自分にとって「今一番の最善」を選択する人生を【未婚の母という生き方 #4】
独身で幸せな人、結婚して幸せな人、離婚して幸せな人、子どもを持って幸せな人……幸せの形は人それぞれだと気づいたJunさん。1年前に未婚の母になりました。自分も子どもも幸せで過ごせるなら、父母が揃った家族でなくてもいいし、そのときどきで最善の選択をしていけばいい――自らの経験を振り返り、思いを綴っていただきました。
バリバリ働いて稼ぐ、強くたくましい、いわゆるカッコいいデキる女性ではまったくなかった私。
無知で、行動力もあまりない、自分を大切にすることを忘れてしまった、豊かな循環とはほど遠いひとりの派遣事務員でした。
■母の死と夫との離婚
2012年9月、最愛の母が51歳のとき、くも膜下出血で突然他界。
かわいくて、天然で愛されキャラだった、大好きな母の死は、私にとって衝撃すぎる出来事でした。
胸が締付けられるような苦しさや、もう会えない悲しさ、心に大きな穴がぽっかりあいてしまったような虚無感が、今もまだ、ふとした瞬間に襲ってくることがあります。
そしてその3ヶ月後にもともとうまくいっていなかった夫と離婚しました。
元夫は優しい人で、悪い人ではありませんでした。
ただやや否定的で、心にグサグサくることを言われることは度々ありました。
そんな元夫との3年ほどの結婚で学んだことは、「人を変えることはできない」ということです。
でも、当時はまだ、自分を大切にすることの重要性に気づいてもいなかったので、なんだかんだ相手のせいにして、自分を被害者にしていました。
■ぎりぎりまで言えなかった妊娠のこと
その後、もともとの知り合いだった知人の男性(既婚者)とお互いの話をするようになり、仕事の話も何もかも
否定しないで聞いてくれる彼の存在が、私にとって誰よりも心を開ける、かけがえのない存在になっていました。
しばらくして妊娠が発覚。
妊娠中、彼との関係を、具体的に変える行動をとることができず、「現状は自分ではどうにもできないから……」と
先延ばしにして、文句を言いつつも行動しなかった結果、ほとんど誰にも妊娠のことを伝えられず、家族にも、出産予定日当日に妊娠を報告しました。
それでも家族には受け入れてもらえ、6日後に無事、娘を出産しました。
■未婚で子どもを産んだ
未婚で子どもを産むこと自体はできないことではありません。
私の場合、派遣社員でありながらも、有休に産休、出産一時金、育休と手当が出たので、出産時にかかるお金に関しての不安は少し和らぎました。
出産後も、周りの方たちからは温かく見守ってもらえ、周りを信じていなかったのは自分だったのだな、と思ったほどでした。
一方で、私が自身の経験から気づいたのは、覚悟というより、行動力が必要だなということでした。
正直、産むと決めて、臨月にも入ってしまえば、自ずと産む覚悟はできていました。
ただ、その後どうするのか、自分はどうしたいのか、何をやっておいたらいいのか、といったところを具体的に決めて、早め早めに行動しておくことが、必要だったなと思います。
産まれてしまえば、しばらくは子どもと一緒の生活が続くので、生まれる前に認知はどうするのか、籍はどうするのか、生活費は、養育費は……など、決めておいた方がいいことはたくさんあります。
それをやらずにいると、ずるずると引き延ばされていき、何も決まらず、自分が被害者のような感覚が出てくることも。
私の場合、自分で確認できること、やろうと思えばパパッとできることすらやらずにいた結果、気づいたときには未婚の母になっていた――そんな感じでした。
そう。私の場合は未婚の母を主体的に選択したというよりも、「いつしかそうなっていた」というのが本音かもしれません。
■自分のふるまい次第で味方は増やせる
未婚の母として生きていくことになったとしても、それは自分で選んだ道であり、何かに怯むこともなく、臆することもなく、堂々と自分の思いを発していけばいいだけのこと。
だからといって、自分ひとりで頑張ろうとか、ひとりで子育てをするんだ! なんて覚悟はいらないと、私は思うようにしています。
人を頼ること、素直に甘えること、そういうことがすんなりできる人であることこそが大事だと実感したからです。
役所や公的機関を上手に活用する方法もいくらでもあって、自分の身の振り方次第でいかようにもなります。
未婚の母だからと既成概念にとらわれず、できないことはやってもらう、わからないことは教えてもらう、思い込まずに聞いてみる。
最高の笑顔で感謝を、ありがとうと伝えることができれば、誰もが勝手に自分の味方になってくれるのです。
■子どもはお母さんに笑顔でいてほしい
以前、胎内記憶の研究の第一人者の池川明先生のお話で「子どもはお母さんを幸せにするために生まれてくる」と聞き
確かにその通りかもしれないと思いました。
なぜなら、私自身に置き換えたとき、私もやっぱり母には笑っていてほしかったから。
私の娘がもし、そうやって生まれてきたと仮定したとき、私の幸せ=娘が幸せで笑っていること、つまり私の母もきっと、私が幸せで笑っていることが幸せなのだな、とストンと自分の中に入ってきました。
だから、きっと、子どもからしても、お母さんが毎日笑顔でいてくれること、毎日楽しそうにキラキラしていること
それが本能的な望みなのではないかと思います。
父親と一緒にいないから、結婚していないから、未婚の母だから……などと理由づけして、自分が不幸でいる必要なんてまったくなくて、子どものためにもお母さんは毎日笑顔でキラキラしていたらいいのだと思います。
■幸せの形はみんな違う
そもそも幸せの形は人それぞれです。
結婚して、幸せな人、そうでもない人。
離婚して、幸せな人、自ら不幸を選んでいる人。
結婚しないでも幸せな人、結婚すれば幸せになれると思っている人、などなど。
どうしても、人から自分はどう見られているのかを考えてしまうこともあると思いますが、自分がハッピーで、子どももハッピーでいられるなら、きっと、自分を取り巻く人々もみんなハッピーなのだと思います。
とにかく今この瞬間の幸せを選ぶ勇気を持って、自分の幸せを叶えることを自分に許可する。
未婚の母だからと遠慮して生きる必要なんてなくて、彼氏だって、パートナーだって、作ったらいいと思うのです。
将来なんて、いつどうなるかなんてわかりません。
ずっとこのままかもしれないし、案外あっさり結婚するかもしれないし、結婚はしなくても、パートナーと仲良く暮らすかもしれない。
未来がどうなるかなんてわからないのだから、そのときにしたいようにしたらいい。
私はそう思っています。
すべては自分にとって今一番の最善を選択し続けること。
誰のためでもなく、自分だけの人生を自分の喜びで満たすよう、そう決めて行動していくだけ。
未婚の母であろうと、自分次第で、家族も周りも豊かな気持ちにし、それが良い循環となって回っていくのだと思います。
Text=Jun
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