挑戦する人生は面白い。アメリカ永住権が当選した家族に聞く「移住の理由」 2/2
移住後、なんと日本語プログラムのある小学校は抽選式で、その年はもう入れないということがわかりました。そこで急遽、子どもたちは近所の市立小学校へ通うことに。長女は3年生、次女は1年生。もちろん英語はまったく話せません。
1年生の次女は、周りもみんな初の小学校ということもあり、言葉ができないながらも遊べていたようですが、長女の方は、授業も相応に進んでいるので大変です。
ある日小学校へお迎えに行くと、長女が泣いていました。驚いて理由を尋ねると、「誰かが自分のバックパックにおもちゃを入れて、知らないうちに自分が取ったことにされていて、先生に怒られた」とのこと。
彼女の名誉のためにも、絶対に誤解を解きたいと思った裕子さんですが、語学コースに通い始めて間もない彼女の英語もたどたどしく、まったくと言っていいほど通じません。親子ふたりで悔し涙を流しながら訴えるものの、先生との会話は平行線です。
結局、先生が電話による日本語通訳サービスを利用して、なんとか言いたいことをわかってもらいましたが、裕子さんにとってこの経験はかなり堪えたそうです。
そこで、学校のことをもっと知りたいと考えた彼女は、PTAの一員になり、右も左もわからないまま全会合に参加することに。
最初は語学の壁に苦しむものの、子どもの同級生家族とも頻繁に顔を合わせることで次第に打ち解け、なにかと助けてもらえるようになりました。また、会議の通訳として、市が派遣してくれた日本人女性とも仲良くなれたのだとか。
■アメリカでの仕事探し
英語が苦手な夫婦の仕事探しは、日本語の求人サイトを通して行いました。淳史さんは、英語を喋る必要のない日本の運送会社やレストランなどでの仕事を経て、現在は、庭園関連の仕事に就いています。
裕子さんが仕事探しを考えたのは、移住後1年半ほど経ってから。子どもたちもある程度アメリカに慣れ、また、翌年9月から無事、日本語プログラムのある公立校へ入ることができた頃。また、これまでより治安が良いぶん、家賃の高いアパートへ引っ越すこともきっかけになりました。
職場の仲間と日蝕観察
彼女が就職したのは、日本人女性が経営するおしゃれなカフェ。その日に提供する和菓子やおにぎりを早朝から作り、配達する仕事です。
オレゴン州では、10歳以下の子どもを子どもだけで家に残すことは、違法行為とみなされてしまうので、小学校が終わる2時15分のお迎えに行けることが条件となると、仕事は限られてきます。
高い倍率の中、英語ができないのにこのカフェで採用されたのは、渡米前に取得したお菓子デコレーションコース修了証のおかげだったとか。
■移住してよかったことは?
ご近所さんとのバーベキュー
移住当初は、1カ月に2度ほどパトカーがやってくるほど治安が悪く、共同ランドリールームも汚くて使えないアパートに住んでいたという高木家。
知り合いもおらず、言葉も不自由な暮らしには、苦労が多いように思えます。けれど、裕子さんに「移住してよかった?」と聞けば、迷いなく「はい」の答え。一番良かったことは、「自分の世界が広がった」ことだそうです。
「日本であのまま生活していたら、絶対に出会えなかった人との出会いがあった。アメリカ人や他の国からの移住者、それに、こっちに住んでいる日本の人にもたくさん刺激を受けている。例えば、日本から移住してきた通訳の方は、自分の行く道を示してくれた」とのこと。
■移住について考えている方へ
裕子さんは現在も、英語ではまだまだ毎日悔しい思いをしているそうです。大学の語学コースは引越しを機に辞め、最近は、図書館の無料の英語教室に週2回通い始めました。そこには、中国やロシア、ヒスパニック系の女性たちが子どもを連れてきています。
いつ国に帰らなければいけないかもわからない彼女たちは、以前の語学コースの生徒とは違う必死さで授業に取り組んでいて、その上達ぶりも目をみはるものだとか。
さまざまなシーンで刺激を受けながら、知人を増やし、家族の生活を守っています。
そんな彼女のこの先の夢は「家を買うこと」。その理由は、「そうすれば、もっとこの場所に根付いた感じがするから」だそうです。
最後に、裕子さんから移住について迷っている人への言葉です。
「こちらに来てみたら、視野が広がります。大変なこともありますが、お金じゃなくて、私たちの人生財産になる、いい意味での苦労だと思います。
私たちにとっては、子どもの笑顔が一番です。ポートランドの街は、自然が多くて空気がきれいなのか、娘たちの喘息の症状がピタリとなくなりました。公園の豊かさにも圧倒されます。ポートランドに来てよかった!
人に誇れるようなものはないですが、挑戦していく人生は、なかなか楽しいですよ! 体力はいるけれど(笑)」