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瞑想で“完全に一人になる”すすめ【紫原明子 連載 #14】

アイソレーションタンクでの瞑想体験を機に、日々「瞑想っぽい」時間を取り入れるようになった。そんな中、気づいたのは自分の感覚に気づく力が研ぎ澄まされてきたこと。いつでもどこでも他人とつながりやすい時代、あえて一人になることが重要なのではないか。

瞑想で“完全に一人になる”すすめ【紫原明子 連載 #14】

もう何年も前に「アイソレーションタンク」という謎のマシンに入ったことがある。マシンは人一人が寝転がって入れるくらいの広さで、中には人肌に温められた高濃度の塩水が張られている。

ここに素っ裸になった状態で浮かんで、1〜2時間ほど瞑想をするのだ。一度タンクの蓋を閉めてしまえば、外からの音や光は一切遮断される。

アイソレーションは日本語で「孤立」「孤独」という意味で、タンクはそのままのタンク。五感から得る情報を最小限に留め、外部から隔絶された中で瞑想できる、というのがこのマシンの売りだ。

とはいえ、正直に言って当時の私は、瞑想をやりにアイソレーションタンクに入ったのでなく、高濃度の塩水に浮いてみたくてアイソレーションタンクに入りに行った。何せ死海に行くにはお金がかかる。

高城剛さんや石川善樹さんの本でしきりにおすすめされている瞑想。集中力が増し、生産性が高まるなど、様々な効果がうたわれている。

すでにかなりメジャーなものになっているので、もしかしたらあなたはとっくに実践済みかもしれないけれど、念のためにご説明しておくと、瞑想って結構難しいのだ。

静まれ〜と命じたところで素直に静まらない、それが自己。当然っちゃ当然なのだが、なんと私はそのことを、タンクの中で初めて知ることとなったのであった。

■初めての瞑想で、心は無にならなかった

施設の人に簡単な指導を受け、いざタンクにイン。大の字になって寝転がると、確かに体が浮かぶ。

……おお、体が軽い! 不思議な感覚に胸も高鳴る。よーし、いよいよ瞑想状態に突入だ、レッツ心を無に!

……と意気込んだは良いものの、意に反して自分の頭の中は突如、すごい勢いで回転し始めるのだ。

“……あれはこうだからこうしてそうして、いやいや今はそういうことを考えてはいけない、心を無にするんだ……ということを考えてやろうとしている時点でやっぱり考えちゃってるわけで私ってそもそもそういうとこあるんだよなー。この前やった仕事にもそういう気質でちゃったし……ってやっぱり考えてしまってるから無に……ってこの思考のループ体験面白いから誰かに教えたい、あの人はこういう体験に興味ありそうだし、記事にしてもよさそう……いやいやまた考えてしまっているじゃないか、無、無だ、いや無って難しいな、どうやるんだろうな……”

タンクの中では延々と、いわゆる邪念に次ぐ邪念が湧き続けた。ああだめだめ、うるさいうるさいと、一つひとつに抵抗し続けているうちに、なんと予定されていた60分が終了。

心を無にしたというよりむしろ、心の雑音を好きなだけ暴走させたという感じで、初めての瞑想体験は幕を閉じた。

皮肉にも、体を起こし、タンクの外に出た瞬間にようやく、うるさく鳴り続けた自分の声が静まったようにも感じられ、瞑想ってこんなにも難しいことなのかと思わされた。

■瞑想がもたらしたもの

タンクに入ったのは後にも先にもあの一度きりだけれど、その後も気まぐれに瞑想にはチャレンジしていた。とくに今年に入って、なんとなく心がざわつくことが多かったので、毎日の中にほんの数分程度、瞑想っぽい時間、何もせずに座っている時間を取り入れるようにしてみた。

相変わらず、心を沈めようとすると決まってあのときと同じように、雑音の津波に襲われる。耐えている時間は苦痛で仕方ない。

うるさーーーい! と毎度、自分に爆発しそうになったり、鬱屈として、もうムリ……というような投げやりな気持ちになったり、スマホを見たくなったり。

けれども、しつこく続けているうちに、最近になって自分の気分に、ちょっとした変化の兆しを感じるようになった。

日常のふとした瞬間、“ああ、あったかいな”とか、“ああ、気持ちがいいな”という風に、普段なら拾い上げることもなく通り過ぎている自分の感覚を、以前よりはっきりと自覚できるようになってきたのだ。

もっと正確に言えば、“私は今、あったかいと感じているな”、“気持ちがいいと感じているな”というように、自分の意識を、どこか他人のことのように俯瞰して捉えられることが多くなった。

私はこんな風に感じていたのだ、と知ることは、逆に言えば今までそこにまったく注意をはらってこなかったということで、私は、自分の感覚を随分粗末に扱ってきたということなのかも、とも思わされた。瞑想によってもたらされた気づきだ。

■一人になるための時間と空間が私たちには必要

心がざわついたり、思考が暴走したりするとき、単に心や思考を止めるだけなら、だらだらとTwitterを見たり、延々とスマホゲームに興じたり、下品なゴシップを追っかけているだけでいい。その方が、下手な瞑想をするよりよほど我を忘れられる。

だけど、そういうのは一時的に気をそらすとか、一時的に臭いものに蓋をするとか、ほんの一瞬の効果しかもたらさない。本質的な解決や改善が必要な場合には、あまり機能しないような気がする。

思うに、大事なのは、“ちゃんと一人になる”ことではないだろうか。

私たちの日常の中には、一人になれる時間って実はあんまりない。たとえ体が一人でいたって、誰かとスマホでやりとりしていたり、誰かとの関係性について思い巡らせてみたり、心の中には絶えず他人の介入を許してしまうのだ。

だけど、それだけ嫌が応にも人とつながっていなければならない時代だからこそ、ほかでもない自分が今、何を思い、何を感じているのか。極力ほかの誰をも踏み込ませない静けさの中で、自分の声に、耳を傾ける時間をとるべきなんじゃないかと思う。

そして瞑想というのは、それを実現するための、いわば地ならしのようなものだ。毎日シャワーのように情報を浴び続けている中で、意識的に情報を遮断し、コントロールの効かない自分をコントロール下に置く、そのための試合を挑むこと。

当然ながら、負け続ける。負け続けるのだけれど、そんな中にもふと気がつけばあるとき、整地された歩きやすい土地が、自分を中心に広がっていることに気づく。そうやって私たちは、ちゃんと一人になるための空間を確保していかなくてはならないのだろうと思うのだ。

紫原 明子

エッセイスト。1982年福岡県生。二児を育てるシングルマザー。個人ブログ『手の中で膨らむ』が話題となり執筆活動を本格化。『家族無計画』『りこんのこども』(cakes)、『世界は一人の女を受け止められる』(SOLO)など連載多...

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