インド発の世界にひとつだけの絵本『夜の木』は、手にするだけで胸がときめく
南インド、チェンナイの小さな出版社から届く、手づくりの絵本『夜の木』。手漉(す)きの紙に、手作業で一枚ずつ印刷され、人の手で綴じられた世界にひとつだけの本には、不思議なぬくもりが宿っています。ざらりとした漆黒の紙に原初的なインドの神話世界を描き、世界中で感動を呼んだ絵本『夜の木』の日本語版をご紹介。
こんにちは、島本薫です。
吹く風もずいぶん涼しくなり、いよいよ夜の長い季節の始まりですね。今回は、暑さの残る秋の夜長にぴったりの、美しい手づくり絵本の話をお伝えしましょう。
■豊かな時間と人の手が生み出した、インドの「手づくり絵本」
表紙の絵は版によって異なる。初版に使われた「ドゥーマルの木」は、結婚を祝福する木だという。
その本は、手にしただけで胸が震えるものでした。
タイトルは『夜の木』。ずっしりした大型本で、厚みのある黒い表紙には、鮮やかな色彩で一本の木が描かれています。うねうねと流れるような曲線の木は、中央インドで暮らすゴンド族の伝統的なアート手法で描かれているのだとか。
まだページをめくってもいないのに、こんなにどきどきするなんて――。
とても不思議で、新鮮な感覚でした。これが、手をかけ、時間をかけてつくられた本当の「手づくり」の力なのでしょうか。扉を開ける前から、この本にかけられた豊かな時間の流れが伝わってきます。
なにも急いで読むことはない。ゆったりと、心ゆくまで時間をかけて、一つひとつの絵や言葉を味わえばいい。そんな絵本との付き合い方を思い出させてくれ、自分のまわりの時間がゆっくり流れ出すのを感じます。
2008年の「ボローニャ・ブックフェア」で、優れたデザインの本に贈られるラガッツィ賞を受賞し、世界中の注目を集めたこの絵本。
手にしただけで静かで豊かな力が伝わってくる『夜の木』とは、どんな絵本なのでしょう。
第2版の表紙の木には、リスの姿が見え隠れ。
■絵本『夜の木』には、木にまつわるインドの神話的世界が美しく描かれている
第3版の表紙は「12本の角のある木」。
『夜の木』は、原題を “The Night Life of Trees” といい、中央インドのゴンド民族出身の3人のアーティストが、木にまつわるインドの神話的な世界を描いたものです。
闇夜に光る精霊の宿る木。愛し合う木々。生き物との関わり。
昼間は何も語らずそこにいる木々が、夜のしじまの中で見せる不思議な横顔と、どこか懐かしい世界の始まりの頃の物語。黒い紙の上に広がる鮮やかな木々は、大胆さと繊細さがあいまった独特の力強さを放ち、ページをめくるたびに見る者の心を引きつけて放しません。
とはいえ高尚で近寄りがたいわけではなく、時に優しく時にユーモラスな語り口で、読み手の五感をゆさぶる絵本なのです。
――絵本が「五感」をゆさぶる?
そうなんです。絵と言葉だけではなく、ざっくりした紙の手ざわりやインクの匂いも、原初の世界を彩るのに一役買っています。この紙も、『夜の木』のためにつくられた手づくりのものなんです。
第4版の「森で踊る孔雀」に使われている若草色は、日本版だけのオリジナルだという。
■紙漉き・印刷・製本――すべてが手作業でつくられる
『夜の木』は、すべての工程が――なんと絵本に使う紙までが、人の手でつくられています。
古いコットン生地の繊維を溶かし、職人が手で漉(す)いて、自然の風で乾燥させた紙からは、なんともいえない独特の風合いが伝わってきます。黒を背景にした『夜の木』のための紙をつくるときは、原料に黒い古布だけを使い、漂白や品質調整のための化学薬品は使わないのだとか。
笑いながら、おしゃべりしながら、時には昼寝をするほどのゆとりの中でつくられた紙。この紙ができたら、次は一枚一枚、シルクスクリーンでの印刷作業です。
木製のスクリーンにインクを盛って手刷りする人、刷った紙を取る人、刷った紙を乾燥棚に載せる人と、3人1組で一色ずつ色を重ねること数十回。機械を使えば一度に数十ページを印刷できるこの工程も、『夜の木』の場合、なんと1ページにつき82回も刷っては乾かすことを繰り返しているそうです。
すべてのページが揃ったら、麻紐でかがり、製本です。人の手でボール紙に貼り合わされた表紙をつけて、ようやく完成。この表紙も版ごとに変えているというから、ニクイではありませんか。
一冊の本ができるまでにかけられた長い時間の流れ。これも、『夜の木』に流れる悠久の時間と響き合っているのでしょう。
こうしてつくられた絵本の裏表紙には、「xxxx of 2000」などのシリアルナンバー(手書きです!)がつけられ、まさに世界にひとつだけの本となって、読者のもとに届くのです。
■世界中の本好きを魅了するインドの小さな出版社、タラブックス
第5版の絵は「聖なる木」。2016年4月に販売を開始後、すぐに完売となった。
この魅力的な本を送り出しているのは、南インドのチェンナイ(マドラス)にあるタラブックス(Tara Books)という小さな出版社です。
タラブックスを立ち上げたふたりの女性編集者は、「手づくり」にこだわった本をつくろうとしていたわけではありません。その根底にあったのは、口承文化を尊ぶ多言語の国インドでは手に入らない、インドの子供のための、インドならではの本――大人の自己満足ではなく、子供が楽しめる本をつくりたいという想いでした。
ハンドメイドの本が誕生したのはあくまで偶然。
手漉きの紙に手印刷したサンプルページを見た外国の編集者から、「これと同じものをお願い」と言われたのがきっかけだそうです。実際、タラブックスでは機械印刷でつくられた本も多く、こちらも高い評価を得ています。
手づくりの本には、手づくりならではのリスクがつきものです。職人を育てる手間も必要なら、ミスプリントもある。この日までに何千部用意してほしい、と言われても、「ごめんなさい、この本は一年待ちです」と伝えることも多いのだとか。
それでも、会社を大きくして利益を上げることを優先するのではなく、互いの顔がわかる人数で、ゆっくりじっくり本をつくる選択をとってきた姿勢が、質の高い本を生み出しているのでしょう。タラブックスの本は世界中で愛され、共感を呼んでいます。
日本でも『夜の木』のほか約10冊の本が翻訳出版されているほか、タラブックスの本づくりや働き方そのものに注目した本も生まれました。2017年11月からは、板橋区立美術館でタラブックスの絵本や本づくりの姿勢を紹介する展示会も開催される予定です。
忙しい毎日に豊かな時間をもたらしてくれる、宝物のようなタラブックスの手づくり絵本。第5版が完売となってから一年近く経ち、2017年9月に待望の第6版が発売されることになりました。がんばっている自分へのご褒美に、大切な誰かへの贈りものに、この機会にぜひお手に取ってみてください。
第6版の表紙は「蛇と大地」を描いた木に。完売必須のため、確実に手に入れたい方は書店で予約を。
『夜の木』6刷 は、出荷の準備を進めております。 書店店頭(一部の)に並ぶのは9月10日ころになりそうです。 またお近くの書店でもご注文いただけます。 直接タムラ堂にご注文いただくこともできますが、 書店等でご購入いただければ幸いです。 直接タムラ堂へのご注文は、9月4日以降にお受けしますが、 発送には、少し時間がかかるかもしれませんのでご了承ください。 (2017.9.1)
■『夜の木』(原題“The Night Life of Trees”)書籍・イベント情報
■展覧会「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦」
原画や大判のシルクスクリーンが展示されるほか、本ができるまでの過程を記録した映像も公開されるそうです。
会場:板橋区立美術館
会期:2017年11月25日(土)〜2018年1月8日(月・祝)
http://www.itabashiartmuseum.jp/exhibition/ex171125.html