子どもに幸せになってほしいなら、まずは母自身が幸せになろう【未婚の母という生き方 #3】
40歳で未婚の母となった小檜山知萌子さん。産むという決意は固かったものの、ひとりで育てられるか不安に苛まれた時期も。そんな不安を乗り越えたのは、複数の収入源を作る仕組みを整えたときのことでした。
39歳のとき、交際していた男性との間に命を授かりました。
お付き合いしているときから、相手の男性は結婚する意思がなく、妊娠したことを相手に伝えたものの、やはり結婚する・認知する意思はありませんでした。一方で、私は産む選択しかなかったため、ひとりで出産し育てようと決意。それでも不安でいっぱいでした。
40歳で初産という高齢出産の不安、女手ひとつで育てられるかという不安、経済的な不安……どんなに不安でも私には産む選択しかありませんでした。
母子家庭で育った私。母に伝えたのは妊娠5ヶ月のときでした。もちろん猛反対でしたが、私は揺らぐことなく聞き入れることはありませんでした。
■ひとりで息子を育てられるか……不安で泣いた日々
貯金がなかったため、ギリギリまで働き、出産してすぐ働く! それしか生活していく方法はありませんでした。自営だったのですが、当時は委託業務がほとんどで、委託先に現状を伝えたところ、私が妊娠している間は業務を軽減してくれるところばかり。委託先にはとても感謝しています。出産予定日の2週間前まで働き、その間に出産後2ヶ月くらいは働かなくても生活ができるよう、蓄えを増やそうと思いました。
33週2日目、元気な男の子を出産。1ヶ月半も早かったため、低出生体重児で、心臓に小さな穴が空いていた息子は、2週間ほど保育器に入っていました。体重が安定し、退院できたのは3週間後。そこからが2人の生活の始まりでしたが、本当にこの子をひとりで育てられるのだろうか、この子を幸せにしてあげられるのだろうかと不安でいっぱいで、毎日泣いていました。今あのときのことを思い出しても涙が出ます。
息子の退院から2週間後には仕事に復帰しました。昼間は仕事で、夜は3〜4時間おきに授乳で、眠れない日々が続きました。ひとりで育てると決意して産んだため、どんなにつらくても周囲に弱音を吐かず、とにかくがんばりました。それは息子のおかげです。子どもの顔を見ると不思議と力がわいてくるからです。子どもの力は本当にすごい!
■未婚の母に欠かせないのは経済力
未婚で出産し、育てることは想像を絶するくらい、本当に大変です。1番はやはり経済力です。幼い子どもを抱えていると、受け入れてくれる就職先が少ないですし、自分で事業を始めるにも資金が必要です。たとえ働いていたとしても、自分が病気になったり怪我をしたりして仕事を休むと、収入が途絶えてしまい、子どもが路頭に迷う可能性もあります。ずっと健康でいられるという保証なんてどこにもありません。
そのためにも、何があっても大丈夫なように、収入源は3〜4つ持っておくべきだと私は考えています。長時間働きまくるのではなく、収入が入ってくる仕組みを作るのです。やる気さえあれば誰でもできます。
よく耳にするのは「自分は我慢してもいいから、子どもだけは幸せにしてあげたい!」という意見。子どもは「自分のせいでお母さんは我慢している」と気づくので、言いたいことを言わなくなったり、我慢をして無理矢理良い子になったりと、自分の心を閉ざす子どもになってしまうのです。そうなると大人になったときに、閉ざしていた心が爆発してしまう可能性がないとは言い切れません。子どもに幸せになってもらいたいと願うならば、自分が幸せであることが基本です。
■母が仕事でがんばる背中を見せよう
経済力がすべてではありませんが、ある程度の経済力がなければ、遊びに行くことも、教育することも、やりたい習いごとに通わせることも、まだ見ぬ世界を見せてあげることもできません。
子どもと一緒に過ごす時間も大切ですが、お母さんがお仕事でがんばっている背中を見せることも、また同じくらい大切なこと。離れている時間が多いぶん、私は毎日愛情をしっかりと伝え、子どもはそれを受け止めてくれていると思います。そして、息子によって私は日々成長させられ、多くの気づきを得られています。
これからも大変なことはたくさんあると思いますが、明るく、元気に、そして愛情あふれる親子でいたいと思います。そう願えば誰でもそうなれます。明るく、元気に、楽しく、仲良しで、経済も安定している状態は、望んで前進すれば、誰でも手に入れられるもの。
我慢しなくていいのです。がんばらなくてもいいのです。不安はあってあたりまえ。幸せを望めば必ず幸せになれます。私は今、とっても幸せです。
Text=小檜山知萌子
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