「自分の意見を言えない」「嫌われたくない」人付き合いに苦手意識があるあなたへ
「なんだか私、いいように使われているかも?」と不満を感じても、相手にはっきり言い出せない。そんな“依存関係”から抜け出すために心がけたいこととは? “コンプレックス解消家”としても活動する、ライター・講演家 朝倉真弓さんのコラム連載、第5回。
「年賀状友だち」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
年賀状のやり取りだけの関係になってしまった友だちのことで、私にも何人かいる。
「会いたいね」としたためたその気持ちに一片の嘘もないのだけれど、よほどのことがない限り、積極的に会うためのアクションを取ることはない。毎年年賀状の準備をしながら、「あのころは何をするにもずっと一緒だったなぁ」と、懐かしく、またほろ苦く思い返すも、翌年の年末が来るまで思い出は再びそっとしまわれる。
私の学生時代の親友も、いつしか「年賀状友だち」になってしまった。
■人間関係のクセは、親との関係で決まる?
生きていくにつれて人間関係は少しずつ変わっていく。学校が変わり、職場が変わり、生活圏が変わっていけば、付き合う人も徐々に変わって当然だ。
それなのに、日々のストレスの多くは人間関係が原因だと言われている。人生のステージが変わっても、近しい人との距離の取り方は、いつでも悩みの上位にランクインしている。
その悩みを整理すると、身内との関係と、他人との関係に分けられる。私見ではあるけれど、身内との関係に悩む人は、他人と良い関係を築くことも苦手であるように感じる。
私は2016年、母親と娘との関係を小説仕立てで描いた『逃げたい娘 諦めない母』(幻冬舎)という本を出版した。母親が無意識に行う束縛を娘の視点から書いた本で、今でも読者から思いをつづった文章が届く。この本は韓国語にも翻訳され、韓国の女性たちもSNSにたくさん感想をあげてくれた。
親をはじめとした周囲の大人に気を遣い、その意向に沿うように生きてきた娘たちは、大人になっても人に良く思われることを優先し、自分のしたいことを後回しにしてしまいがちだ。友だちやパートナーに対しても、言いたいことを飲み込んで、彼ら彼女らの意向に沿うような行動をしてしまう。
そうこうしているうちに、「なんだか私、いいように使われているかも?」と、不満がわいてくる。
でも、嫌われたくないし、このままでも別に困ることはないし……。
こうして相手の顔色を窺い、自分のやりたいことをぐっと我慢する。
実はこれ、いいようにあなたを動かしている相手だけではなく、我慢しているあなたも「依存」状態にあるって、知っていましたか?
■依存されて何も言えないあなたも、相手に依存している
「依存」というのは他人に何とかしてもらおうと甘えることをいう。言いたいことを飲み込んでばかりいると、相手はあなたにべったりと依存する。
「今日は早く帰らなきゃいけないから、この仕事お願いできる?」
その一言を、あなたが断るはずなんてない。
「今週末はあそこに遊びに行こう!」
その意見に、あなたが反対するわけがない。
そんな相手の態度にモヤっとした感情を持ちつつも、何も言えずに相手に決定をゆだねてしまっているあなたも「依存」の当事者になり得る。
何事も相手の意向にゆだねてしまえば、波風を立てずに済む。
「あれをやって」というジャッジに従って動いていれば、自分は責任を負わずに済む。
なんなら、人生の大切な選択まで、母親やパートナーにゆだねてしまう人もいる。いわゆる「共依存」の関係というヤツだ。
当然ながら、いい大人が互いに依存しあっていても、何も生み出さない。
そればかりか、お互いの足を引っ張ることにもなりかねない。
余談だが、「依存」と「頼る」というのは、似ているようでいて、全然違う。
「依存」とは、相手に何かを与えたり返したりする気持ちナシに、ただ人に何とかしてもらおうと甘えること。
「頼る」とは、自分の足で立ち上がるための努力をしたうえで、難しい部分だけ人にサポートをお願いすること。
もちろん「依存=悪」「頼る=善」という単純な話ではないが、自立した大人同士が頼りあい、お互いの得意を活かしながらサポートしあえると、大きな力を発揮する。
「人生のステージを変えたければ人間関係を変えろ」なんて言われるけれど、その前に必要なのは、自分のなかにある依存体質を認めて、その関係を正していくことだと私は思う。
■切りづらい関係は付き合いの“型”を決めよう
甘えてしまったり、甘えられてしまったり。
でも、切るわけにはいかない腐れ縁(という名の依存関係)がある……という人は、付き合いのパターンをいくつか作って、デジタルに対処してみてはどうだろう?
たとえば、Aパターンは挨拶のみ(ただし、笑顔で気持ちよく!)。Bパターンは、必要な会話はするけれど世間話はしない。Cパターンは、ランチは一緒に食べるけれどディナーにはいかない。Dパターンは、食事も月に一度だけなど。
「親との付き合いはDパターン!」などと決めてしまうと、逆にその一度だけの食事に集中することができて、かえって良い関係を保てるようになるかもしれない。
どうしても気が進まない人と会わなければならない場合は、カフェやレストラン、会社など、他人の目がある場所でだけ会うようにしよう。家の中など、相手のフィールドに入ってしまうと、ますます依存されやすくなる。どうしてもその必要があるときは、あなたの味方になってくれる人と一緒に行くなどの工夫をしてみるといい。
たとえば、母親と会うと気疲れしてしまうという人は、実家に行かずに外で会う。ちょっと面倒な会社の先輩のお誘いは、必ず同僚と一緒に行く。
そんなことを繰り返すだけで、徐々に関係が改善していくこともある。
そして、いちばん大切なのは、毎回……は難しくても、3回に1回は自分の意見を通すこと。雑務や面倒な役割の押し付けは、「申し訳ないのですが、今回はできません!」と、にっこり、はっきり断ろう。
■依存体質から脱すれば、再び絆は結ばれる
年を重ねるにつれて、それまでの人間関係は変わってくる。
いつしか親は高齢になり、若いころのように一から十まで娘をコントロールできなくなってくる。相変わらず声高に勝手なことを言ってくるかもしれないけれど、私たちも大人になり、「深く付き合わない」「受け流す」という対処がしやすくなってくる。
パートナーとの関係も、密着した二人三脚状態から卒業し、お互いの存在を感じながらの併走に変わっていくような気がする。
親友だと思っていたあの子だって、いつの間にか年賀状友だちに変わっていく。
特に女性は、結婚や出産などで人間関係が変わることがある。
なんとなく離れてしまった関係を一方的に断捨離する必要はない。でも、切れてしまった縁を再びつなげることに心を砕く必要もない。
切れたのは、どちらかのステージが変わったから。あなたが悪いわけではないし、また何かのタイミングで絆が結ばれることもある。
昨年私は、20数年ぶりに年賀状友だちに会った。
思えばその友だちは、当時置かれていた自分たちの環境に対して一緒に文句を言いつつ、成長への抜け駆けをお互いにけん制しあっていたような、ちょっと共依存気味な関係だったように思う。
会う前は当時の思い出がチクリと胸を刺したけれど、会ってみたら、すっかり大人になった者同士の楽しい時間を過ごすことができた。
楽しい時間になったのは、お互いがきちんと自立し、自分の人生に責任を持って歩み始めたからだと思っている。
次に会うときも、彼女に恥ずかしくない自分でいたいなと思う。
朝倉真弓さんの連載「人生の『定規』を書き換えよう」は、毎週水曜日の更新です。次回もお楽しみに!