「一夜の関係」も「回を重ねたセックス」も、どちらもラッキーで最高だ
一夜限りのセックスにも、回を重ねたセックスにも、それぞれの幸福と良さがある。そもそも、“ワンナイトラブ”なんて、本当は存在しないのかもしれない。「いつかまた」を夢みて生きれば、人生はもっと楽しい。
■一度きりのセックスはラッキーだ
ああ、一度きりかもしれないな、と初めて抱かれるときはいつも思う。未来の約束をしていない関係ならば、このまま彼が射精したあと、髪を撫でられながら他愛のない話をして、シャワーを浴びて、駅の改札でにっこり手を振って、それっきり会わないことだってありうる。
さびしさや虚しさで語られがちな「一夜限りの関係」だが、私はいつも何よりも幸運に感謝する。継続的な関係にならなかったとしたらなおのこと、今夜はふたりの人生において、あってもなくてもよかったようなもの。もしかしたら彼は気の迷いかもしれないけれど、そのときにちょうど居合わせた私はなんて運がいいんだろう、と思うのだ。
ああ、もし今夜限りかもしれないのなら。一瞬一瞬をちゃんと覚えていたい。彼の高揚した目を。ひげの剃り残しを。ほくろの位置を。だから、なるべくたくさんの場所にキスをする。
私は好きな人としかセックスしないから、そう思えるのかもしれない。好きではない人とできない、というわけではないけれど、不本意なセックスほど後で妙に腹が立つということを、私は経験則で知っている。二度目に誘われなかったときに「ヤリ捨てされた」と感じるのは、好きな人との最高のセックスよりも、実は不本意だったセックスに多い。気がすすまないのに自分の体や時間を犠牲にしてしまうと、つい見返りを求めてしまうのだと思う。
好きな人と、その儚さに酔いながら、天地がわからなくなるような甘いセックスをする。そんなに最高の瞬間は、人生でそう多くは訪れない。幸運なことだ。
■非日常も信頼も。どちらもセックスの最高の味つけになる
私の場合は、一度セックスをして「もう次はしたくない!」と思うことは少ないのだけれど、相手の気持ちはわからない。どちらが悪いとかではなく、こればっかりはお互いのテンションや好み、都合が合わなければ仕方のないことだと思う。だから、もしも二度目や三度目のセックスが叶ったときには、それはそれで、自身の幸運に酔いしれてしまう。
たしかに一度のセックスでは何もわからない。最初はお互い身構えてるし、気もつかう。経験上、二度目、三度目のセックスで何となく性感帯がわかってくるし、好みの早さや強さを合わせていくことができる。回を重ねてようやく性癖を打ち明けられるし、快感のままに身を任せることができるのだと思う。一夜限りの儚さに酔うのも最高に気持ちいいけど、信頼をもとに仕立てられたオーダーメイドのセックスも格別だ。
非日常と信頼。そのどちらも、セックスの最高の味つけになりうる。私はどちらにも感じ入ることができるので、一夜限りのセックスも、ひとりの人と回を重ねたセックスも好きなのだと思う。
■いつかまたを夢みて今日を生きる
ああ、一度きりかもしれないな、と初めて抱かれるときはいつも思う。未来の約束をしていなければ、これで本当に最初で最後かもしれない。実際に、これまでそういうことは何度もあった。
でも、実は、心の片隅ではまだ諦めていないのだ。仮に連絡を取らなくなったとしても、遠く離れてしまうとしても、ひょんなことから再会して、またふたりで体をあわせ、夜を明かすこともあるかもしれないではないか。実際に、これまでそういうことは何度もあった。
挿入やオーガズムを定義としなければ、何歳になってもセックスはできるのだと思う。きっと、死ぬまでわからない。たとえば好きだった人と、老人ホームで再会したりして。ねえ、あのときさあ、と思い出話を切り出す瞬間のことを思うと、今からドキドキしてしまう。
ちょっと、もう一度しませんか。そう見つめあってなだれこむ可能性があるうちは、つまりお互い生きているうちは、一夜限りの関係って、実は存在しないのだと思う。人生は希望に満ちている。
セックスは舞台。いつも世界の背景に溶けてる地味な私でも、ベッドの上では主役になれる。日々ツイッターでセックス&オナニーポエムを書いてます。