注目を浴びる。また性についてもオープンに語る姿が支持を集め、自身も性感染症防止の啓蒙活動を行う。 近年では2018年に著書「Who am I?」を刊行。テレビ番組や雑誌...

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