渡豪の顛末2

子どもに寛大になれるのに夫にはなれない。そんなところが今回の移住で少し変わりました。今は普通に大好きになりました。

渡豪の顛末2

前回書いたようなわけで、日豪行ったり来たりの生活が始まった。
 
何が素晴らしいって、テレビ電話。Facetime とか Skype とか LINE の
ビデオ通話とか、なんでもある。
 
技術って有り難い!
世界中の遠距離カップルや単身赴任者が救われているはず。
 
そして、距離って有り難い!
一緒にいるときには細かく気になってしまうことが、距離があるとなんとかなる。
 
夫は頭蓋骨が大きいので、口を閉じてものを噛んでいても反響する。隣りに座って食事をしていると、その咀嚼音が気になってイライラすることがあった。ひゃー、書きながら自分の偏狭さにびっくり。
 
でも、一緒に暮らしているとそういう細かいことってじわじわ積み重なるものなのだ。くしゃみがうるさいことも。
気をつけているようなのだが、何しろ頭蓋骨が大きいから音が響く。
 
くしゃみ一つで軽く殺意って、私どれだけ了見狭いわけ?
 
とは思うものの、縄張り意識の強い私にとって自分の生活空間で異音がするのはなかなか気に障る。これが子どもだとさほど気にならないという理不尽さ。
 
行ったり来たりの暮らしは、その細かい苛立ちがしんしんと降り積もる閉鎖空間を定期的にリセットできるのだ。
離れれば忘れる。近くに来て少しすると気になる。でもまた離れる。
 
これって……いいかも……
 
私は夫が大好きなのだが、大好きでも気になることはある。嫌いな部分もある。性分として私は、何かに違和感を覚えたり嫌悪感を覚えると、その対象を隈無く観察して、なぜ嫌いなのかをとことん考えてしまう。
 
その作業を経てようやく、嫌いという感情から解放される(かえって強化される場合もある)ので、一緒に暮らしている人間からしたらものすごく迷惑だと思う。
 
ぼんやり眺めていた草の葉に、芋虫を一匹見つけたとたん、それまで見えていなかった無数の幼虫に気づいてしまう!!!
 
って経験ありません?
あんな感じで、近くで集中して見過ぎちゃうとよくないみたい。
私の場合は、そうなったら草原中の幼虫を数えなきゃ気が済まない。
 
いやだよねー、そんな同居人。
 
人間はみんな不完全で、不細工で不格好で、弱くてずるい面がある。私なんかそのだだ漏れを夫に浴びせて生きているようなものだけど、どうして彼に対してはこんなに寛容になれないのか。
 
そして動かしがたい事実として、子どもは気にならない。夫は気になる。成長過程にある人々の不完全さには寛大になれるのに、仕上がったものの不具合にはクレームを付けたくなるのだ。
 
仕上がっちゃいないのにね。お互い、変わり続けるものなのに。
人と向き合うのはしんどいけど、そうやって関係を更新し続ける間柄が、家族なのかも知れないと思う。
 
昔はイヤだと思ったら別れていた。でも今は、細かく気にしながらもお互い様で工夫しないといけない。
 
それで今回の渡豪もまた、関係が変わるいい契機になった。
行く前より、夫が好きになった。
 
前は夫に対して、こんな女と結婚してくれて有り難うという気持ちと、こんな女で申し訳ないという気持ちでいっぱいだったけど、だからちょっと仏様を拝むみたいな気持ちだったんだけど、今は普通に大好き。
 
もしかしたら、心理面で彼に対して多大な負い目を感じていた私が、こうして経済的に彼と子どもたちを支えることでバランスがとれたのかも。
 
始まったばかりの新生活。
今のところは、そんな心境でいる。



 

小島 慶子

タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族と暮らすオーストラリアと仕事のある日本を往復する生活。小説『わたしの神様』が文庫化。3人の働く女たち。人気者も、デキる女も、幸せママも、女であることすら、目指せば全部しんどくなる...

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