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不器用でも、生きづらいままでもいい。『毒親サバイバル』菊池真理子さんインタビュー

育児放棄や暴力、過干渉などで子どもを苦しめる“毒親”。そんな親のもとで育ちながらも、「親と同じ道は歩まない」という決意のもと、自分の道をしっかり生きている人たちがいます。彼・彼女たちの強さは、一体どこから湧いてくるのでしょうか。『毒親サバイバル』『酔うと化け物になる父がつらい』の著者・菊池真理子さんに伺いました。

不器用でも、生きづらいままでもいい。『毒親サバイバル』菊池真理子さんインタビュー

■誰かと関わるのが第一歩。毒親サバイバーに共通していたこと

ーー菊池さんの『毒親サバイバル』では、毒親のもとで育った方々が「親と同じ道を歩まない」という思いで生きていく姿が描かれていましたね。

『毒親サバイバル』は、毒親のもとで育ちながらも、親に押しつぶされずに生き延びてきた10人に取材をし、それぞれの体験や人生を漫画にまとめた本です。

『毒親サバイバル』(KADOKAWA)より

『毒親サバイバル』(KADOKAWA)より

ーー最初に菊池さんご自身の体験談が紹介されていますが、菊池さんの生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。

『毒親サバイバル』(KADOKAWA)より

うちは父親がアルコール依存でした。でも実は「父はアルコール依存症だったかもしれない」と気づいたのは、父が亡くなった後だったんです。

「飲み方がおかしいな」と感じたことはあったんですが、それでも病名がつくような飲み方だとは思っていませんでした。

『毒親サバイバル』(KADOKAWA)より

ーーなるほど。

子どものころ、「嫌だな」「つらいな」と思うことはもちろんたくさんありましたが、逆に「うちのお父さんはおもしろいんだ」と無理やり変換して自分を騙しながら生きていました。

父の死後、父はアルコール依存症だったんじゃないか? とわかってからようやく自分の家庭環境がおかしかったことを自覚したんです。他の“毒親育ち”の人たちはどうだったんだろう? という疑問を出発点にこの本が生まれました

『毒親サバイバル』(KADOKAWA)より

『毒親サバイバル』(KADOKAWA)より

ーー菊池さんをはじめ、いわゆる「毒親サバイバー」の方たちが、つらく悲しい経験をしながらも強い気持ちで生きていくことができた背景には、何があったのでしょうか?

この本の取材を通して思ったのが、人間ってわがままに生きているように見えても、いつの間にか人のためにも動いているものなんだということです。

ーー人のため?

『毒親サバイバル』で取材を受けてくれた方々に共通していたのは、人の方を向いて、自分じゃない誰かを助けようと自然と行動を起こしていたことでした。

たとえば、実父や祖父の暴力に怯える子ども時代を過ごした成宮アイコさんは、今は「生きづらさ」や「メンタルヘルス」をテーマにした詩を書いたり、朗読ライブをおこなったりしています。育児放棄の母親のもとで育った文筆家のアルテイシアさんも、人生は自分で選んで生きるものという信念を持って執筆活動を続けておられますよね。

毒親サバイバーの方々は「自分はつらい思いをしたけど、あなたは好きに生きればいいよ。楽しく生きましょう」というメッセージとともに、「そうすると自分も周りも幸せになるよ」ということを教えてくれたんです。

ーー「人のために行動できるようになった」というのが、「毒親からサバイバルできた」ということなのでしょうか。それって、なかなか難しい気がします……。

みんながみんなすぐに誰かのために動けるわけではないし、本当は「ちゃんと生き延びて呼吸してればオールオッケー!」でいいんですよ。

でもその共通点があったから、“サバイバルした人”の定義のひとつを「人の方を向いて、誰かのためにも生きている人」にしようと思ったんです

毒親から虐待やひどい仕打ちを受けた人たちって、「自分たちと同じような思いをする子どもをつくらないぞ」という思いが強いんですよね。自分の子どもじゃなくても、周りの子どもや誰かに目が向いている人が多いんです。

そのためにもまずは、家族以外の誰かと関わるのが第一歩かなと思います。

ーー菊池さんがアルコール依存症のお父さまをテーマに漫画を描かれたきっかけも、「誰かのため」という気持ちからだったんですか?

『酔うと化け物になる父がつらい』(秋田書店)を描いたきっかけは、偶然仕事で行ったアルコール依存症のセミナーで、「うちの父も依存症だったかもしれない」と気づいたことでした。その取材で父が自分に与えた影響について考えるようになり、考えた末に描くことを決めました。

この漫画は、自分のために書いたんですよね。「自分の気持ちを整理したい」という思いで描いたところ、思いがけずたくさんの反響がきて。「救われました」「自分だけじゃないって思った」と言ってくださる方がこんなにいるんだって思えたんです。

それから、自分のためだけじゃなく「自分の体験を世に出していこう」という思いになっていきました。

■毒親問題に“解決”はある?

ーー親との確執を、直接話し合って解決するというのはやはり難しいのでしょうか……?

毒親とガチンコで話し合って解決、ということは滅多にないですよね。「ネッシーいた!」くらいの希少性だと思います(笑)。親から「ごめんね」と謝ってもらい、確執がなくなったというケースは、ほとんどないので。

ーー菊池さんは、親子問題は何をもって“解決”とすればいいと思われますか?

置かれた環境や経済状況によっては難しいこともあるので絶対とは言えませんが、1回目の解決は「逃げる(実家を離れる)こと」だと思うんです。

でも、一度逃げてある程度解決しても、結婚や出産でまた問題が発生するんですよね。

たとえば、人によっては出産などで「毒親だし嫌い」という思いを一旦封印して「すみません、子どもの面倒を見てください」ってお願いしなきゃいけない場面も出てくる。それで何年かは我慢できたとしても、のちのちまた辛くなってきちゃうんです。

ーー逃げただけでは、解決にならないケースもあるんですね。

出産結婚、それが終わったから介護と、親が死ぬまで何かしらの形で関係が続くこともあります。
それに、逃げたからといって、恨みや親にされたことに対する怒りって、なかなかゼロにはならないんです。

毒親が亡くなってホッとした自分に悲しくなったり、親の死に対してなんとも思えなかったり……。「親が亡くなったからすっきり」とはいかない人のほうが多い気がします。

私も父が亡くなった直後には、「私が悪かった。ごめんなさい」という気持ちでいっぱいでした。私は結婚も就職もしなかったので、「こんなできの悪い娘がいたからお父さん飲んじゃったんだね。ごめんなさい」って。それから1年くらいは、父が生きていたときよりもつらかったですね。

ーーはっきりと「解決した」と言えるようになるのは、とても難しいことなんですね。

自分なりに「解決の形」を見つけるのがいいのかなと思います。もし親と離れることで「気持ちが落ち着いた」と思うならそれが解決でいいし、親との必要最低限の関わりは残しつつ気持ちは切れた状態、としてもいいですよね。
自分が納得できればそれでいいと思います。

■自己肯定感は「上げなきゃいけないもの」じゃない

ーー毒親育ちの人のなかには、人間関係で苦しんでいる人も少なくないように思います。人をなかなか信用できないとか、自分を好きになれなくて、褒められると違和感を覚えてしまうとか……。

それ、私もどうしたらいいのかわからないんです(笑)。ただ、たしかに「生きづらいな」と思って生きてはいるんですけど、これは別に欠点でも、悪でもないと思うんです。

たとえば「体育会系のノリ」についていけてないようなイメージ。「友達は多い方がいい」とか「意識は高く」とか、そういうのは一見正しそうですけど、必ずしもそれが正義ではないな、と思っていて。

体育会系のノリができない者同士で「できないよね」って言い合うみたいに、「生きづらいよね」って言い合えばいいかなって思うんですよね。

ーー菊池さんの最新作の『生きやすい』で、「自分を好きになるために〇〇しよう」が簡単にできたら苦労しないのに……というお話がありましたね。

「自分を好きになる」というスタート地点に立つまでに、フルマラソンくらいの距離がある、みたいな感覚でした。スタート地点にすら立てない! と思って。

でも、スタート地点に立てなくても生きてるからいいかなって。ゆるい気持ちでいこうと思ったんです。

というのも、私、不器用な人たちが好きなんですよね。もし彼らが急にキラキラ活き活きしだして、突然「PDCAを回せ!」なんて言い出したら、心配するんじゃないかとも思って(笑)
だから、不器用なままでいいんじゃないかなって思うようになりました。

ーー生きづらいことは、悪いことじゃないんですね。

それで病気になってしまうなら別ですが、そうじゃない場合は、「生きづらい」って思わされているのかな、って思うんです。本当はそのままでいいのに、今の社会に「そうじゃない方がいいよ」って言われているんだけじゃないかなって。

「自己肯定感を上げよう」というのも、ここ数年で急に言われるようになりましたよね。でも、そんなに肯定しなくてもいいんじゃないかなって思います。「生きづらくなくなろう」とすると、余計生きづらくなる気がするんですよね。

ーー生きづらさや毒親の話って、なかなか人には話しにくいものに感じます。

話すのには、すごく相手を選びますよね。人に話したら「親のことそんな悪く言うものじゃないよ」って言われて、それ以来人に話せなくなったという話も聞きます。

一方で、自助グループやカウンセリングなどで、言えなかったことを話せて癒されていったということもあるようなので、同じ境遇の人とたくさん話すのは、癒される近道なのかなと思います。

ーー「幸せな家庭の人にはわかってもらえない」と人と比べたり、卑屈になってしまうこともあると思うのですが、いかがでしょうか?

以前、知り合いから「お父さんから川柳が送られてくるんだ」ってエピソードを聞いたんです。「え、なんでお父さんから川柳送られてくるの!? 普通のお家ってそうなの!?」ってびっくりしました(笑)

そんな風に、そもそもほかの家庭がどういうものか、どんな家庭が“普通”なのかって想像できないじゃないですか
私が知り合いのお家のエピソードを聞いて驚いたのと同じで、「いい家庭」で育った人たちが毒親育ちの環境を聞いても、単純にびっくりするだけだと思うんです。

ーーなるほど。

育った家庭が違うというのはただ、違うお皿の食べ物を食べてるようなもので。他のお皿のものも一口ずつ食べてみて「こういう味なんだ」って知っていけばいいと思うんです。

だから、他の家庭を見て卑屈に思ったり、喧嘩腰になったり、壁を作る必要はなくて。「いい家庭で育った人にはわからないよね」とネガティブな感情を抱いても、いいことはひとつも起こらないんですよ。

それに、毒親育ちでない人たちにも私たちの体験をわかってもらえれば、毒親や虐待の問題に社会が気づいてくれるかもしれない。全員が無理に発信する必要はないけれど、私たちの体験をいろいろな人に知ってもらうことで、これからの子どもたちが少しでも生きやすくなればいいなと思います。

Text/市川茜

■菊池真理子さん プロフィール

マンガ家。1972年埼玉県生まれ。著書に、アルコール依存症の父親との生活を描いた『酔うと化け物になる父がつらい』(秋田書房)、毒親から生き延びた10人に取材をした『毒親サバイバル』(KADOKAWA)など。最新作のコミックエッセイ『生きやすい』(秋田書房)が2019年4月16日に発売。

DRESS編集部

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