結婚の結

結婚の結は、結実の結かな。始まりでもあるから。他人と暮らすって大変なことです。小さな違いが互いに気になって喧嘩したり・・・。

結婚の結

DRESSで、hitomiさんと対談をした。「いろんな形の結婚があっていい」という特集だ。3度目の結婚を決断したhitomiさんと、日豪行ったり来たりの出稼ぎ婚の私。ふむふむ。確かに、いろんなかたち、のひとつかもね。

でも、hitomiさんも私も、最初からいまの形の結婚を目指していたわけじゃない。結果として今のところそうなっているということ。二人ともそれぞれに、自分の出した答えに納得している。それが傍から見てどれほど変わっていようと、「あるべき形」じゃなかろうと、夫婦の形はその二人にしか決められない。

そんなのわざわざ全部人に説明なんてしない。説明する必要がないし、したいとも思わない。大人ですから、まあ、自分で決めさせて下さいよ、ってね。外野が良いの悪いの言っても、実情は本人たちにしか分からないのだから。

結婚について思うことを色紙に書いて下さい、って言われたので、
「結婚の『結』は、起承転結の『結』じゃない」って書いた。
そう、私はかつてそう思っていた。起承転結で、幸せになる物語。それが女の子の人生だってどこかでやっぱり信じていた。だから、結婚は取り返しがつかない。結婚次第で人生の価値が決まる、とすら思い込んでいた。

でも、でも、でも。働き始めたら、結婚にすべてを決めてもらわなくたっていいやと思えた。仕事は、自分で出した結果が自分を次の場所に連れて行ってくれる。白馬の王子が来なくても、自力で歩いて、行きたいところを目指しますんで、って言える。結婚がすべてを決めるんじゃないなら、相手はスーパーマンじゃなくてもいいやと思った。だから今の夫は、親が満点をつけて友人が悔しがるようなきらびやかな王子様じゃない。だけど、好きな人と結婚した。

結婚の結は、敢えて言うなら結実の結かな。実は結果だけど、始まりでもある。

きらびやかな王子様との結婚を人生最大の目標としている人の結婚観を否定するつもりはない。だって私の人生じゃないし。けど、もし彼女が「きらびやかな王子様との結婚は私という女の人生を完成させてくれる」と思っているのなら、「いやまだ全然終わってないから!」と言いたい。
だって、他人と暮らすって大変なことですよ。


最近久々に知人が結婚することになり、お祝いのご飯を食べたのだけど、結婚を前にして彼と一緒に住み始めて泣くほど喧嘩したのは「部屋の片付け方の違い」「ご飯のタイミングの違い」だそうだ。うんうん、愛とは人生とは、なんてことで深刻な喧嘩はしないよね。暮らし方の小さな違いに互いの人間性やら人生観を読み取って、どうでもいいような行き違いで、結果ものすごく深刻になってしまうことが「同じ日常を生きる」ってことだと思う。

人に話すと完全に笑い話。でもそのときの本人たちは修羅場。ああ、家族って家族って! だよね。それぐらい絵にならない話なんだ、生きてるってことは。

だから、どこぞのスーパーマンが文句なしのエンディングを持って来てくれるとか、自分の努力次第で完全無欠の幸せストーリーを仕上げられるとか、浮世離れしたことは言ってられない。この先もこの人と、絵にならない毎日をどうやって生き延びようか、って考える地味さの中に、自分たちだけの物語が紡がれる。それは人に見せるためのものでも、見せられるような形の整ったものでもないけれど、確かに自分の五感で生きた、更新され続ける現実なのだと思う。

 

小島 慶子

タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族と暮らすオーストラリアと仕事のある日本を往復する生活。小説『わたしの神様』が文庫化。3人の働く女たち。人気者も、デキる女も、幸せママも、女であることすら、目指せば全部しんどくなる...

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