嫁姑

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夫の中に母親の影響かも知れないと思うものを見つけると、対抗心を燃やしてしまう。息子たちが結婚したら、その伴侶にも意地悪するのではないかと姑の資質が備わっていることを自覚した。

嫁姑

私には姑がいない。夫の両親は、私が夫に出会う前に他界している。
だから嫁として姑に気兼ねしたり、付き合いに苦労したりということを経験したことはない。私は性分からしてきっと世界中のどんな姑とも相性が悪いと思うので、存命だったらきっとお互いうんざりしていただろうと思う。

姑がいないにも関わらず、夫の中に母親の影響かも知れないと思うものをちょっとでも見つけると、我知らず対抗心を燃やしてしまう。
なぜか、前につきあっていた女のことはさほど気にならない。正直、前の彼女たちのつけた癖の方が多いと思うのだが。

ともあれ姑を意識してみたところで、育てた人に適うわけがないのである。と知りながらも、つい夫のちょっとした習慣などを見つけては、

ねえ、それは小さい頃からしていることなの?
ふーん、もしかして、お母さんの刷り込みかもね……

などとあてつけがましく言ってしまう。我ながら了見が狭い。しかしこうやってひとつひとつ母の呪縛を解いていくのが妻の性分というものではないか。だから世間では嫁姑の争いが絶えないのだろう。一人の男の習慣づけを巡って、母親と妻との上書き合戦が永遠に続くのだ。

亡き姑には会ったことがないから、なんの恨みもないし、夫はむしろ素直に良く育ったという印象の人物なので、姑にはとても感謝している。きっと私よりもはるかに子育て上手だったのに違いない。

しかし、それがまたちょっと面白くない。もし生きていたら私なんかダメ出しされっぱなしだったに違いないと勝手に想像しては、なにかと引け目に感じてしまうのだ。だから、たまに姑の手ぬかりを見つけるとホッとする。

夫は頭の形が悪い。乗馬のヘルメットを探すのが大変だった。ようやく探したのを被ると、キノコが馬に乗っているように見える。それというのも、頭が大きいだけでなく、後頭部が平らだからなのであった。

一体どんな寝かせ方したのよ!とその度に思う。赤ちゃんの頭の形とか、なんにも気にしなかったの?

しなかったのだろう、昭和とはそういう時代だ。
仰向けじゃないとぐずるとか、何か事情があったのかも知れない。

私なんてね、息子たちの頭をしょっちゅう右に左にひっくり返して、すっごく気をつかったんだから! と、とても得意な気持ちになる。

そんなことしか私には姑に誇れる手柄がないのである。

今、自分が二人の息子の母親になってみると、男の子が初めて濃密に接する女性は母親なのだから、男性の母親に対する思い入れが強いのも仕方がないと思う。私は「息子は恋人!」とか言ってのける粘着母に非常に警戒心を抱いているのだが、しかしどうしたって奴らは可愛い。将来結婚したらその伴侶に私も意地悪をするのだろうか。

うわー、それはいやだ、それだけはやってはいけない。しかし、なにかと「おい、そのやり方ってどうよ」などと言いたくなることもあるやも知れぬので、いっそ息子には言葉の通じない外国人と結婚して欲しい。

とか言ってる時点ですでに嫌な感じだ。

当然ながら、女は嫁という立場になることもあるが、姑の資質もまた生来備わっているのであった。

 

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小島 慶子

タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族と暮らすオーストラリアと仕事のある日本を往復する生活。小説『わたしの神様』が文庫化。3人の働く女たち。人気者も、デキる女も、幸せママも、女であることすら、目指せば全部しんどくなる...

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