化けの皮は最後までかぶっていてほしい
多くの人は、好きな人の前ではちょっとだけいい自分を見せたい。恋愛でも友情でも。けど、少し心の距離が縮まると、決まってありのままの姿を見せようとする。しかし、相手はありのままの姿を見せられることを望んでいるのだろうか。
世の中に、「嫌われ者になりたい」と思っている人はどれぐらいいるのだろうか。
少なくとも、私はできるだけたくさんの人に好かれたい。いい人だと思われたい。悪意を向けられるのは辛いし、悪意に対抗するのも疲れる。
だから、演じるというわけではないけれど、自分が考えられる限りのいい人でいようと思うし、嫌われないように少しだけ努力する。素のままで生きられればいいのだけれど、ありのままの自分でいるには、この世は少し息苦しい。
■自分の中の”いやらしい部分”を隠す
「こんなことを言ったら嫌われるだろうなあ」
「嫌がられるだろうなあ」
そう思って、自分が言いたいこと、したいことを我慢することはあるはずだ。
その時々によるだろうけれど、相手に不快な思いをさせたくない、嫌われたくないから、という気持ちから自重するのではないだろうか。
でも、どうしても相手に嫌悪感を抱かれてしまいそうなことを言いたいときは、ちょっとだけ予防線を張る。
「こんなことを言ったら、性格が悪いと思われるかもしれないんだけど」などと言って、自分でも、今からする発言は良いこととは思っていない、でも、どうしても我慢できなくってね。少しだけ、自分がかわいそうなフリをして話す。
女性同士で話すときにないだろうか。
ただ悪口が言いたいだけなのに、嫌な女と思われたくなくて被害者ヅラして言ってしまうことが。
私はある。
そんなときは、相手の顔色をものすごく伺う。
少しでも不快そうな顔をされたら話を変える。
同情の色が覗いたら、口はなめらかになる。
本当は思いっきり、心の中に溜まっている澱のようなものを吐き出したいのだ。このときの自分の顔はきっと意地悪なものになっているだろう。醜い、と思う。
そして、その話を聞いているとき相手は、どんな心持ちなのだろうか。
■親しき仲にも壁を作り続けたい
初対面の相手に対してはできるだけいい部分を見せたい。
好印象を持ってもらいたい、という気持ちが働くからだ。
でも、仲が良くなってくると、気が緩む。緊張感がなくなる。言いたいことを言えるようになる。
「あなたのことは信用しているから言っているんだよ」
なんていう免罪符だろう。
誰も本音を言ってほしいだなんて頼んでいないし、できれば、ずっと少しの緊張感は持ったまま接してほしかった。
何でも言っていい、と思うと人は途端に乱暴になる気がする。
仲が良いなら、相手にとって自分は大切な存在のはずなのに、急に存在が軽くなってしまったような気になる。
そして、今のあなたは、以前好きだった・仲良くなりたいと思ったあなたではない。
好きになってもらいたい人の前ではいいカッコをしたくなる。でも、一度カッコをつけたなら、ずっと続けていてほしい。
――本音で話ができないなんて友だちじゃない。
そう思うだろうか?
でも、周りが知っているのは本音をさらけ出していないあなたの姿かもしれない。
仲良くなったからと言って本当の私を見て! 好きになって! と言い出すのは友人関係において少し重荷ではないだろうか。
ファーストインプレッションは大事だという。
その印象が、強く心に残る。好印象を抱いたのも、仲良くなりたいと思ったのも、その姿だ。
そんなあなたに対して、そのままでいてほしい、というのはエゴだろうか。