子どもも親もストレスフリーで、合格は勝ち取れる! 【覆面姉さんのワサビトーク@DRESSING ROOM#7】
「お受験」と聞くと親子ともどもピリピリムードを連想してしまう……? でも、当の本人である子どもも、サポートする親もストレスなしで、受験に向き合う方法があります。大学3年生の娘を持つ「うたこ」さんの事例がヒントになるかもしれません。
本連載は、酸いも甘いも噛み分けたDRESSのお姉さん世代の働く女性たちが、仕事やキャリア、結婚、出産・子育て、離婚などの女性が対面する様々な問題を、自身の生々しい経験を交えて匿名でコラム化したものです。隔週でお届け。
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こんにちは。外資系でマーケティングを担当しているうたこです。夫と大学3年生になる娘と暮らしています。新卒で日系メーカーに入社、娘を産んだ後、夫の転勤に伴い退職し、専業主婦となりました。その後契約社員として復帰し、外資系メーカーに転職し、さらに転職して今の会社が3社目になります。本コラムでは私たち夫婦がやってきた「親がラクして子どもの受験を成功させる方法」をご紹介します。
■首都圏の中学受験事情に疎い親子……はたしてどうなる?
保育園から地元の公立小学校に入学し、元気よく通っていた娘ですが、私が忙しくなってきてシッター代もかさむようになっていました。そんなときにママ友のひとりが「最近の塾って、遅くまで子ども預かってくれるわよ。しかもうまくすれば勉強もできるようになるかも」とアドバイスをくれたのです。
塾は「勉強を教えてくれるところ」ではなく「シッター代わりに安全に子どもを預かってくれる」場所だったとは! それはいい、といくつかの候補の中から選んで通い始めたのが小4の冬。私も彼女も気づいていなかったのは、長く預かってくれる=受験塾だったこと。塾にもいろいろな種類があることすら、そのときは知りませんでした。
そもそも夫も私も受験には全く興味がないというかわからない。私は地方出身なので東京を中心とする首都圏の中学受験事情にとても疎く、公立でいいではないかと簡単に考えていました。
しかし、娘はすっかりその気になり「私、受験っていうのをやりたい」と言うほどに。私と夫は「会社には学歴がすごくても、仕事が全然できない人が100人くらいいるからムダだと思う。やめたほうがいいんじゃないか」と言うのですが、妙にしっかりした娘は「その人はその人。私とは違う。私は受験をしたい」とこれまたまっとうなことをいうわけです。
そこで、仕方なく「じゃあ、ママもパパもお金は出すけど手は一切出さない。それでもいいなら挑戦してもいいよ。でもお金がもったいないから、嫌になったらすぐに言ってね」と伝え、中学受験準備が始まりました。
■注意したくなっても我慢! 我慢!
学年が進むに従って増えていく宿題の量。最初の約束どおり、親ふたりは一切手を出しませんでした。さすがに一人で夜帰ってくるのはまずいので、終わる時間頃に塾の最寄駅の改札口で私か夫が待ち合わせて一緒に帰るだけ。
テスト後に何も見直しをしていない姿に思わず「見直しはした方がいいんじゃないの」と声が出かかることはありましたが、「いやーこれを言ってしまえば結局手を出したのと同じでしょう。うん、言わない!」と言葉を飲み込むことも。
一度だけ塾から呼び出しがありました。「宿題を見てあげてください」と言われ、「塾を信頼してお任せしているのに、なぜ親が対応しないといけないんですか」と言ったところ、言いにくそうに「あの、お嬢様が問題の答えを丸写しにしてらっしゃるので……」と言われて赤面したこともありました(そのときは仕方がないので宿題やったの、くらいはいうようになった)。
結果的に第二希望の中高一貫女子校に合格し、塾からは「本当にあそこに受かったんですか!」と驚かれたのでした。
■せっかく入った中学を退学して海外に
成績は中程度ながら友人にも恵まれて、毎日楽しく中学に通っていた中2の春、私の海外赴任が決まりました。一年だけなら娘も連れて行こうと思ったものの、娘本人は絶対に嫌だと言い張ります。そりゃそうです。せっかくがんばって入った学校を母親のせいで退学したいわけがありません。
それでも、しばらくして渡米を受け入れた娘でしたが、規定で中学は退学となりました。その後、アメリカの公立中学に8年生として入り、1年間を過ごしました。
英語がほとんどできなかったので相当苦労したと思いますが、日本で大の苦手だった数学が(アジア人は本当に数学に秀でているんですね)アメリカに来たら飛び級できるほどよくできると褒められ、また成績の付け方がわかりやすいアメリカの進め方が性に合っていたと見えて、渡米後5ヶ月後くらいから見違えるようにがんばるようになっていました。
■復学し、大学受験へ
8年生を無事に終え、ミドルスクールを卒業して帰国した彼女は、学校のご厚意で復学し、同じ学年に戻ることができました。ただ、中3の2学期にはすでに授業は高校の教科書を使い始めていて、私にも娘にもどの単元を勉強していなかったのか、もうわからなくなっていました。
帰国後、ステップごとに勉強できる個別学習をしていましたが、高校に入ってからいろいろな塾の体験学習をして、通学路の最寄駅にある塾に通うことを決めました。このあたりは娘が一人で全部決めてきたので、私は「契約したいのでお金ください」と言われるまで、どこに行っているかも知らなかったほど。
彼女に聞くと、決定のポイントは以前通っていた個別学習の塾の経験から、「自習室がきちんと使える(塾によっては浪人生などに占拠されていてなかなか使えない)」「担任がいて、きちんとケアをしてくれる」「ビデオの教材が充実している」ことだったそうです。
■「勉強は塾でする」習慣が身についた
塾に通い始めてからはほとんど毎日自習室で勉強してから帰ってくるようになりました。「家では勉強できないから」だそうです。彼女は小さい頃からリビングで勉強をしていたのですが、リビングは当然のことながら私や夫がいて食事をしたりテレビを観たりする場でした。
しかも彼女のためにそのパターンを崩す気がまるきりなかったので、彼女が「勉強してるんだからテレビ消してよ」と言おうものなら「ここは勉強部屋ではなくリビングなんだから、あなたが自分の部屋に行けばいい」と言われるだけです。
諦めた彼女が考えたのが「家では勉強をしない。その分全部塾でやってくる」というプランで、これは受験直前まで続きました。家に帰ってきてからはお風呂に入ったり、私とビデオを1.5倍速で見たりとくつろいでいました。
■「人生ずっと第二志望しか叶わないかと思っていた」ーー挑戦した娘
受験する大学を決めたのも彼女でした。「推薦でいけばいいじゃないか」と簡単な道を勧める両親に「ここで推薦を選んだら負けになる」と言って、「世界史と日本史は好きすぎて選べない。両方で受験したい」と国立大学を志望していたのです。
何度模擬テストを受けても合格判定はCかD、たまにE判定と芳しくなく、なぜあきらめないのだろう、と思っていました。それでも、私が受験するわけでもないし、彼女がここで一年自分のやりたいと思うことをやり通すことは、今後の人生のためには悪くないだろう、くらいに思って見ているだけでした。
それでも親なので、たまに「もういいんじゃないの。私立のx大学だったら十分入れるんじゃないの」と声をかけることもありました。その度に「イヤだ」と言われてしまうと、それ以上説得力のある言葉もないので、「そうですか」と引き下がる私。
最後まで合格判定は微妙なまま受験を迎えましたが、結果的に娘は第一志望校に合格しました。転職したばかりの私は合格発表の日、アメリカに出張しており、宿泊先のホテルからネット経由でその結果を知りました。
その場で電話して泣いて喜ぶ娘に「おめでとう!」を連呼したことを覚えています。そのときに「ここでまたダメだったら、人生ずっと第二志望しか叶わないかと思っていた」と涙声で語った娘。そんなチャレンジをしていたんだね、と遅まきながら知った母です。
■子どもにどんな人生を歩んでもらいたい?
どんな経験であっても、決してムダにはならないことを、私たち大人は知っています。それでも親は楽な道を子どもに与えたくなります。
でも、どんな人生を歩んでほしいかといったら、ずっと親に頼っていく人生でも、肩書や経歴に頼る人生でもなく、自分の力を信じて生き抜く力を使いながら、人生を歩んでほしいと私たちは考えていました。
手を出したくなる局面は何度もありましたが、(面倒だったこともあって)ほとんど何もしないまま彼女は自分の道をつかんだことになります。でもこれは単なる偶然で、「がんばったけどダメだったね」という結果も当然想定していました。
それでも経験値として絶対にムダにならない、という確信があったからなんとか手を出すことを思いとどまっていたんじゃないかと思います。
そういう意味では、手を出さずに世間で言うところの失敗をした場合の局面=最悪の場合、を一度想像してみて、それが実は大したことはないな、と思えば親のほうも度胸がすわるのかもしれないですね。
(うたこ)