「家族」は「大切」にしなければならないのか
多くの人は「家族は大切にしなければならない」と教えられてきたのではないだろうか。しかし、必ずしもその教えを守らなければならない、というわけではない。家族はときに、敵になることだってある。”一般的な”常識として社会に存在する「家族を大切にする」ことについて考えてみる。
小さいころから「家族は大切にしなさい」と誰からともなく言われてきた。
当たり前のことだから、異を唱えると白い目で見られる。
家族はかけがえのない存在で、慈しまなければならない、困っていたら助けなければならない。両親は大切にしよう、育ててくれた恩は返さなければならない。果たして本当にそうなのだろうか。
■「家族を大切にする」の刷り込みが人を不幸にすることだってある
家族が大好きだ、という人はその気持ちのままに動けばいい。大切にすればいい。それはとても素晴らしい感情で、幸せなことだと思う。
しかし、わかってほしいのが、すべての人が家族が好きだというわけではないということだ。
自分の子どもが大切で仕方がない、という父親、母親だけではない。
孫がかわいい、と祖父母が必ずしも思っているわけではない。
子が両親を尊敬しているとも限らない。
「昔は反抗してばかりだったけど、大人になって親には改めて感謝しているよ」という人ばかりではない。大人になって、親の不甲斐なさ、間違いに気付くことだってある。
世の中には本気で子が憎いという人もいるし、両親と二度と会いたくない、と思っている人もいる。両親は初めて会う他人だ。親の影響があるにせよ、今存在する「自分」は別人格だ。
■家族に会わなければならない、は間違い。
正月やお盆の時期になると、実家に帰るという人は多い。
しかし、それが気が重いという人も多いのではないだろうか。貴重な時間、会いたくなければ会いに行かなくていい、と思う。血がつながっている家族が自分の味方とは限らない。
あなたが持っているコンプレックスはどこで生まれたものだろうか。
家族の心ない一言や、無意識の行動によって生まれたという人もいるのではないだろうか。
そうなのだとしたら、無理に会いに行く必要はない。
あなたの両親に会いたいと思っている人は他にいるかもしれない。いなければ、それは自業自得だ。周りから人がいなくなるのは本人たちの責任だ。かわいそうだから、と同情して会いに行けば、自分が傷つくだけだ。
■「家族」は血がつながっている人だけではない。
”血のつながり”というのは厄介で、同じ両親から生まれた兄弟ならばどうにかしてあげなければ、と思う。自分を産んでくれた両親には尽くさなければならない、と思ってしまう。
しかし、自分の存在をないがしろにする人は家族ではない。
私の父は子どもに暴力を振るう人だった。
その暴力に愛があったわけではない。自分の思い通りにならないから、自分が思ったような子が生まれてこなかったから、貶めるようなあだ名をつけて、自分がつけた名前を呼ぶこともなかった。そんな人を家族だからと大切にできるだろうか。
血のつながりがあるからと言って家族ではない。
血がつながっていなかったとしても、あなたのことを大事にし、守ってくれる人。そして、あなた自身も守りたいと思える人。それが家族だ。自分を傷つける人のこと、家族であったとしても、切り捨てればいい。自分の心を守れるのは自分だけだ。