家族は所詮「他人」だと早く気がついて 2/2
■家族は一番身近な“他人”である
家族に「支配」されているせいだろうか、 なんとなく「逃げてはいけない」という意識が私の中に生まれてしまっていた。
けれど、家族だからといって、ずっとそばにいなければならないことも、 必ず力になってあげなければならないこともない。 自分を虐げてきた人たちは、してもらうことが当たり前だと思っているし、それが変わることはなかった。 「子どもは親のために苦労して当然」と思っている。
自分が家族からようやく離れることができて実感するのは、「私の人生は私のもの」ということだった。使い勝手が良ければ良いほど、家族は自分のことを手元に置きたがるだろう。 暴力を振るわれながら、ときどき囁かれる「あなたがいてよかった」という言葉に惑わされる。
だけど、他人のために生きる必要なんてない。家族のために生きたって、家族は自分のためには生きてくれない。
家族は、一番身近な他者。
だからこそ、あなたはあなたの人生を好きに生きればいい。 人生は一度しかないのだから。
■「幸せな人に対するコンプレックス」
何も悪いことをしていないのに、怒られるという経験は滅多にない。殴られるとなったらなおさらだ。
だからこそ、暴力を受けたとき、「自分に何か非がある」と思ってしまう。実際のところは、「気にいらない」とか「自分の思い通りにならないから」とかそういうで殴る側は暴力を振るう。
しかし、殴られる側は「自分が悪いんだ」と思ってしまう可能性がある。こうした意識が、大人になってからも、その人自身の無意識化に潜み、ふとしたきっかけで顔を出したりする。常に誰かに怒られるんじゃないか、殴られんじゃないかと思って怯えて生きていく。当たり前に生きることさえもいけないのではないかと、怯え続ける。
でも、それは常に自分の周りの人を信じていないということになる。笑っているけど、いつかこの人も自分を怒鳴りつけるのではないかと。
幸せになりたい。
なりたいのにならない。
なれないのではない。
自分は悪い人間だからなってはいけない、と思ってしまう。幸せな家庭を築くこともできない、と思ってしまう。
けれど、きっと、幸せになってはいけない人はいない。それは自分も例外ではないのだ、ということをまず「思い込む」ことから始めてみないといけないのかもしれない。
配偶者からの暴力を受けている人のための相談窓口
DV相談ナビ(電話番号):0570-0-55210
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『DRESS』4月特集は「愛すべき、私のややこしさ」。多くの人はなんらかのコンプレックスを抱えて生きています。コンプレックスを意識しすぎるとつらく、しんどいものです。でも、それをうまく受け入れ、付き合っていけば、少しだけ生きやすくなるはず。本特集ではコンプレックスと向き合うヒントをお届けしていきます。