今の生活を変えたいんだけど、変えるのがめんどくさいんだよ
エッセイスト・吉玉サキによる連載『7人の女たち』では、とある7人の女性たちが抱えてきた欲望や感情を、それぞれへのインタビューを通じて描きます。今回は、今の生活を続けるのがつらいと思いながらも、そのたびに怠惰な自分が顔を覗かせてる、葵さんのお話しです。ただただめんどくさいだけなんです。
「会社辞めてフリーになりたいけど、怠惰だから行動に移せない。会社行くほうがラクだからね」
葵ちゃんはトムヤムクンをすくいながら言う。
金曜の夜。私たちは下北沢のタイ料理屋で、小さなテーブルに向かい合っていた。
「こんな、昨日と今日の区別がつかないような毎日、あとどのくらい続けるんだろ。ぞっとする」
私はグァバジュースをすすりながら頷く。その気持ちは、会社員をしたことのない私にも覚えがある。きっと、たくさんの人がそう思っている。
■怠惰だから仕事やめられない
葵ちゃん(仮名)は32歳。
10年くらい前に、共通の友人が開いた花見で知り合った。
当時の彼女は、日芸の写真学科を卒業したばかりのフリーターで、モラトリアムの雰囲気を濃くまとっていた。私も芸術系の学校出身のフリーターだったので、共通言語を持っている葵ちゃんとは最初から気安く話せた。
その後、葵ちゃんは就職した。
写真の補正や修整などを行うレタッチャーという職に就き、もう7年になる。
だから今の彼女は「32歳の会社員」なわけだけど、社会の世知辛さとはどこか無縁に見える。短く切りそろえられた前髪も、力の抜け具合も、モラトリアム時代とさほど変わらない。
レタッチャーはフリーランスの人も数多くいるらしく、彼女もフリーへの転向を考えているらしい。
「別に、フリーのレタッチャーがやりたいってわけじゃないんだけどね。ただ会社辞めたいだけ」
仕事自体は好き。そもそも写真学科に進んだのも写真が好きだからだし、かといってカメラマンを目指していたわけでもないので、大学で学んだ知識を活かせるレタッチャーの仕事は向いているという。職場の人間関係にもストレスはないそうだ。
「たださ、入社したときから思ってたんだけど、毎日同じ場所に行って同じことをするのがつらいんだよね。だから今の生活を変えたいんだけど、変えるのがめんどくさいんだよ」
そう言いつつ、葵ちゃんは現状について深刻に悩んでいる感じでもない。ただただ「めんどくさいんだよ」と笑う彼女には、たしかに怠惰という言葉がぴったりだった。
■Twitterがもたらした幸せなプライベート
実は、葵ちゃんはTwitterのフォロワーが1万3000人もいる。
私がそのことに気づいたのは最近だ。たまたまTwitterで見つけたアカウントが葵ちゃんのものだった。
「思うままにつぶやいてたら増えた……」
彼女は日常の中の些細なことを、オシャレ過ぎない写真とともに短い言葉でつぶやく。それが絶妙に面白い。写真にしろツイートにしろ、日常を切り取るセンスが抜群に良いのだ。
Twitterは、彼女の人生を少しだけ変えた。気の合う友人がたくさんできて、今はそのうちのひとりとルームシェアしている。
「中身のない話が好きなんだよね。昨日も同居人とスープのこと『スーピー』って呼んでずっと笑ってた」
わかる。私も、後輩との間で「あらゆる会話に 『芦田愛菜』という単語を盛り込む」のが流行り、ずっと笑い転げていたことがある。
スーピーも芦田愛菜も、大多数の人は「それの何が面白いの?」と首をかしげるだろう。けれど、そういう会話の面白さを共有できる人は世の中に一定数いて、葵ちゃんはTwitterでそういう人と出会った。
会社を辞めるふんぎりがつかないのは、「プライベートが楽しいからハングリーさを欠いている」ということも影響しているのだろうか。
そう尋ねると、「たしかに、そうだねぇ」とのんびりした返事が返ってきた。
■「生まれてきたからには何かを成さなければいけない」という思い込み
「人生で一個、何かを成し遂げなきゃいけない気がするんだよねぇ」
現状を変えたいと願うのは、葵ちゃんの中にそういった焦燥があるからだという。彼女は「まぁ、思い込みなんだけど」と言い、ウイスキーのソーダ割りをひとくち飲んだ。
そうして彼女は写真家の岩根愛さんの話を始めた。
岩根さんは仕事でハワイを訪れた際、日系文化に興味を持ち、それ以来、何年にも渡ってその魅力を広める活動をしているという。葵ちゃんはそういう、何かひとつのテーマに情熱を注ぐ人生に憧れる。彼女の言う「何かを成す」は、「有名になる」でも「お金持ちになる」でもなく、「打ち込む」ことなのだろう。
たしかに、そういう生き方は魅力的だ。私も、「途上国で貧しい子どもたちを救う活動に人生を捧げている人」などのドキュメンタリーを見ると、そういう人たちの人生を眩しく感じる。
まぁ、今の私は「文章によって生きづらさを抱える人たちを肯定したい」という思いがあるので、それが人生の(当面の)テーマと言えるだろう。
だけど、葵ちゃんはまだ情熱を注げるテーマに出会っていない。それに出会えたら、躊躇なく会社を辞めてやりたいことにシフトできるのかもしれない。
テーマが見つかっていない今はまだ、会社を辞める必然性が低い。
だけど、辞めたい。その堂々巡りらしい。
「ほんとにもうさ……あ!」
葵ちゃんの視線の先を見ると、ドブネズミが駆け抜けていった。しばらくふたりで「ディズニー映画のワンシーンみたいだったね!」「あまりにも店に馴染んでるから飼ってるのかと思った!」と盛り上がり、すっかり何の話をしていたのか忘れてしまった。
■踏み出せない自分を否定しない
以前、ある友人が「会社を辞めて留学したいけど勇気が出ない」と悩んでいた。それを知った周りの人たちは「一度きりの人生、踏み出さなきゃダメだよ!」と背中を押した。
そんなエールを受け、日に日に「踏み出せない自分はダメだ……」と自己否定に陥っていく友人を見て、「踏み出さなきゃダメ」という言葉は呪いになりうると私は痛感した。
周りの人たちも、友人の背中を押すために善意からその言葉をかけたのだろう。けれど、「~しなきゃダメ」という言葉が結果として、当の本人を自己否定に追い込んだ。良かれと思ってかけた言葉が相手を苦しめるなんて、お互いにとって悲しいことだと思う。
そのときのことがあったから、私は葵ちゃんのことを勝手に心配していた。もしかしたら、葵ちゃんも周りから「変わりたいなら、勇気を出して変わらなきゃダメだよ」というようなプレッシャーをかけられて、自己否定に陥っているかもしれない。
ところがどっこい、葵ちゃんは「怠惰だから踏み出せない」とは言うものの、「踏み出せない自分はダメ」とは言わない。自分を変えたいとも、変わらなきゃとも言わない。
彼女はきっと、長いこと自分の怠惰さと向き合ってきたのだろう。自己否定と内省を繰り返し、自分の怠惰さが変えられないものであると諦めたのではないだろうか。その夜、彼女と話してそう感じた。
「怠惰な自分はダメだ」と自己否定するだけなら簡単だ。しかし、怠惰を是正するのは大変なことだし、是正せずに受け入れることだって、同じくらい大変だと思う。
彼女はとっくに受け入れ体制に入っている。
私の出る幕なんてなかったのだ。
「人生、これでいいって思える日はこないだろうなぁ」
そう言って、葵ちゃんはタピオカミルクをすする。
彼女がフリーになったとしても、今の生活を続けたとしても。どちらにせよ、大変なこともあれば楽しいこともあるだろうし、「これでいい」と思える日はなかなか訪れないのかもしれない。
それは私だって同じだ。念願叶って書くことを仕事にできたのに、「これでいい」と思えたことがない。よく言えばハングリー精神旺盛だし、悪く言えば欲しがりだ。
だけど、おばあさんになる頃には、「これでいい」と思えるようになっていたい。葵ちゃんも私も、形はどうあれ、そこに向かう旅の途中だと思う。
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今の生活を変えたいんだけど、変えるのがめんどくさいんだよ
1983年生まれ。noteにエッセイを書いていたらDRESSで連載させていただくことになった主婦です。小心者。