幸せになるための選択――レズビアンカップルが“子育て”という権利を得るために
美帆さん、41歳、レズビアン。MTF(身体は男性、心は女性)のレズビアンであるパートナーと、子育てをしている。苦労は多いけれど、自分たちの幸せをきちんと見つめて、選び取ってきた。彼女の半生を追いながら、その“選択”に迫る。
“子育て”はいま、がんじがらめになっている。
でも本当はもっと自由で、もっと一人ひとりの意志や状況に寄り添いながら、柔軟にかたちを変えられるものだと思う。
たとえば結婚をしていないシングルでも、同性カップルでも、当人が「子どもを育てたい」と願うなら、それを叶える選択肢があっていいはず。
実子を育てることには身体の事情も絡んでくるけれど、子育てという機会を得る権利は、きっと誰にでもあるものだから。
■付き合う相手は、すべて女の子だった
美帆さんは、41歳のレズビアン。16歳で初めて付き合った相手が、女の子だった。
「昔から、男の子を好きになる感覚がよくわからなかったんです。
高校生になって、いいなと思ったのも、女の子の後輩。私には好意を伝えるという発想がなかったんですが、向こうから『先輩が好きです』と言ってきてくれて、短いお付き合いをしました」
その後、名古屋の短大に進学。
出会った友人のなかに、おそらくバイセクシャルだった女の子がいた。
彼女から、LGBT向けの雑誌『アニース』を教わり、自分の嗜好について知識を身につけはじめる。情報誌のカミングアウト特集を見て、地域のLGBTグループにもコンタクトした。
「それまではひとりでぐるぐる考えていて、親に悪いなと思ったりもしていたけれど『なんだ、同じ立場の人がこんなにいっぱいいるんだな』って思えました。グループではわいわいお酒を飲んだりして、みんな本当に明るかったですね」
美帆さんがはじめてLGBTコミュニティに入るきっかけとなった、情報誌のカミングアウト特集
そして20歳をすぎたころ、インターネットを介して、東京に住むレズビアンの女性と知り合う。彼女と一緒に暮らしたいという思いから、美帆さんは上京を決めた。
「東京で派遣の仕事をしながら、13年くらいずっと、彼女と一緒に暮らしました。とても幸せだったけれど、だんだんと気持ちが離れて、お別れしたんです。向こうはレズビアンであることを家族に隠していたから、本当に、一緒に住んでいただけ」
13年という、決して短くない月日。
異性のカップルであったなら、そのあいだには結婚という選択肢も浮かんでいたかもしれない。
けれど、美帆さんが彼女としていたのは、シンプルな同棲。
異性のカップルと同じで、なんの許可もいらないけれど、反対に権利や拘束力も発生しない。
そんな人生を経て美帆さんは、現在のパートナー・麻衣さんに出会う。
■レズビアンのカップルが、実子を持てるという“奇跡”
30代の半ばをすぎたころ、美帆さんは、とあるLGBTパレードの運営に参加していた。
そこのスタッフに仲間入りしてきたのが、2歳年上の麻衣さんだった。
麻衣さんは、MTF(Male to Femaleの略)。
身体は男性だが、性自認は女性の、トランスジェンダーだ。
普段は男性として日常生活を送っているが、パレードには女性の格好で参加していたため、美帆さんは初めから麻衣さんを“女性”として受け止めた。
ほどなくふたりは惹かれあい、交際をはじめる。
美帆さんはごく自然に、麻衣さんとの子どもがほしいと考えるようになっていた。
「昔から、もともと子どもがほしかったんです。
前のパートナーは身体も女性だったから、精子バンクを利用したり、ゲイの友人から精子提供を受けたりする方法を検討していました。お金の計算までするほど、現実的に考えていたんですよね。
でも、レズビアンをカミングアウトしていない彼女は、どうしても世間体が気になってしまって……。結局、実行には移せないままでした」
現代の科学では、同姓の身体を持つカップルが、ふたりの血を直接分けた子どもに出会う方法はない。
しかし、いまのパートナーである麻衣さんは、男性の身体を持っている。
「身体的には、私は麻衣との子どもを持つことができます」と一言置いて、美帆さんはこう続ける。
「だけど、彼女の“男性機能”を必要とすることは、女性の心を持つ麻衣のアイデンティティを傷つける可能性がある。私からは言い出せずにいたとき、麻衣がさらりと『いつか子どもができたら、うちにはママがふたりいるんだって思ってほしいな』と口にしたんです」
彼女も、私と子どもを持つ未来を描いている!
美帆さんがはじめて、愛するパートナーとの子どもに、まっすぐ手を伸ばせると感じた瞬間だった。
相手の意志を受けてようやく、美帆さんも「あなたの子どもがほしい」と告げる。
麻衣さんは、とても喜んでくれたという。
■“結婚”というステップを乗り越えるまで
お互いの意志を確認してからも、迷うことはあった。
「いまは男性の身体のままで生きているけれど、麻衣がいつか女性の身体を手に入れたいと思ったとき、子どもの存在が枷になるんじゃないかと考えたこともあります。たとえば、戸籍上の性別変更は、自分の子どもが成人するまでできなくなる。だから、麻衣の遺伝子はもらうけれど、籍は入れず、シングルマザーで育てていこうと思っていました。そのほうが、麻衣の自由な選択肢を残せるから」
しかし、その考えを覆したのは、麻衣さんのほうだった。
子どもを生むなら、一緒に住みたい。
一緒に住むなら、結婚もしよう。
生まれてくる子どものためには、なんとなく内縁関係を続けるよりも、婚姻を結んだほうがいい。
最終的にふたりは、妊娠中に婚姻届を提出する。
■思ってもみなかった結婚が、もたらしたメリット
結婚はどちらでもいいと思っていたけれど、メリットもあった、と美帆さんは振り返る。
「妊娠経過は順調だったのに、33週で破水して、そのまま緊急帝王切開になったんです。産休にも入る前で、突然のこと。
でも、結婚していたおかげで、麻衣にも私や子どもとの面会権利がありました。NICU(新生児集中治療室)には両親しか入れないから、事実婚だったらお見舞いにも来てもらえなかった。
麻衣が仕事を休んだり、調整できたのも、世間的な“結婚”という枠組みのメリットだったと思います」
麻衣さんの家族は、彼女がMTFであることも、レズビアンであることも知らない。
ずっと女性の影がなかった息子が、よき女性にめぐりあって結婚し、第一子を授かったと思っている。
美帆さんの家族はふたりのすべてを知っていて、祝福してくれた。
決して周りのための結婚や出産ではなかったけれど、結果として、家族が喜ぶかたちに収まったといえる。
■レズビアンのカップルが結婚・出産することの“葛藤”
ただし、本人たちには葛藤もある。
本当はレズビアンのカップルなのに、戸籍上は「婚姻関係にある男女」となっていることに、どうしても違和感がぬぐえない。
レズビアンとして出会い、レズビアンとして愛し合っているのに、違う“型”にはめられている。
「家の外に出ると『パパとママ』『奥様と旦那さま』として扱われてしまうんです。
愛する人と結婚できて、子どもを持てたことは本当にうれしいけれど、レズビアンとしてのアイデンティティが揺らいでいる、というか……ベターな選択をしてきたとは思います。でも、現状は自分たちにとってベストな形ではありません」
本当は、レズビアンのカップルとして周囲に認められながら、子どもを育てていきたい。
でも、レズビアンの友人にも「男と結婚するなんてレズビアンじゃない」などとつらく当たられたりするなかで、丁寧に説明していくのはなかなか難しい。
「4歳になる娘にも、これからどんなふうに説明していこうか悩んでいます。いまは麻衣が家のなかでスカートを履いているのに、外では『パパ』らしく振る舞うことを普通だと思っているけれど……本当は麻衣も『ママ』なんだよ、と伝えていきたい」
解決していかなければならない問題は、たくさんある。
けれど、美帆さんは「自分が望んだ子どもを授かることができて、すごく幸運」と言う。
左から娘さん、麻衣さん、美帆さんの靴。すべて女性用だ
■自分たちが幸せになるための“選択”を
子育てをするにあたり、人とはすこし違う苦労を背負わざるを得なかった、美帆さんと麻衣さん。
しかし、ここまでを一気に話してくれた美帆さんの表情は、とても晴れやかだ。
「自分たちの幸せは、自分たちにしかわかりません。世間がどう言うかは、最終的には関係ない。これがあるから幸せになれるんだって思うものは、人それぞれですよね」
そして、微笑んだまま続ける。
「私にとっては、それが麻衣と子どもでした。麻衣と出会って、彼女の手を取ったからこそ、娘に出会えた。手を取らないことも、子どもを生まないこともできたけれど、そのときどきで決意してきたから、“幸せな今“があります」
自分たちにとっての幸せを手に入れるために、リスクを取りながらも、美帆さんたちは進んできた。
娘さんには、どんな人になってほしいですか? と尋ねてみる。
「小さく産まれたから、まずは元気ならなんでもいいや、と思ってるところもあります。
でも、自分のことも周りのことも、大事にできる子になってほしい。いまは娘だけど、いつか息子になるかもしれないし、ジェンダーテープは貼らずに接しています」
いつか娘が、もしくは息子が、本当に愛する人と出会い、望んだときに子どもが持てる世界になるように。
美帆さんと麻衣さんの“選択”は、ひとつの道しるべとして、きっとこれから誰かの足元を照らす。
取材・文・写真:菅原さくら(http://www.sugawara-sakura.com/)
協力:にじいろかぞく(https://queerfamily.jimdo.com/)