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50歳からでも遅くない!「みつばちトート」束松陽子さんの挑戦【ポートランドで働く】

職人さんが手作りする帆布トートバッグ「みつばちトート」の創業オーナー束松陽子さんが、家族を引き連れオレゴン州ポートランドに引っ越してきました。なぜ? どうやって? 新しい挑戦を続ける彼女にお話を伺いました。

50歳からでも遅くない!「みつばちトート」束松陽子さんの挑戦【ポートランドで働く】

束松さんが運営する「みつばちトート」は、職人さんが手作りするセミオーダー方式の帆布トートバッグのWEBショップ。軽く丈夫で使いやすいのはもちろん、毎月変わるカラーバリエーションを楽しみにするファンも多いブランドです。

当時は珍しかった「みつばちトート」のオンラインビジネスを軌道に乗せて独立し、表参道に出店するなど、多くの女性が憧れるキャリアを積んできた束松さんですが、昨春すべてを一度リセットして、家族でオレゴン州ポートランドへやってきました。

50歳を前にした彼女が、なぜ、日本での生活から離れ、知り合いもいない、言葉も通じない新天地へと引っ越したのでしょうか?

家族3人が暮らし、またご夫婦の仕事場でもあるお宅を訪ね、お話を伺いました。

■ポートランド移住の理由

mitsubachi tote

束松さんご夫婦とお嬢さんの3人がポートランドに引っ越してきたのは、2018年3月末のこと。
けれども、実は10年も前から移住を考えていたのだとか。

理由はふたつ。

この頃、アジア諸国からの注文が増えてきたこともあり、海外とも繋がるビジネスという事業方針を固めていました。
海外へアピールするには、単にサイトを翻訳するだけではなく、海外展開用のビジネスモデルが不可欠だと考えた束松さんは、現地の人の好み、文化的背景、流行、優先順位などを肌で知るために、一度国外へ出たいと思っていたから。

もうひとつ、40歳を前にして、「予定調和的な日々を抜け出し、もっと刺激的な体験をしたい!」と感じるようになっていたことも大きな理由です。

■自分の持ち時間を最大限に使える「濃い」体験を求めて

yoko tsukamatsu

実際には、思いがけない妊娠もあり、実現するまで時間がかかりました。ただ、束松さんの安定よりも刺激に満ちた「濃い」時間を優先する気持ちは10年経っても揺らぎませんでした。

「人生で体験できることの総量って、ある程度決まっている気がするんです。だけど、その人の気の持ちようで、できることは、きっと多くも少なくもなる。私は自分の持ち時間を最大限に使って、いろいろな体験をしたいんです。

50になると、自分の生き方ってある程度、確立されますよね。好み、スタイル、型みたいなものができる。そんな自分の型をもつことは、安心や自信に繋がる一方、その中に止まって、新しい発見の機会を奪ってしまう。

でも、その気さえあれば、50を過ぎても型をぐいぐいと拡張できるんじゃないかと思うんです。この自説を自分で体験し証明してみたかったんです」

加えて、ちょうど移住を思いついた頃に授かったお嬢さんの学習環境を整えてあげたいという思いも、移住を後押ししました。

「娘はディスレクシア(※1)があって、小学校でとてもいい先生とクラスに恵まれたのですが、緊張と不安が強く、不登校になったんです。だから親としては、環境を変えることは彼女にとってもいいことに思えました」と束松さん。

ポートランドでは、まずは「彼女の本来の明るさや自信を取り戻してもらいたい」と、デモクラティックスクール(サドベリースクール)(※2)を選びました。

英語もわからず最初はあまり乗り気ではなかったものの、自由な校風が肌に合い、9月から毎日通学しています。また、大好きな馬と過ごせる乗馬も始め、夢中になっているそうです。

※1 学習障害の一種で、知的能力及び一般的な理解能力などに特に異常がないにもかかわらず、文字の読み書き学習に著しい困難を抱える。
※2 生徒はルールの範囲内で自由に行動できる、またそのルールを学校参加者自身(主に生徒とスタッフ)により決定するなどの特徴を持つオルタナティブスクール。

■家族はチーム。みんなの気持ちとタイミングを合わせるために

yoko tsukamatsu

移住計画後、娘さんの誕生、彼女が低体重で少し体が弱かったこと、ビザの取得の難航などのいくつもの要因でプランは何度も停滞しました。

けれども、その間に実現を諦めたことはありません。

「家族はチームだから、みんなが幸せじゃないと、誰も幸せじゃなくなってしまう。家族の気持ち、動けるタイミングを合わせることが一番大事。そして、ここだってときに、すぐにスタートを切れるように準備しておくことが大切です」

束松さんがそのために実践した方法は、「夢物語でも何でも、いちいち声に出す、したいことをずっと口に出す」こと。そうすると、「みんなの意識もなんとなくそこに流れてくる」んだとか。

娘さんは、1年生が終わったら、別の場所で再チャレンジすることを受け入れていました。
また、当初はそれほど海外志向でもなかった旦那さんも、束松さんの移住計画に歩調を合わせるように、彼自身のビジネスを立ち上げ、オンラインでどこでも仕事をできる環境を整えていました。

■海外で見つけた「お互いさま」の人間関係

こぎんざし

ようやく実現した海外生活は、期待通り毎日が刺激に満ちているそうです。
その中で彼女が発見した「新しい価値」のひとつは、何でも自分でがんばるよりも、素直に人に頼ること。

「日本は最近、自己責任だとか、他人に迷惑をかけないことが大切だという風潮ですが、ポートランドで出会った日本人コミュニティの皆さんは、困った人がいたら手を差し伸べられるよう、いつでもドアを開けて待っている感じなんです。みんな苦労されてきたと思うのですが、みんなが自分のできることをして助け合う“お互いさま”という考え方で人間関係を築いている。その素晴らしさに気付きました」

束松さんも人に頼る一方、誰かが困っていたら声をかけたり、進んでコミュニティに貢献したりしています。

black chestnuts

オレゴンのブラックウォルナッツで染色した糸とこぎん刺し

例えば、お菓子研究家の福田里香さんとの共著『こぎん刺しの本―津軽の民芸刺繍』(文化出版局)もある、津軽地方の伝統工芸「こぎん刺し」は、束松さんが人と繋がるツールとして活躍しています。

シロウト考えで、このかわいい刺繍は「みつばちトート」に使えそう、と思ってしまいましたが、あくまでおふたりにとっては、「部活動」的なもの。

こぎん刺しのワークショップを開催したり、美しい作品を提供することで、日本文化を広めて伝統工芸作家に恩返しをしたり、世界の人に喜んでもらったりする。こぎん刺しは、あくまで「束松さんが誰かのためにできること」のひとつだそうです。

■大人だから気付き、体験できること

「先が見えなくても、とりあえず一歩踏み出せば、RPGみたいに先につながるヒントが落ちているものだ」と束松さん。

これまでの経験や自信、リソース、それに何よりもブレない自分の核を持っていて、若者にはできない挑戦の形を見た気がしました。

キャリア、家族の仕事や学校、語学力、体力の心配……。歳を重ねると移住のようなライフスタイルの変化は難しくなると勝手に思い込んでいましたが、そんなことはないのですね。束松さんの望み通り「いくつになっても、自分の型をぐいぐいと拡張できる」と証明しているようです。

束松さんが取得しているアーティストビザの期限は3年ですが、そのときにどう動くかは、まだ未定。娘さんも含め、みんなの気持ちを話し合い、次の冒険の準備を進めているそうです。

みつばちトート 日本語公式サイト
https://mitsubachi-tote.com/

東 リカ

フリーライター。アメリカで出会ったブラジル人の夫と、リオデジャネイロ、レシフェ、東京、サンパウロを経て、2014年末よりポートランドへ移住。現在は、フリーライターとして現地情報を日本メディアに提供。得意分野は、カルチャー、ラ...

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