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いまがつらいなら、別の居場所を。新しい「顔」が私を強くしてくれる

わたしは自分の居場所を何度も変えてきた。いまでも「だめだったら居場所を変えよう」という気持ちでいる。世界は広いから、自分を愛せる場所が、どこかにきっとある、と私は思う。

いまがつらいなら、別の居場所を。新しい「顔」が私を強くしてくれる

つらい。しんどい。うまくいかない。いま、そう感じている人もいると思う。

そんなとき、居場所をすこし変えてみる。自分には別の「顔」があると感じられれば、それだけで、ネガティブな気持ちが和らぐときがある。

私のつらくてしんどい人生が、ふっと楽になった“転機”。それはどれも、居場所に関係していた。

■転機1 生まれ育った島を離れた小3

小学校3年生まで、北海道の離島に住んでいた。

海や山はきれいだけれど、一年の半分くらいは雪に埋もれている島だ。いま思い出す島での暮らしは、ほとんどが雪景色か、ストーブであたたかい室内。豊かな緑のなかを走り回って遊んだ記憶はまったくない。

それよりも印象に残っているのは人間関係だ。
同学年は、多いときで7人(島に転勤してくる公務員の子どもが、毎年出たり入ったりする)。少ないときは、私も含めて女子4人しかいなかった。

だから女子4人は、なんだか特別な間柄だったと思う。仲が良いときもあれば悪いときもあるし、好きな子もちょっと苦手な子もいる。だけど、お互いの気持ちは関係ない。島に定住している私たちは、大人になるまでこの小さなコミュニティで一緒にやっていく。それがいいのか悪いのかは、あまり考えられなかった。

小3の終わり、我が家を建て替えることになった。
自分の部屋をつくってもらって、例の3人を呼んで遊ぼう。わくわくしながら荷造りをしていた私に、両親が「じつは、春になったらこの島を出て、滋賀県に引っ越すんだよ」と告げた。まだ小さな私が興奮することのないよう、ぎりぎりまで黙っていたのだという。

「さくらが転校する小学校の名前は『○○小学校』で、お兄ちゃんが通う中学は『△△中学校』というんだよ」

漫画や児童小説でしょっちゅう出てくる“転校生”という存在に、私がなるなんて!
10秒前まで予想もしていなかった未来なのに、学校の具体的な名前が出てきた瞬間、現実感がぐわっと湧いた。同じ学年の子どもたちは、120人もいるという。いまの30倍だ。

あと1カ月もしないうちに、私は、この島を出る!

さっき段ボールに入れたばかりの、数日前に友達といっしょに描いた絵を、わざわざ取り出して捨てた。薄情だけど「これはもう要らない」と思ったことを、はっきり覚えている。

けっして友達や島が嫌いだったわけじゃないけれど、やっぱり閉塞感があったんだと思う。
周りの大人も子どもも、生まれたときから自分のことを知っていて、島での“私”はたぶん“いま見えている私”以上のものになれない。これから塗り変えられる気もしない。

だけど“転校生”になれば、いままでにない自分と出会える。本当の未来、本当の私の物語を、ようやくつかんだ気がした。

■転機#2 女優として生きていこうと思った中1

小5のとき、新聞でたまたま劇団ひまわりの広告を見かけた。
なんだか面白そうだと思って入団オーディションを受け、合格。週1回の演技レッスンに通い続けて、中学に入るころには、テレビやラジオの仕事を細々とするようになっていた。

オーディションで、はじめてドラマのレギュラーを射止めたのは、中1が終わるころ。

当時の私は、学校でいじめられていた。理由は忘れたけれど、目立つグループとの仲がこじれていたのだ。持ち物や服装について聞こえよがしに悪口を言われたり、家の留守電にひどい言葉を吹き込まれたり。ほかの友達がいたから学校で孤立することはなかったものの、居心地は悪かった。週1回の劇団で、学校も地元も違う友達と過ごすことで、なんとか自分を保てていた。

とはいっても、学校に行けば、心はどんよりする。その鬱々とした気持ちも、ドラマの大きな仕事が決まったとき、嘘みたいに晴れた。
学校はもういいや、女優として生きていこう、と思った。

当時はまごうことなきブスで、厚い眼鏡をかけていたんだけど、学園ドラマでクラスを編成するときにはブスも眼鏡女子も必要だから、私にも勝機がある気がしていたのだ。実際、けっこうお仕事もいただけていたと思う。

「べつの場所なら認めてもらえる」という強い実感を得たおかげで、学校でも息がしやすくなった。出演したドラマが放送されるころには、いじめも止んでいた。

■転機3~4  やたらとモテた入学直後

高校は地元でそこそこの進学校に入り、卒業後は進学のために上京した。
面白いことに高校も大学も、入学直後はかなりモテた。

ビジュアル的には、高校デビューも大学デビューもしていない。なのにどちらの春も、1カ月で何人にも告白される。冴えない私に「見た目がめちゃくちゃタイプだ」と言ってくれる人まで出てきた。

いま振り返ってみると、中高で子役として自分なりに結果が出せたことで、すこし自信がついていたんだろう。“居場所が変われば強くなれるかもしれない”という意識もあったから、初対面の人とも臆せず話せた。

だからそれなりに第一印象がよくて、実際のスペック以上にすばらしく見えたり、新生活に浮かれて彼女がほしい人のレーダーに引っかかったんじゃないかな。

でもそのおかげで、環境が変わって出会いが増えれば、私のことを「かわいい」「魅力的だ」と思ってくれる人もいるんだな、と感じられた。平安時代の美人と現代の美人は違うとか、日本とアメリカではウケるタイプが違う、みたいな話かもしれない。

■自分を愛せる場所があるから、強くなれた

いま、31歳。大学を出て2つの会社を経験し、5年ほど前からフリーランスになって、世の中にもだいぶ揉まれてきた。毎日初対面の人から話を聞くという仕事柄もあって、どこでもそれなりにうまくやれるようになってきたと思う。

だけど、いまでも「だめだったら居場所を変えよう」という気持ちでいる。むしろ、その意識があるからこそ、わりと肩の力を抜いていられるのかもしれない。

いつだって、いま見えている“私”だけが“私”のすべてではない。
場所が変わるだけで、これまでと違う自分の顔に出会えることがある。
そこで出会うべつの“私”は、いままでの“私”を、より強くしてくれたりもする。

人間は多面的な生き物だと、頭ではわかっているけれど。
自分の力だけで、べつの面を引き出すのはなかなか難しい。だから、居場所を変えてみる。

学校や会社、住む場所、通うお店。お稽古事に新しい趣味、付き合う友達、恋人。変えられるものはいっぱいあるし、きっとその大小は関係ない。自分の心の違う角度を出してみたり、いつもと違う筋肉を使ったりすることで、べつの面に出会えるんだと思う。

世界は広いから、自分を愛せる場所が、どこかにきっとある。
その“どこかの存在”を信じられたら、いまいる場所でも、きっとなめらかに生きていける。
もしどうしてもダメだったら、ふらりとどこか、新しいところに行ったっていい。

画像/Shutterstock

1月特集「私の好きな、私と生きる」

菅原 さくら

1987年の早生まれ。ライター/編集者/雑誌「走るひと」副編集長。 パーソナルなインタビューや対談が得意です。ライフスタイル誌や女性誌、Webメディアいろいろ、 タイアップ記事、企業PR支援、キャッチコピーなど、さまざま...

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