NYに憧れた私がアジアに飛び出した理由
はじめまして。カンボジアの首都プノンペン在住のアンナ(本名:荒木杏奈)です。
私は、カンボジアでアンナキャムパートナーズという、不動産会社の代表をしております。女性・海外・起業・ライフスタイル・投資のキーワードをテーマに、とくに「海外と起業」を身近に感じていただくコラムをお届けします。
突然ですが、皆さんが初めて海外を訪れたのは、いつ・どこでしたか?
高校2年生のとき、カリフォルニア州のサンノゼで半月くらいのショートホームステイ、これが私の初海外です。親友との旅行で、両親が資金を出してくれました。ファストフードのドリンクサイズ、道路の幅、映画館の椅子の広さ、全てがビッグサイズで、オーバーリアクションが当たり前でオープンな性格の人々。
日本人のように、妬み・嫉み・嫉妬の類が比較的強い民族との違いが、魅力的だと感じました。日本の中にいたままでは、日本の価値観でしか物事を考えられません。今となっては、このサンノゼ滞在がいい経験になり、海外への抵抗が大きく減りました。このような機会を与えてくれた両親にはとても感謝しています。
■憧れの海外就職が遠のいていく……
子どもの頃は外でよく遊び、ピアノと英会話教室に通っていた私。日本のテレビ番組を見る習慣がなく(両親があまり見せてくれなかった)、ディズニーアニメや海外映画・ドラマを好んで観ていました。
その影響か、将来は海外(ニューヨークやロスなどのキラキラした街)で働いてみたい! といった願望はあったものの、私には留学経験もなく、入社した会社は日系の広告代理店だったので、「海外就職」というキーワードは遠のくばかり。
社会人になった頃、仲良しの友人たちは、ニューヨークやハワイなどに留学に行き、その後は海外との仕事をしていて、素敵だな、羨ましいなと感じていました。会社員時代は海外旅行に行くことが唯一の楽しみで、そのために働いていたようなものかもしれません。
その後、IT系の金融会社に転職した私に、転機が訪れました。勤続3年目に海外のお仕事が舞い込んできたのです。正確に言うと、海外で仕事をした経験がなかったにも関わらず、自分で手を挙げました。
■仕事をきっかけに東南アジアに興味津々
担当業務はマーケティングの一環で、東南アジアの金融とインターネット環境を調査するプロジェクト。通常業務と兼務で参画することになりました。調べれば調べるほど面白い東南アジア……!
当時私が訪れたことのある国は、東南アジアの中ではマレーシアだけで、インターネットや本だけでなく、自分の目で見たい、足を運びたいと強く思い、お休みを使ってタイ・ベトナム・カンボジア・シンガポールなどへ行きました。
LCCのキャンペーンを使えば3万円代で東南アジアに行くこともできます。意味のない飲み会を何回か断り、ちょっとした贅沢を我慢すれば、旅費はすぐに貯まります。有給を使わなくても、金曜夜出発で月曜早朝に羽田、それから出社だって可能です。ある程度は、本やネットでの情報収集も必要ですが、一番は現地に行って肌で感じ取ることが重要だと思っています。
“半分以上「遊び」、ちょこっと「調査」” で行った東南アジア圏。最も印象深かったのは「若者の活気」でした。帰国して乗った通勤電車に若者はおらず、出勤前の時間が迫ってギスギス・どよーんとした空気の中、サラリーマンがスマホと睨めっこをしており、ハッピーなオーラは感じませんでした。
■「外から日本を応援したい」 気持ちの変化が起きた瞬間
ここで少し、人口のお話をします。どの国でも経済の礎となるのは「人」です。たとえば、21世紀は「アジアの世紀」と呼ばれることも多く、どの国にも共通して言えるのは、人口の増加と共に経済が拡大し、個人所得・消費は増加傾向にあるということ。高い経済成長に伴い拡大する需要や、先進国と比べて依然低コストで豊富な労働力を取り込もうと、日本の高度経済成長時代の光景と重なるアジア新興国に、海外からの投資が流入する構図ができているのです。
一方で、日本はどうでしょうか。経済成長のエンジンとなる生産年齢人口(15歳以上65歳未満)が1995年をピークに減少に転じ、総人口も2008年頃から減少が始まるなど、本格的な人口減少社会に突入しています。
日本の人口の約1割を占め、現在も人口が増加している東京でも、東京オリンピックが行われる2020年には 1336 万人をピークに人口が減少に転じると予想(東京都発表http://www.seisakukikaku.metro.tokyo.jp/tokyo_senryaku/pdf/honbun2.pdf)されており、国立社会保障・人口問題研究所の推計でも日本の総人口は現在の約1億2600万人から、2048年には1億人を割り込み、2060年には約8674万人と3割以上も減少する見通しです。
人口ボーナスがあり、平均年齢の若い東南アジア圏と真逆を進む日本の大きなギャップを、通勤中の電車内で感じました。その瞬間、「海外に出て、外から日本を応援したい」という気持ちが芽生えてきたのです。それから私は、とあるご縁でカンボジアの金融グループに転職しました。
ここまでが、私が海外に飛び出した理由です。とはいえ、行き先は子どもの頃からイメージしていた “キラキラな海外”とはかけ離れたカンボジアです。次回は、そんな私が海外で起業するまでの経緯をお話しします。