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象の「はな子」を見て泣いた日【偏屈女のやっかいな日々】

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井の頭自然文化園で飼育されていた、アジア象の「はな子」が息を引き取ったのは、2016年5月26日(木)の朝でした。

象の「はな子」を見て泣いた日【偏屈女のやっかいな日々】

むかし、別れる直前の恋人と行った動物園で、象を見て泣いたことがある。

柵越しに象を5分くらい見物して、象舎から離れようとしたとき、涙が出てきて止まらなくなった。あまりに突然のことだったので、恋人以上に自分自身が戸惑った。

どうしたの、と聞かれてもなにも答えられず、はな子が、はな子がと繰り返してその場にしゃがみ込んだのを覚えている。

それから2週間ほどして象のはな子は死んでしまった。

あのとき、自分がどうして彼女を見て泣いたのかはよく分からない。死の予感を嗅ぎとって、みたいなことを言う気はさらさらないけれど、最後に見たはな子の目がゾッとするほど真っ黒だったことは忘れられなくて、それから何度かはな子の出てくる夢を見た。


■「かわいそう」と言われ続けた象

動物が好きか、と聞かれるといつも迷ってしまう。

7歳から飼っている亀のことは溺愛しているので世界一かわいいと思っているが、それ以外の動物、特に子犬とかハムスターはそんなに得意ではない。というか正直に言うと、子どもの動物がちょっと苦手だ。

理由はすごくシンプルで、子どもは元気だからだ。私は基本的に元気がないので、元気なものを見ると「ウワッ、やめてくれよ」と思ってしまう(反対に、ある程度歳を重ねて穏やかな面持ちになった動物を見ると、「そうだよなあ」と思う)。

だから、国内最高齢の象であったはな子に妙な思い入れがあったのも、考えてみると自然なことなのかもしれない。小学生の頃、父親に連れられてよく見に行った上野動物園の象たちには「お、象だな」くらいの感想しか持たなかったのに、もう少し大人になってから初めて井の頭自然文化園のはな子を見たときは、一瞬で好印象を抱いた。

はな子は、たった1頭で生活しているという境遇やその飼育環境(コンクリートの檻の中で飼育されていた)から、「かわいそう」と言われることの多い象だった。

そもそも、「はな子」という名前からして戦時中に餓死してしまった有名な「花子」の名を継いで付けられたもので、日本に来た当初から悲しいストーリーを背負わされていたのは本当に気の毒としか言いようがない。

けれど、私が最初にはな子を見たときに受けた印象は、もう少し楽観的なものだった。はな子の目はありとあらゆる絵の具の色を吸い込んだバケツの水みたいに濁っていて、焦点はどこにも合っていなかったのだが、それを見て「かわいそう」とは感じなかった。

彼女が壁際から振り向いてちらりとこちらを見たとき、私が上野動物園の象を見て「お、象だな」と思ったのと同じくらいの温度で、「お、人だな」と思われているような気がした。象は賢い動物だから、当然、自分が人間に飼育されている立場だということは分かっていたと思う。

けれどはな子には、いい意味でこちらを少し下に見ているというか、「はいはい、象ですよ思ったより大きいでしょう」みたいな投げやりな姿勢を感じて、それがとても痛快だったのだ。

それからは日常の端々で、「はな子どうしてるかな」と考えることが増えた。

機嫌のいい日には「はな子もなにか美味しいものを食べられてますように」と想像をめぐらし、理不尽なことがあった日には「私がはな子だったらあいつのこと2秒で踏み潰せるのに」と考えた。勝手に私の喜怒哀楽を仮託させて申し訳ないが、彼女ほど有名な象は、おそらくそんなことされるのにも慣れっこだろう、とも思った。

■空になった象舎を見る

10月、はな子がいなくなったあとの井の頭自然文化園に初めて足を伸ばした。

この動物園には、ライオンだとかキリンだとかパンダといったスター的な動物は皆無で、代わりにマーラやテンといった、名前を書いてもいまいちそのビジュアルを思い出せない動物が多い。あまり褒めているように聞こえないかもしれないけれど、飼育されている生きものの彩度が全体的に低いところに独特の味がある。

肌寒い日だったが、週末らしく園内は親子連れでほどほどに賑わっていた。ヤギやコウモリ、タヌキを見るともなく見ていると、「今日、はな子いるかねえ」と幼稚園くらいの娘にニコニコ呼びかけているお母さんとすれ違った。

そのお母さんは、おそらくはな子が2年前に死んでしまったことを知らないのだろう。しばらくぶらぶらと歩いていると、四方を柵で囲まれた灰色のスペースに突き当たった。

そこはまぎれもなく、生前のはな子が住んでいた象舎だった。がらんとした夜の公園のような象舎は殺風景そのもので、事情を知らない来園者たちが代わる代わるやってきては、腑に落ちないといった顔でコンクリートづくりの空間を数分見つめて去っていった。

空になった象舎をじっと見ていると、ひょっとしたらはな子が奥から出てくるんじゃないか、という期待をしてしまって困った。耳を澄ますと息遣いが聞こえるような気さえした。そんな錯覚をするくらい、象舎は彼女がいた当時のままの姿で残されていた。


■「必要悪」の檻の中で

動物園は人間にとっての「必要悪」なんですよ、と言ったのは、たしか旭山動物園の園長・坂東元さん(当時は副園長)だったと思う。テレビでその言葉を聞いたときは、なんだかずいぶん人間サイドに有利な発想だな、と憤りを覚えたけれど、実際に、動物園がなければ私たちが一生見られないであろう動物、触れられないであろう動物はたくさんいる。

はな子のような動物をひとりきりで飼育することに批判が集まる理由もわかる一方、小さな子どもが動物園で目を輝かせている姿を間近で見ると、まあ、たしかにこれは必要悪かもしれないよなと納得もしてしまう。

井の頭自然文化公園を奥の方へと進んでいくと「ヒト」という表示板とともに、動物ではなく鏡が置かれた檻がある。

はな子の死因は、「継続的な横臥で肺のうっ血を引き起こしたことによる呼吸不全」だと聞いた。飼育員が総出で介抱にあたったが、半日近く苦しんだ末に亡くなった、という報道を2年前に見た記憶がある。

象舎を臨めるベンチに座り、「はな子は果たして幸せだったのだろうか」と少し考えてみて、そんな不毛なことを想像するのはやめようと思った。毎日顔を合わせている夫のことだってよくわからないのに、タイからこんな遠い国に連れてこられて69年の生涯を全うした象の気持ちなんて、到底わかるはずがない。

ただ、私はたしかにはな子が好きだった。もしかしたら先方は我々人間に対して「ウワッ、やめてくれよ」と思っていたかもしれないけれど、ほんの時々はな子と目が合うときは、なにかを認めてもらったようなほの明るい気持ちになったのだ。

帰り際、園内の小さな遊園地のそばを通りかかったとき、100円で動く汽車の乗り物から「僕らはみんな生きている」のメロディが流れてきた。思わずちょっと笑いながら、悪い冗談のような空気に満ちている動物園をあとにした。

Illust/兎村彩野(@to2kaku
Photo/池田博美(@hiromi_ike

12月特集「死ぬこと、生きること」

DRESSでは12月特集「死ぬこと、生きること」と題して、今と未来を大切に生きるために、死について考えてみます。

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生湯葉 シホ

1992年生まれ、ライター。室内が好き。共著に『でも、ふりかえれば甘ったるく』(PAPER PAPER)。

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