「カマキリ女」になってはいけない
カマキリ女化、していないだろうか。「女性はみんなカマキリだ」。これはKさん(外資系金融・アラフィフ・二児の父)の言葉。男性が恐れる、"カマキリ女"とは一体……? 少しずつ変わっていく女性とそのパートナーである男性心理をご紹介していきます。
■“カマキリ女”とは
「渡辺純一の『失楽園』の文中に出てくるカマキリのメスって、卵産んでオスがいらなくなると、オスを食べちゃうんだよ」
そうKさん(外資系金融・アラフィフ・二児の父)は教えてくれた。
さすがの私も、「えーと、奥様は、"カマキリのメス"なのですか?」とは聞けなかった。
Kさんは非常にクレバーな方なので、私の困惑を読み取ってくれたのだろう、「俺はまだ、食べられてはない。生かされているということは、まだ利用価値があるということなのだろう」と続けて言って、にやっとした。
■少しずつ、少しずつ変わっていく女
得てして、男性はロマンチストで、女性はリアリスト。したがって日常生活において、女性は男性に「この女性は俺のことが好きなかわいいやつだ」と思わせるスキルが必要なこともある。そして、”恋愛”の初期フェーズだと、そのテクニックを駆使するのが女性というもの。
みなさん、身に覚えはないでしょうか。電話やメールにはすぐ返していたでしょうし、家でご飯を作って待ち構えていたり。男性が、「うざいな~」と言いながらも、「この女性は俺のことが好きなかわいいやつだ」と思ってくれる方法、とってはいませんでしたか(私だけでしょうか……)。
一方、めでたくご結婚/同棲・同居、となるとどうでございましょう。ことに、女性はだんだん"かわいいフリ"をしなくなる。そして、男性のことを、次第に衣食住を維持するための"手段"としてみるようになっていくのですよ。
平日残業をしてくる夫さん/彼氏の夕飯を作っておいてあげない・もしくは残しておかない。だけど、子供の土日の習い事の送り迎えの運転手は、前もって夫さん/彼氏のカレンダーに入れておく。
夫さん/彼氏がたとえ気を使って、「夕飯は俺の分を残しておかなくてもいいよ~」と言ったとしても、"かわいいフリ"をする女であれば、ご飯一膳とおかずをキープしておかないだろうか。
どうですか、みなさん、夫さんが名実ともに”彼氏”だった頃には、そういうこと、していたでしょう。
そう、この変化こそ、"カマキリ女"への大きな一歩。
■"カマキリ女"のなにが悪いか
「うちの夫/彼氏はATM」
「うちの夫/彼氏は家事もしない」
「うちの夫/彼氏は運転手ならできる」etc.
結婚ステータス問わず、long term-relationship(長期的に特定のパートナーがいる関係)を持つ"カマキリ女"から、よく耳にする言葉。このご発言の裏にあるのは、男女平等の思想というよりは、「この男は私にとって"使える"or"使えない"」のジャッジではないだろうか。
生活はおままごとではなく、一種の超長期プロジェクトのようなものだから、夫/彼氏/パートナーの家事能力を冷静に査定・ジャッジし、レバレッジをかける(=得意なものやできることを伸ばして最大限活用する)ことは確かに必要。しかし、男性は、「この女は俺をジャッジしている」と思った途端に、夢を見ることができる”素敵な・好きな女性”として見られなくなっていく。
そりゃそうです、生活のための能力査定をされたら、パートナーが会社の上司か同僚みたいになり、おうちなのに会社にいるみたいになってしまうもの。
■"カマキリ女"を妻にした男は、高確率で浮気をする
男性がパートナーの女性を、"カマキリ女"だと認識したとき、その男性が社会的・金銭的に甲斐性があったり、人間として他の女性を引き付ける魅力があったりする場合、かなりの確率で男性は浮気に走るようです(ユキ総研調べ。サンプル数はアラフォー以上の既婚男性20人程度)。
自尊心を満たしてくれるほかの女性を探す。上司か同僚ではない、ロマンスを与えてくれる別の女性を見つける。むむむ。
ところがしかし、“カマキリ女”は、そういうときに臆さず、開き直ります。浮気に気づいて咎めたとしても、別れさせたとしても、決して離婚はしない。
「今さら何を言ってるの?」
その開き直りは、まさに用が済んで(=交尾が済んで)、オスを栄養源にせんとすカマキリのメスがカマを降りかかるまさにその瞬間。パートナーの男性を生活のための"ツール"として見ていた! という開き直りのカマがきらりと光るのです。
■"カマキリ女"にならないことは、女性から男性への最大の誠意かもしれない
こと生活、とくに家事や育児については、女性が舵を切らなければならないのが、まだまだ現実としては多い。それでも、女性が家事や育児の舵を切るにしても、外資系の無慈悲なUp or Outを決め込むマネジャーのようにパートナーの男性に接してはいけないの。
生活のためにあなたといる、ではなく、「あなたといたいから、一緒にいる」と伝える機会やまなざしを忘れずにいることは、カマ(ジャッジ)は隠しておくということ。すんでのところで"カマキリ女"にならないということ。
それが何よりも、女性から男性への最大の誠意かもしれませんね。