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「いつ死んでもいい」と思うにはまだ早い。

誰にでも死は訪れるものだが、その瞬間を恐れている人も少なくはないはず。しかし、「いつ死んでもいい」と思っている人もいる。いつ死んでもいい……。そんなことが思えるほど、私たちは後悔のない人生を歩めているのだろうか。

「いつ死んでもいい」と思うにはまだ早い。

20代前半のころは「50歳ぐらいで死にたい」と思っていた。病気をしてお金がかかるのも、周りの人に迷惑がかかるのも嫌だったからだ。

ただ、年齢を重ねていくとそれもちょっとずつ変わった。25歳だと、50歳まであと半分。30歳だとあと20年かと焦り出す。もう少し生きてもいいのではないか、と思い出す。

30代半ばになると、やっぱり60歳過ぎまで生きたほうがいいのでは、と20代前半の思想がひっくり返ってしまう。いつかみんな死ぬわけだけれど、自分でコントロールしきれるところではない。

■人生の期限が誰にでもある

知人が「叔父さんが自殺した」と話していた。

ときどき、死ぬ瞬間のことを想像してみるのだけれど、ただ目の前に暗闇が広がるだけで、具体的な映像は浮かばない。だって誰も死ぬ瞬間のことを教えてくれないから。「知らない」というのはとても恐ろしい。どんな想像だって成り立ってしまう。私が想像したのは、閻魔様もいなくて、地獄も天国もない。こと切れた瞬間に思考も全て消え去る。文字通り、「自分がいなくなる」。

むしろ、魂が残るだとか、そういう概念が定着してくれていたらいいのに、と思う。肉体はメッしても、思考が残るならそれはあまり怖くない。つまり私は「死ぬ」ということより「自分が自分として確認できないような消え方をすること」が怖いのだろう。年を重ねれば誰でも、死というはなんとなく誰でもぼんやりと想像するのではないだろうか。

大きな手術をした友人は、手術の際に全身麻酔を打たれたらしい。彼女は麻酔を打たれて、意識を手放す瞬間はとても気持ちよかったのだという。だから、死ぬ瞬間もそんな感じではないかと思ったらしい。この感覚も人それぞれだなあ、と思う。

■「受け入れる」と「投げやり」は違う

いつ死ぬのか

大人になると、「まあいつかは死ぬよね」ということは了承済みだ。ただ、それは受け入れているだけであって、「いつ死んでもいい」というわけではない。

友人が「死ぬのはちっとも怖くない。いつ死んでもいい」と言っていた。彼女は良かったとしても私は困る。数少ない友人が突然いなくなったりしたら、戸惑うだろうし、何より悲しい。でも本人がちっともそんなふうに思っていないというのはちょっと寂しい気もした。

「いつ死んでもいい」のには理由があって「だいたいやりたいことはやった」と言うのだ。同い年の彼女が「だいたいやりたいことはやった」だなんて。私が欲深すぎるのだろうか。やりたい、成し遂げたいと思っていることの3分の1も消化できていない。

そんなに達観できるものなのかと更に問いを重ねると、「この先、何かいいことが待っているとも思いにくい」という回答が返ってきた。どうやら、こちらのほうが本音らしい。

■「未来はわからないからおもしろい」なんてことはない

10年後どころか、明日のことさえわからない。何が起きるのかなんて予想することはできない。みんな「少しでも明日が良いものになるように」と思っているし、そのために今日をがんばっている。

自分の未来を変えることができるのは自分だけで、どんなふうに最期の瞬間を迎えるのかも、おおよその場合は自分のこれまでの生き様を現わすことになる。

昨年末、あるアーティストがこの世を去った。自らの命を絶つという方法でいなくなった。付き合いの長い友人が好きな人だった。

その人がどんな思いで、生きることを終えたのかはわからない。ただ、彼の死をたくさんの人が悲しんだし、心を重くした。それもまた、彼の生き様。ただ、いつ死んでもいいと思っていたわけではないはずだ。

日々、自分が生き切っている、と思えるだろうか。後悔はないか。そうではないのだとしたら、「いつ死んでもいい」と思えないはずだ。

※この記事は2018年3月27日に公開されたものです

ふくだ りょうこ

シナリオライター。1982生まれ、大阪府出身。大学卒業後、2006年よりライターとして活動を始める。現在は胃が虚弱な痩せ型男性と暮らしながらラブストーリーについて考える日々。焼き鳥とハイボールと小説、好きなアイドルのライブに...

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