断髪式

20センチ以上髪を切った。40代最後のチャンスと思って5年前から伸ばし始めたけれど、ふと髪が重たくなった。切り落とした長い髪は寄付をした。

断髪式

断髪式


髪を切った。肩甲骨まで届くロングだったのを、一気にあごのラインまで、20センチ以上。一番の理由は、長さと重さを持て余したから。もう一つの理由は、面白そうだったから。結果が予想できないことは、不安だけど楽しい。髪を切るのもプチ冒険だ。

ここ1年半ほどは昨年前半に傷めた髪の修復に使っていた。それが一段落したところでちょうど知人を通じて信頼できるスタイリストさんとのご縁ができた。サロンを変えて臨んだ久々の髪型チェンジ。本当に、ヘアサロンを変えるほど勇気のいることはない。だけど、初対面のスタイリストさんは話しながら私の人となりを見て、イメージをハサミで形にしてくれた。そうか、毛を切るんじゃなくて、その人の一部を切るってことだもんな!と、とても納得した。

嬉しかったのは、切り落とした長い髪を寄付できたこと。病気の治療などで髪が抜け落ちた人のために人毛ウィッグを作るのだという。それなりに時間をかけて伸ばした髪が捨てられてしまうのではなく、誰かの役に立つのだと思うと嬉しい。切り取られた髪が運び去られるとき、今ハサミが入ったばかりの毛束に向かって「あなたはもう私じゃないよ。これから身につける人のものになりなよ!」と心の中で呼びかけ、自己流の魂抜きをした。髪に染み込んだ執着を抜いておいたのだ。


40代が最後のチャンスと思って、5年前から伸ばし始めた髪は、いわば最後の思い出作りでもあった。これからホルモンバランスが変わり、いつか後戻りできなくなった時に「ああ、ロングってこんな感じだった」と思い出すんだろうな……などとセンチメンタルな気分でもあったが、それも十分堪能したのか、ある日ふと髪が重たくなったのだ。どうしたいという具体的なイメージはなかったけれど、変えたくなった。

ひとつにまとめた長い毛束が体を離れたとき、頭が文字通り軽くなった。背が2ミリくらい伸びたんじゃないかと思うほど、重しがとれた気分だった。そのあとハサミが絶え間なく動き、髪が見る間に形を変えていくのを見ていたら、ずっとショートにしていた20代のころの自分を思い出した。屈折していて、自意識過剰で、毎日食べては吐いていた苦しい自分を。あの頃の顔に戻っちゃうのかな、と不安になった。43歳にして、あの大嫌いだった自分と、また出会ってしまうのだろうか……。


子供のこと、オーストラリアでの生活のこと……。人生の先輩でもあるスタイリストさんとは、自然に話が弾んだ。距離が縮まるたびに、彼女のハサミは私の周りを忙しく動き回り、丸太から彫像を掘り出すみたいに、新しい輪郭を次々と更新していった。前髪、作りたくなっちゃった!という彼女の言葉に、すっかり安心して頭を差し出す私がいた。さっき会ったばかりなのに、何も怖くない。

前髪を切り終えて目を開けると、鏡の中には、額の見えない、あごまでのボブの私がいた。強気なくせにいじけていた20代のあの子とは違う、素直で機嫌の良さそうな顔だった。ああ、私は変わったんだ、と嬉しかった。髪を短くしたらあの頃に戻ってしまうのではないかと、ほんとはずっと怖かったのだ。伸ばした長さの分だけ、あのしんどかった自分から遠ざかれるような気がしていた。振り向いちゃいけないと思っていた。だけどもう、大丈夫。


家族には事前にどうしたらいいと思うか聞いておいたのだけど、そして夫も息子たちも長いほうがいいと言っていたのだけれど、あっさり切ってしまった私の顔を見て、息子たちはあっけにとられ、夫はとても喜んだ。今までの最高作だね! とまで言った。多分彼も、短くしたらあの頃に戻ってしまうと心配だったのだろう。もうあのしんどい慶子は卒業したんだから、戻すのはやめなよ、と言いたかったのかもしれない。

だけど、戻らなかった。彼は私に新しい髪型が似合っているのと同じくらい、それが嬉しかったのだと思う。自分と折り合いがつかなくてジタバタと苦しんでいた私を間近に見ていた彼にとっては、私の変化は彼自身の存在が報われたような気持ちなのかもしれない。確かに、彼といるようになってから、私は少しずつ確実に変わっていった。

それまで絶え間無く自分をけなし、あざ笑っていた「誰か」を頭の中から追い出すことに成功したのだ。嫌味で容赦ないそいつは、楽天家で大らかな夫の分身にとってかわられた。何かがうまくいっても、それまでは「こんなことで得意になってバカみたい」と鼻で笑う声が聞こえてきたのに、「いいね、なかなか頑張ってるじゃん私」と上機嫌でつぶやくようになったのだ。その、私が自分の中に取り込んだ彼の分身が、私の表情に表れたのかもしれない。だからもう、髪を切ってもあの頃の私には戻らなかったのだ。

出会ってから18年。彼と一緒にいてよかったと思う。私の脳みその癖を変え、表情まで変えてしまった彼の存在は、私をあの頃からうんと遠いところまで連れて来てくれた。いま、もしあのきつくて不安げな目をした女の子に会えたら、私はこう言うだろう。私たちは、似ているけれど、同じじゃないね。どう足掻こうと、時はあなたを変えてしまう。それも悪いもんじゃないよ、って。

 

小島 慶子

タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族と暮らすオーストラリアと仕事のある日本を往復する生活。小説『わたしの神様』が文庫化。3人の働く女たち。人気者も、デキる女も、幸せママも、女であることすら、目指せば全部しんどくなる...

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