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32歳の決意。スーツを捨てて「20代の迷走」に終止符を

社会に出て働くなんてできない! と大学院へ進んだものの、「やっぱり芸術を仕事にするのは無理だ」と定時で上がれる事務職に就くことに。スーツを着て社会に適応しようとしたけれど、結局は……。スーツを捨てて「20代の迷走」に区切りをつけたい。コラムニストのチェコ好きさんが、32歳の決意をつづります。

32歳の決意。スーツを捨てて「20代の迷走」に終止符を

「仕事にやりがいを感じるときですか? 億単位のお金を、自分が動かしてるんだーって思うときですかね。責任は重いけど、裁量は自分にあって、やりがいを感じるし楽しいですよ」

就職活動中になんとなく訪れたとある会社の説明会で「先輩社員」なる人物からこの回答を聞いたとき、当時大学3年生だった私は、膝から崩れ落ちそうになった。

億単位のお金が動くのなんか見ても、絶対に楽しくない。
私は社会に出て働くなんてできない!

今振り返ると「そんなことはないよ」と自分をなだめたくもなるし、また「億単位のお金を動かすのが楽しい人だってそりゃいるでしょう。何も社会人全員がそういうモチベーションで働けってわけじゃないよ」と自分の視野の狭さに突っ込みを入れたくもなるのだけど……。

とにかく、当時の私はそう思ったのである。

おまけに、バイトリーダーになったとか、留学したとか、サークルや部活でメンバーをまとめたとか、就活でウケそうなことなんか学生時代に何もしてない。芸術学科に所属していた私がやっていたことといえば、「年間数百本単位で、狂ったように朝から晩まで映画を観続けた」くらいだ。

先輩社員のお言葉にやられてしまった私はその日、「今の私が普通の会社で働くのは無理だ。愛するチェコのシュルレアリスム映画を研究しながら、芸術のことを考え続けよう。その中で、なんか上手いこと画廊とかに就職できないかな」と、大学院への進学を決意したのである。

お金を動かすとか、売れるものを考えるとか、全部無理。マーケティングという言葉を聞くと死にたくなる。
そんな甘すぎる「芸術学科脳」だった私の迷走20代は、今思えばここから始まってしまった。

■芸術に生きるはずが、鬱々とした院生生活に

しかし、先のことを考えるのが苦手な私のことである。何か具体的な計画があって大学院に進学したわけではない。

チェコ映画のことを考え続ける日々は好きなことを思う存分できて楽しい一方、英語とフランス語の論文を読むのが難しすぎて、よく泣いていた。
そして何より、「こんなことをして何の役に立つのか」と、頻繁に自問自答していた。

この研究が誰かの生活をラクにしたり、窮地にいる人を救ったり、世の中にイノベーションを起こすとは思えない。要するに、生産性がない。
「無意味なことに時間を使い、金をドブに捨てている!」とよく自分を責めたし、また大学院まで行くと、自分がまったく優秀ではない人間であることにもさすがに気付く。

楽しい気持ちもあったけれど、映画を観ることを苦痛に感じ始めた私は、大学院を修了するにあたり「もう芸術は趣味にしよう、これを仕事にするのは無理だ。なんでもいいから普通に働こう……」と、大学卒業時とは真逆の決断をする。

もちろん上手いこと画廊に就職なんかできなかった。選んだのは、残業のない事務職。

金は欲しいが、極力働きたくない。
私の思いはそれだけだった。

■芸術は趣味。スーツを着て、社会に適応する

「残業のないゆるい仕事」に就くにあたり、必要なのがスーツだった。そこまでかっちりしたデザインのものでなくてもよかったが、「オフィスにふさわしい格好」であることを求められる。

3年前まで私が勤めていた職場はそんなところで、芸術は趣味にすると決めた私は、なんとかその環境に慣れようとした。

だけど服装以上に、「この仕事を続けていくのはきついなあ」と感じるのは、夏だった。
夏といえばお盆休みであり、私は夏の長期休暇を利用して、ロンドンやニューヨークやカンボジアのシェムリアップなどを訪れた。
だけど、すべて1週間前後の短い旅だ。

本当はもっと長く、もっと遠くへ行きたい。1週間前後の期間で毎年のように海外旅行に行けることだって考え方によってはけっこう恵まれているのだけど、2015年、28歳の私が行きたかったのは「イスラエル」だった。

キリスト教とイスラム教とユダヤ教の聖地が集結する、たくさんの歴史が動いた「世界の中心」をこの目で見てみたい。1週間で行って帰ってくるのではなく、周囲の国もまわって雰囲気の違いを感じながら、中東にどっぷり浸かってみたい。

そのためには休みを1カ月近くとる必要があって、それをこの職場に居続けながら実現するのは難しい。

そんな思いを頭の中でぐるぐるさせているうちに、私はまた懲りずに先のことを考えず、「なんとかなるだろ」と何の計画もないまま、イスラエルに行くために会社を辞めてしまった……。

■ゴミだと思っていたものが宝になることもある

「社会に出て働くのは無理だから大学院で映画研究を続けよう」も、「映画研究はやっぱりきついので趣味ってことにして、働きたくないからゆるい仕事がしたい」も、「イスラエルに行きたいから会社辞めよう」も、まず他人にはおすすめできない、意識の低いアホな決断である。

ただ、今の私はといえば、中東旅行中にTwitterで紹介してもらったIT企業に所属しながら、フリーでコラムを書く仕事をしている。

結果的には運が良かったわけだけど、そんな幸運を助けたのは、間違いなく「年間数百本単位で、狂ったように朝から晩まで映画を観続けた」「こんなことに意味はあるのかと自問自答しながら、チェコ映画の研究を続けた」あの学生時代の日々だ。

就活でウケるような経験じゃなかったし、こんなことは人生で何の役にも立たないと、長く思っていた。だけど、あのときに養った知識と偏愛っぷりが、今の仕事に生きている。

長いスパンで考えないと、人生において何が正解かはわからない。
ゴミだと思っていたものが宝になり、宝だと思っていたものが塵になる。
そんなことは、この先もたくさんあるんだろう。

■きっとこれからも迷い続けるけど

私はどちらかというとモノを持たないタイプの人間だ。
部屋がモノで溢れてしまうとか、片付けられないとかって、あまりない。

だけど、前職時代に着ていたスーツは、「また着る機会があるかも」という気持ちがどこかにあって、実は捨てられていなかった。振り返れば、イスラエルからもどってきて3年間、結局一度も着なかったんだけど。

私はこれからどうなるのか?
結婚もしてないし、私のことだから、突如雷に打たれて「アタシ、パティシエになる!」と一大決心をし、フランスに修行に出かける可能性もゼロではない。

でも、パティシエを志す可能性もゼロじゃないけど、たぶん文章を書いて、あるいは文章に寄り添って、これからは生きていくんじゃないかな。ずっと。


平成が終わるにあたって捨てようと思ったのは、そんな「20代の迷走」の象徴でもある、グレーのスーツだ。
いらないものはすぐにゴミ箱行きの私が、それでも「いつかまた着るかも」と、3年間捨てられなかったスーツ。

これを捨てることによって、もう私は迷わない。これからは綿密な計画のもと、考えに考えて、しっかりキャリアを形成していく! ……なんてことは、未だに言えない。

だけど、3年間一度も着なかったスーツを前にして、なんとなく、「私はこの道で、大丈夫だ」と、思うことができている。

さんざん右往左往した平成の、20代の迷走。私の好きなものはゴミばっかり……と鬱々としていた時期も長かったけれど、意外にも、そうでもなかったのかもしれない。

きっとこれからも迷い続けるけど、それでも、このスーツを捨てることによって、自分の選んだ道を、もう一歩肯定できそうな気がしている。


Text/チェコ好き( @aniram_czech

旅と文学とついて書くコラムニスト・ブロガー。1987年生まれ、神奈川県出身。ちょっと退廃的なカルチャーが好き。HNは大学院時代にチェコのシュルレアリスム映画の研究をしていたことから。

Photo/池田博美

4月特集「決別のときじゃない?」

DRESS編集部

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