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最期に「生きててよかった」と思いたいから、元気なうちに死について考えたい

病気になってから死について考えると、いろいろなことが現実的になって、不安や恐怖が襲ってきて、考えたくなくなるかもしれません。病気になる前に、まだ若いうちに、死を見つめてみるほうが、気が楽になるかもしれません。死を考えるのは、残りの人生を考えること。

最期に「生きててよかった」と思いたいから、元気なうちに死について考えたい

私たちの人生で「絶対」と言えることがあります。

・人間誰しも死ぬこと
・時間は前にしか進まない

これはすべての者に対して平等であり、絶対であるわけです。

「死」に向かって生きていて、その身体は徐々に衰え、どの瞬間に死が訪れるのか、神のみぞ知る、です。

脳外科医として、人の死に立ち会うことが多いため、死について考えることが多いのですが、「明日は我が身」と感じるようになりました。

最近では、「健康寿命」という言葉も浸透し始めていますが、歩行障害や麻痺などがなく、最低限の日常生活が不自由なく送れる年齢がどこまでか? という話ですね。

若い頃には、想像していなかった老後生活。「終活」という言葉が出てきていますが、若いうちはピンとこなかったり、「まだ先のこと」と後回しになったりしがちです。しかし、どの世代でも実は何が起こるか、わかりません。

若い時代に必要な終活って必要なのか?
誰もが迎える「死」に向けた老後の過ごし方を考えてみます。

■死の瞬間って、どんなイメージですか?

皆さん、人が亡くなる前、どのくらい意識があって、どのように亡くなっていくと思いますか?

ドラマでお馴染みなのは、家族みんなに囲まれている中で、最期に何か言葉を残して、そのままぱったりと亡くなって、その脇で医者が「ご臨終です」と伝える、というようなシーン。

死ぬ直前まで会話ができる病気ももちろんありますが、必ずしもそうとは限らず、むしろ意識がない状態が数日〜数週間あって亡くなっていくことが多いです。理想は、日常生活の中で、眠るように亡くなっていく「老衰」かもしれませんが。

医療従事者は、死ぬと具体的にどういうことが起きるのか、病気の種類や状態、年齢、体力によって、ある程度どのような経過を辿るのか予測できます(もちろん、あくまで今までの経験やデータなどに基づいての目安です)。

しかし、医療従事者以外の方と話をしていると、人の死に立ち会う機会は滅多になく、家族やパートナーなど、ほとんどが身内などの近親者のみとのこと。具体的な状況が想像できない方も少なくないと思いました。

■突然死かそうでない死か

人が亡くなる病気は、突然死かそうでないか、大きくふたつに分かれます。

・ある日突然起こる死、もしくは突然襲われた病気により、不自由な体になったり寝たきりになったりして、合併症による死
・ガンなどの悪性新生物による死
・先天性疾患による死
・慢性疾患による死

他にも病気ではないですが、
・不慮の事故
・自殺
など

たとえば脳卒中は、「若いから」といっても安心はできず、20〜30代でも発症する方はいらっしゃいます。交通事故は何歳だろうと起こり得ます。

慢性疾患やガンなど、長い経過をたどって症状が進行する病気では、主治医や医療従事者から、自分がどのように病気とともに過ごし、最期を迎えるのか、患者さん本人、家族にお話しするのが通常化しました。

最近では、病気についてネットや本などで調べたり、実際に治療を受けている方の体験記などを見たりして知ることができますが、やはり、自分自身の病態と異なる部分があるわけで、安易に鵜呑みにしてはいけません。

■死を考えることは、残りの生き方を考えること

主治医に対し、疑問や気になる点をいかに相談できるかが大事です。手術前後、化学療法や放射線療法、最近は免疫療法などもありますが、それぞれの治療を行うことによって、どのような状況になるのか、詳細を知っておくことで、治療をした場合の自分の状態のイメージがつき、具体的なプランを考えられますよね。

やり残したことがないか、言い残したいことがないか、自分で考えて自分で動ける時間がどれだけあるのか? 動けるうちに、やれることをやっておく、と言ったことを考えるわけです。

他にも日常的なことで、死ぬ直前まで食事が取れるのか? 抗がん剤を使って、食欲がなくなる、というのは聞いたことがあるけれど、病気のせいで食事がとれなくなり、点滴や鼻から入れる胃管チューブなどの経管栄養のみで生活しないといけない状況になる場合は?

さらに、徐々に意識がなくなり、動けなくなってしまう状態になるのかどうか、それはどれくらいでやってくるのか、最後に言葉を残せるとしたら、どのタイミングなのか?

日々進行していく病気の中で、自分の置かれている状況を徐々に感じ取っているようには思いますが、それでも、自分にどれだけの時間が残されているのか? 緩和ケアなどの中で、ある程度把握しておけたらなぁ、と思うのです。

腹部内のガンなどで、末期に近くなってくると、食事をとることが許されなくなり、食べたくても食べるのを禁止されてしまうのは、本当に切ないです。

脳神経外科の患者さんで多い状態でいうと、意識障害という状態になり、徐々に呼吸が止まり、心停止するという流れです。

意外と患者さん本人は、意識がないため、苦しまずに最期を迎えます。残された家族は、最後に会話したり、意思の疎通が取れなくなったりすることは本当に悲しいと思いますが、患者さん本人が苦しまないというのは、見送る側としても安心できると思うのです。

ただ、やはりすべて聞くのは怖い、死について考えたくない、という方もいらっしゃるでしょう。ここも、選択の自由だと思います。

詳細を聞きたくない、という方は、家族に把握してもらっておく、ということでも構わないです。正直、死ぬことなんて考えたくないし、考えただけで、悲しくなったりしますから。

自分が病気をしてから、死について考えるといろいろなことが現実的になって、不安や恐怖が襲ってきて、考えるのが怖くなると思うのです。

若いうちに、自分の「終活」について、ご家族や周囲の皆さんに把握してもらうためにも、ざっくりと考えてみる方が、気楽になれるかもしれませんよ。しかも、毎年アップデート可能です。

DRESSでは12月特集「死ぬこと、生きること」と題して、今と未来を大切に生きるために、死について考えてみます。

12月特集「死ぬこと、生きること」

Drまあや

脳外科医兼デザイナー/1975年東京生まれ・岩手県北上市育ち 岩手医科大学医学部卒業後、慶應義塾大学脳神経外科医局入局。2010年ロンドンのCentral Saint Martins に留学し、デザインの勉強する。帰国後、...

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