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あふれ出る「異性」「恋愛」へのあこがれ。高校時代のヤバいノート

見たくも触りたくもない、でも何としても捨てたい。高校生の頃に自分の夢や願望を書き殴った、日記のようなノート。毒親との確執を描いた漫画『母がしんどい』などの著書を持つ、漫画家・田房永子さんの寄稿です。

あふれ出る「異性」「恋愛」へのあこがれ。高校時代のヤバいノート

22歳のとき衝動的に実家を飛び出してから、いらないものは捨てるようにしてきたので、意外と「“平成の終わり”に捨てるものってないな」と思っていました。

だけど、あった……。実家の机の引き出しや、棚のファイルの中や、ロフトにある本棚など、至るところにひそんでいるアレ。高校生の頃に書いていた「男の子とか、夢とかについて自分に酔いまくりながら書き殴ってある日記みたいなノートたち」です。思い出すだけで横隔膜がヒュッとしてアブラ汗が出てくるアレです。

■見たくも触りたくもない「ヤバいノート」

実家を飛び出してから18年。家族と連絡を断ってからのここ10年は、母と父を恨みに恨んで恨みまくって、彼らの言動に傷ついた自分の心の回復に全身全霊をかけて取り組んできました。
別に親と“仲直り”しようと思ってやってたことじゃないけど、結果的に最近では、「年に数回は子どもを連れて実家に行く」という行動が自分の生活に組み込まれています。
 
私の部屋だったところは今は表向き、私の子どもが遊べる部屋になっています。
だけど、家具の中身にはそういうヤバいノートがぎっちり入っている。一度、引き出しを開けたらそれが見えて「うわあ!」と閉じたことがありました。

娘はもう7歳だから、文字が読めてしまう。
やばい、何かあってあんなの見られたら本当にやばい。
娘からすれば、母親のそんなものを見てもどうってことないかもしれない。でもとにかく私が無理。絶対に無理。考えてるだけで気持ちがブワーッと上にあがってくる!
 
この企画を機に「絶対に捨てなきゃ」とものすごい焦燥感に支配され、実家に行って少しの束を回収してきました。ちらっと見ただけで、もう心臓が押しつぶされそう。エコバックに乱雑に詰め、仕事場まで厳重に運び、そのまま放置しました。見たくも触りたくもない。

しかしこの原稿の締め切りがやってきたので、仕方なく開けてみることにしました。

■「男子」とか「恋愛」とか「キス」とかへのあこがれ

持ってきた束は、高1〜高2あたりの時期のものでした。大学ノートの表紙に極太のマジックで「ノート NOTE」と書いてあります。見ればわかるのに敢えて主張する。

これはノートなんだ、私は私なんだ。

そうやって存在意義を確認せずにはいられなかった、危うい思春期の不安定さが伝わってきます。

中を見ると、広がっていました。強烈な、何か、こう、未来の自分に対しての期待、そしてあふれ出る「男子」とか「恋愛」とか「キス」とかへのあこがれ。

美男美女もいれば太っちょもいる、7人くらいの男女がポーズして立ってるイラストが何枚も書いてあります。『愛という名のもとに』をはじめ、男女の集団の物語が流行っていたせいだと思います。

中央に主人公っぽいおとぼけ女子が描いてあって、まあ、自分を想定してるんでしょうね。コートを着た男女6人全員で肩を組んで笑顔で歩いている「寒いけど、あったかいネ」みたいなホクホクしたイラストもあり、シチュエーションの多様さも気になりました。自分の人生にこのような場面が訪れないことを予期した、強烈な羨望が垣間見えます。

あとマジでつらいんですが、ポカンとした表情の3人の男子にあっかんべーをしながら走り去る女子ふたり、というイラストもありました。きっつ。中学から女子校だったので、深刻なレベルで男子との生活にあこがれていたことが皮膚感覚で蘇ります。

さらにその女子ふたりが泣いているところにその男子3人が駆けつけている、というただならぬ事態を表現したイラストも。とにかくやたらとこの5人を描いています。

男3人と女ふたりってドラマ『あすなろ白書』みたいで魅惑の組み合わせだよね。たしかにそれは40歳になった今も共感できる。さらに、DEENの「瞳そらさないで」と槇原敬之の「SPY」の歌詞をすべて書き写しているページもありました。どちらも心変わりされた男の歌。なぜ。

「うわあああ」という感じで見始めたけれど、だんだん見慣れてくるものです。ホチキスで留めた紙の束に
「2/15 今日は生まれて初めて男とデートした」
と書いてあります。

3:00に新宿でまちあわせ フラフラあるいて ケンタに入って チョコわたして 6:40くらいまでしゃべって かえった 「またあそぼーね」「ウン」


15時に待ち合わせで18時40分に帰っちゃってたんだなあ。3時間40分もケンタッキーだけにいたんだろうか。

結局、この男子と数年後につきあうことになるのですが、その時期のノートも入っています。そこには男女のシルエットに小さく「SEX」と書いてあるイラストが。世界観が「コスメティックルネッサンス・ノエビア(90年代のCM)」風になってて死ぬかと思いました。たすけて。

■私は両親に未練があるんじゃなくて、あのモノたちに未練があるんだ

ひとりで見ていると、「わざわざ捨てなくてもいいかな」と思えてきました。

実家を出てからも親の過干渉に耐えきれず、ついに連絡をとるのをやめたのですが、それでもずっと「親に逆らっちゃいけないんじゃないか」という思いが消えずとても苦しい時期がありました。「どうして私はこんなに苦しいんだ?」と自分自身に聞いてみたら、実家の自分の部屋に置いてきたモノたちが脳裏に浮かびました。

ああ、なるほど、私は両親に未練があるんじゃなくて、あのモノたちに未練があるんだ、とわかったんです。

両親に逆らって怒らせたら、私の部屋のあの、持ってこられなかった漫画とか服とか宝物たちを全部処分されるんじゃないか、という恐怖でした。
そのとき、「仕方ない、捨てられてもいい。それ以上に私はもう両親に関わりたくない」と腹をくくったら、スーッと一気にラクになったのでした。


モノが持つパワーとか、モノに対する自分の執着って、知らない内に自分の人生に影響を与えているようです。


そして結局、親は私のモノをそのままにしていて、私はまたこの「SEX」とか書いてあるノートに巡り会えました。

うん、やっぱり捨てよう(笑)

私に何かあって、夫に見られたらマジでつらいので、令和が始まる前に捨てます。

でも今回、これを捨てる前に見ることができてよかった。
あと10年もしないうちに、娘がこういったものを描くでしょう。それを目にした時の衝撃が和らいだ、そう思います。たぶん。


Text/田房永子(@tabusa
1978年東京都生まれ。2000年漫画家デビュー。母からの過干渉に悩み、その確執と葛藤を描いたコミックエッセイ『母がしんどい』(KADOKAWA中経)がベストセラーに。その他の著書に『ママだって、人間』(河出書房新社)、『呪詛抜きダイエット』(大和書房)、『それでも親子でいなきゃいけないの?』(秋田書店)、『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』(河出書房新社)など。

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