再会続き

37歳過ぎたころから、再会や出会いがあって、ジッパーを閉じるみたいに色んな縁が繋がったりすると、人生が肯定されているようで嬉しい。

再会続き

 37歳を過ぎた頃から、妙な偶然が続くようになった。縁が切れていた学生時代の友人とばったり会ったり、知り合った人がたまたま高校時代の友達の知り合いだったり。
中学時代の友人と仕事で偶然再会して、その子の紹介で、これまた小学校6年生のときに一緒に四谷大塚に通った同級生とも20数年ぶりに繋がった。

子どもの小学校の運動会で同じ会社の人を見つけ、大学のゼミの先輩に出くわしたと思ったら、香港に住んでいた8歳の頃の親友のお姉様にも声をかけられた。懐かしさから連絡を取って、変わらぬユニークな人柄に30年が一気に巻き戻った。

六本木ヒルズをぶらぶらしていたら声をかけられ、振り向くと小6のときの親友がいた。しかも私が一緒に仕事をしている若い編集者の先輩だと判明。

それまでは、縁が切れてばかりだったのに。忙しくて、どんどん環境が変わっていって、友達とは疎遠になり、仕事仲間も入れ替わり、いつも新しい人の中で仕事をするのが当たり前だった。ここも通過点だから、この人とも束の間のおつきあい、といつも冷めていた。

だけどこうしてまたジッパーを閉じるみたいに縁が繋がると、なんだか人生が肯定されたようで嬉しい。もちろん、再会してもそのまま交流が途絶えてしまう人もいる。それでも、ああまた偶然に会う日もあるだろうなと思うとほの温かい気持ちになる。

ある日、イベントの仕事で共演した男性と、ベニヤ板で囲われた舞台の裏手で出番を待っていた。幅1メートルぐらいのセット裏の通路で、間を持たせようと始めた世間話で馬が合い、同い年と判明するとさらに盛り上がって話すうちに、小学校に上がる前に一年だけすごく近所に住んでいたことが判明。え、それ、バス停とかスーパーとかで絶対会ってたよね?お祭りで、同じ綿飴の列に並んだかも知れないね。

意気投合した私たちは今もいいお友だちだ。あの東京郊外の憂鬱な団地のバス停と、新興住宅地の淋しさを知っている仲間は彼だけ。ああ、私たちこうして東京03圏で華やかな仕事をするまで、ずいぶん頑張ったね。長い時間電車に乗って学校に通ったりしたね。

そしてそのあと私は、夫が仕事を辞めたので、じゃあいっそ海外に引っ越そうかと、ついに生まれ故郷のパースに戻ったのだ。サケの遡上か!
そんなつもりではなかったが結果として双六のふりだしに戻ったぞ、と感慨深かった。

今年始めに引っ越したとき、38年ぶりのパースは、懐かしさよりも物珍しさの方が勝り、街もすっかり変わっていた。でも3歳まで私はこの空を見て、この植物とこの鳥と、この海を見て育ったのだ。今の私にはまるで違う星みたいに感じられる、珍しい花や生きもの、目が青くなりそうなほど青い空と海、真っ白い砂。これが、私が最初に出会った世界だったんだ。

自分の原風景とすら新鮮に出会えるのだから、年を取るのはいいものだ。通り過ぎた景色は忘れてしまう。再会の喜びは、また新たに発見する喜びでもある。
私がこれから出会う人は、じゃあもしかしたらさらにさかのぼって、前世で会ってた人なのかもな。

なんて考えると、どんな人も縁のある人みたいに思える。袖すり合うも他生の縁。いつもほんの少しかするだけで、だけどもうなんどもなんどもその距離で会っている人もいるのかも知れないね。

小島 慶子

タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族と暮らすオーストラリアと仕事のある日本を往復する生活。小説『わたしの神様』が文庫化。3人の働く女たち。人気者も、デキる女も、幸せママも、女であることすら、目指せば全部しんどくなる...

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