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「自分の幸せに貪欲であってほしい」20歳の娘から母へ

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中学2年の終わり、両親が離婚した。父と母を無責任だと思った。そして大人になった今、母の幸せについて思うこと。20歳の娘から、母へ贈る手紙。

「自分の幸せに貪欲であってほしい」20歳の娘から母へ

■大人や社会が全部敵だった頃

両親が離婚したのは、中学2年の終わり頃だったと思う。

突然の別れは、ピンと張った糸が切れたように一瞬で私を不幸にした。ドラマや映画のような、崩れ落ちていく様を経験した。大げさかもしれないが私にとっての家族はそれくらいの存在だった。両親を無責任だと思った。

母と弟と、3人での生活。煙たいと感じる距離に父がいない。くだらないテレビ番組で笑う父の声がない食卓。喜びを分かち合う分、母が減ることが寂しかったし、愛が飢えていく感覚は怖かった。この頃の私は常に心がキリキリしていて、やり場のない痛みを母にぶつけるしかなかった。

なんてことのない、些細な母の言動に棘を向けたくなるほどに当時の私は怒っていた。

基本的に私の意思に反対することはない。「こうしなさい」と決めつけることはなく「やってみたらいいんじゃない」と促すような母だった。「勉強しなさい」と言われたこともない。一大人としての意見が聞きたかった私は、そんな母の態度を素っ気なく感じ、関心を持たれていないんだと思い込んでいた。

母は私がいくら怒っても、言い返すことをしない。だから、私が一方的に母を傷つけているだけ。その態度は私と向き合うことをせず逃げているように見えて、それが余計に私を悲しくさせた。

その頃の私にとって、大人や社会は全部敵だった。

「ひねくれている」
「被害者ヅラ」

そうだと思う。それなりに精一杯で、ふと涙が出ると止まらない。それでも子どもは決定を覆せない。母を思う愛と怒りの狭間にひとりで震えていた。

■この傷は私だけの特別なものだ

ただ、怒りの感情はそう長くは続かない。
高校生になると、だんだん怒ることに飽きてきてしまった。

「時間が解決してくれた」というとありきたりに聞こえるかもしれない。寂しい夜を何度も過ごしてきたけれど、時間が生む緩和はたしかにあった。

たくさんの映画や本、知らない誰かが綴る言葉。失ったものや手に入れたい何かをこれらで補うように、大事にした。友だちに自分の気持ちを打ち明けて泣いたり、くだらないことに笑ったり、なんてことのない無駄な時間を過ごす。考えて感傷的にならないように、何かに熱中する時間をつくった。

大学生になり、もっと世界が広がった。これまでにない刺激と自由。バイト先や対人関係も変わった。新しい友人とお互いの過去を明かし合うと、同じように傷ついていたり、傷の場所は違えど、人それぞれの孤独と痛みがあることを知った。

私だけが辛いわけじゃない。そして、私の傷は私だけの特別なものだ。
いま執着している感情からは憎しみ以上のものは生まれないし、過去は変わらない。

決定打があったわけではないが、時間と環境がそんな諦めをもたらしてくれた。この痛みが癒えることはなくとも強さになると思うことが、精一杯の打開策だった。

■「あなたの幸せは、私の幸せだよ」

昨年、私は20歳になった。

その夏、短期留学で日本を一時的に離れた。自国を離れて初めてひとりで生活するなかで芽生える、新しい感情を培いたかったのだ。自分と向き合うための時間にしたかった。

空港まで普段と変わらずに過ごした母から、離陸前にLINEで、「あなたの幸せは、私の幸せだよ」と一言送られてきた。口下手な母の精一杯の愛の形だろう。直接言えないところが母らしい。それでも、母からの初めての言葉に涙が止まらなかったことを覚えている。

案の定、異国でひとりで生活することは楽ではなくて、心細く感じると決まって母を思い出した。良い景色を見たら母に写真を送った。料理ができない私の食生活や、金銭的なことなどを常に心配する母。その存在の大きさを痛感し、愛おしく思った。

帰国した日、ゲートで母と父が揃って私の帰りを待っていた。そのとき、家族の形態にこだわって悲壮感に浸るのは、もう十分だと思った。私の中での両親の存在や役割は変わらないのだ。

両親は、帰国した私を何度も褒めた。自身で決定して、ひとりで立っている私に深く感心したが、それは母と父がそう育ててくれたからだ。私の幸せのために選択や決定を自由にさせてくれて、そのための努力や手段も私次第だと教えてくれた。私はようやく、そのことに気づいたのだ。

■母の幸せって、なんだろう

その頃から、考えるようになった。母の幸せとはなんだろうと。

母は離婚してから職業を変えた。自分の楽しみや趣味を後回しにして、私たちのために一生懸命働いてくれていた。私に見せる苦悩や苦労は、ほんの一部だったと思う。
自分の怒りや寂しさで精一杯だった私は、母がそれで幸せなのかなんて考えたこともなかった。

10代の頃は、たとえば母が(もちろん父も)新しく恋をしたり、再婚を選択していたら許せなかったと思う。「子どもを差し置いて幸せになるのはひどい」と思っていた。

でも、大人になった今なら、母が選ぶ幸せを心から受容できる。おしゃれをして友人に会いに行く、欲しいものを買う、新しく勉強を始める、恋をする。なんだって良い。ひとりの人間として幸せになることに貪欲でいてほしいと願う。反対に、すべてをサボる日だってあってほしい。

そんなことを言ってもなお、私と過ごす時間が一番好きで楽しいんだと照れながら呟く母を想像してしまうけれど。いつだったか「もっと自分のやりたいことをやってもいいんじゃない?」と母に伝えると、相変わらず素っ気なく「いやママは……」と苦笑い。

母の幸せが私の幸せであるということも、母にはわかっていてほしい。世間体や子どもに気を遣うことなく、自らの幸せを常に追求し続けてほしい。これまで仕事や家事、すべてを背負い育ててくれたことを私は知っているから。

何度も書いては破り捨てた手紙の中には、「どうして離婚してしまったの?」と書いたこともあった。面と向かって「幸せになってね」と言えない代わりに、母への愛と感謝を綴ったことも、「あの頃は傷つけてごめんね」と書いたこともあった。

これは、一年に一回の母の日にさえ花を贈ることで精いっぱいだった私が、初めて母に渡す手紙だ。

いつもありがとう。
今日もこれからも、母の幸せを願っている。

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若林未来

趣味:海外旅行

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