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“ともだち”は、線ではなくて点

その場限りの人間関係ではオープンな一方、元来の人見知りの気質は抜けていない。ともだちは、状態ではなく、質を指すものだと思う。

“ともだち”は、線ではなくて点

 子供の頃、とても人見知りだった私は、未だにその気質が抜けていない。
仕事をしているときは「小島慶子」といういわばショウケースにおいてある売り物なので、
初対面の人でもこちらをある程度は知ってくれている。
こちらも「この人は私を小島慶子だと思っているな」と思って接すればいいので楽である。
仕事場では人見知りもそれほど強くは出ないし、もう20年もいる業界なので、
初めてのスタッフとの仕事でも、振る舞い方はわかっている。
出演者同士は、どちらも根が人見知りということが多いので、おとなしく挨拶を交わし、少し雑談すれば十分だ。


 けれどもゲーノージン小島慶子ではない立場で参加する場には極めて気後れする。
そもそもが人の顔と名前がなかなか覚えられないし、よく知らない人と長時間いることも得意でない。
それは日本でもオーストラリアでも同じで、つくづく気質というものは変わらないなあと自分でも呆れるほどだ。
夫は私同様に群れることに興味がないのだが、私よりははるかに社交性が高い。
人の顔を覚えるのが得意なので挨拶されてもすぐに相手が誰だかわかるし、誰と誰が親子かもすぐに覚えてしまう。
保護者会一つとっても、日本の小学校でも、オーストラリアに来てからも、私は夫に尋ねてばかりだ。
「ねえ、今の誰?どの子のお母さん?その子は何年生なの?」って。


 そんな私だが、その場限りの人間関係には極めてオープンである。
向こうから泣きながらやってくる子がいればどうしたのと声をかけ、飛行機で隣の席の人が入国カードの書き方に悩んでいれば教え、
駅の雑踏でピルケースを落とした人には真っ先に声をかける。
知らない人への声かけは東京ではギョッとされることもあるが、パースの人はいきなり知らない人に話しかける頻度が東京よりも高い。
先日も日曜大工の店で花切りバサミ売り場の前を通ったら、知らない男性にいきなり
「見てよ、同じメーカーの同じ型なのに、あっちのハサミは7ドルでこっちのハサミは12ドルだよ?
意味わかんないよな」と同意を求められた。
「多分デザインをちょっと変えたから新しい方が高いんだと思う。
私、その安売りされてる方を持ってるけど、よく切れますよ」と答えたら
「そうなんだ!じゃこっちにするよ、ありがとう」と去って行ったが、同じことを東急ハンズでやる人はそんなに多くない気がする。
しかしやはりいきなりの会話は相手によるらしく、香港の空港で入った麺屋さんで相席となった空港職員の男性に
「どの麺がお勧めなんですか」と尋ねたら、かなり怯えていた。


 考えてみれば、出会い頭に人間関係を作る機会は、大人になるとそうはないものだ。
互いに背景を知らずに関係を作るってなかなか胆力のいるもの。
人見知りの私なりに面白いと思うのは、学歴も勤め先も年齢も出身地も知らない人の何をもって
「信用できる」「ウマが合う」と判断するか、という利き酒ならぬ利き人間力が鍛えられる気がすることだ。
日本にいると先方が私をググってしまったりするが、オーストラリアに永住してずいぶん経つ日本人は大抵私を知らないので、
互いに無条件での利き人間ができる。
こちらに来てから夫婦ぐるみで仲良くなったご夫婦もそんな二人だ。


 言葉さえままならない間柄でも、ウマの合う人とそうでない人がある。
オーストラリア人のジェニファーさんという友人ができたのだが、
彼女とは息子のサッカーの試合で何度か一緒になるうちに仲良くなった。
話し方がややぶっきらぼうということ(私の場合は英語力の問題だが)、
噂話に関心がないこと、自分が夫よりも忙しくしていることなど、
彼女と私には幾つかの共通点があるが、それよりなんとなく、人との距離の取り方が似ている気がする。
子供同士も仲がいいので交流は比較的頻繁だが、互いに踏み込み過ぎないのが心地いい。
尋ねる機会がなかったので、彼女の名字をつい最近知ったほどだ。今すでに思い出せないので、覚えた意味がないが。


 若い頃は、ともだちっていうのは何もかもを互いに知り尽くして、誰よりも長い間一緒にいる人なのだと思っていた。
そういう親友ができない私にはきっと人として欠陥があるんだろうとまで悩んだものだ。
でもこの年になると、ともだちっていうのは状態ではなく、質を指すものなんだと思うようになった。
どのような繋がり方をしているかではなく、やりとりの一瞬に宿る心地よさが、「ともだち」というものの正体なんだろうなと。
そう思えば、永続する関係でなければ価値がないと思っていた頃に比べて、世界はずいぶんと生きやすい。
よく、大人になることは孤独に耐えられるようになることと言うけれど、
関係を線ではなく点でとらえられるようになることを、成熟というのかもしれない。

小島 慶子

タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族と暮らすオーストラリアと仕事のある日本を往復する生活。小説『わたしの神様』が文庫化。3人の働く女たち。人気者も、デキる女も、幸せママも、女であることすら、目指せば全部しんどくなる...

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