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夢には諦め悪く手を伸ばし続けるし、できる限り掴み取りたい

エッセイスト・吉玉サキによる連載『7人の女たち』では、とある7人の女性たちが抱えてきた欲望や感情を、それぞれへのインタビューを通じて描きます。最終回となる今回は、吉玉さん自身が抱えてきた強欲さについてのお話しです。

夢には諦め悪く手を伸ばし続けるし、できる限り掴み取りたい

物欲も金銭欲も性欲もわりと薄いほうだから、自分のことを強欲だと思ったことがなかった。

けれど今回、七つの大罪をテーマにした連載を始めるにあたり、「実はすごく強欲な自分を持っているかもしれない」と思った。

私はしばしば「完璧な思い出」を欲して、手に入らないと執着してしまう。強欲とは「もっと欲しい、たくさん欲しい!」と量を求めることだと思っていたけど、「理想と完璧に一致するものがほしい、それ以外は嫌だ!」と質に拘泥することもまた、ある種の強欲さだと気づいた。

■完璧な思い出が欲しかった

30歳のとき、夫とボリビアのウユニ塩湖に行った。

雨期になると、見渡す限り真っ白な塩湖に水が溜まり、鏡のように空を映す。日本人旅行者に人気の絶景スポットだ。

実際に行ってみると、塩湖の景色は写真で見たとおりに綺麗だったし、それなりに楽しかった。

だけど私は、「思ってたのと違う」と感じた。

私はもっと、「夢のような絶景に時間を忘れて夢中になる自分」を思い描いていた。「ウユニ塩湖」で検索するとたくさん出てくる、いかにも楽しげな人文字写真やトリック写真を撮りたかった。

けれど現実は、高いテンションではしゃぎながら写真を撮る他の旅行者たちに圧倒され、ヘラヘラ愛想笑いでやり過ごしている自分がいた。はしゃぎたかったのに、人目が気になって存分にはしゃぐことができなかった。

村の安宿に戻ってから、「もっと完璧に楽しみたかったのに!」と言って、泣いた。30歳になってそんなことで泣く自分に、内心で「我ながら病的だな」と引く。

けれど、気持ちの折り合いをつけられない。どうしても、ウユニ塩湖での完璧な思い出が欲しい。

夫に「明日、もう一回ツアーに参加してリベンジしよう」と提案する。現地の旅行代理店によるツアー代金は安く、何度も参加している人もいた。予算的には可能だ。

しかし夫は、「十分楽しかったんだからもういいじゃん。何がそんなに不満なの?」と不思議そうに首を傾げる。

わかっている。私だって、そう思えたら楽になれる。

なのに、なぜ私はそう思えないのか。なぜこんなにも、完璧にこだわってしまうのか。

その夜、私は悔しさのあまり熱を出した。
ウユニ塩湖の思い出が完璧じゃなかったことが、たまらなく悔しくて悲しかった。

■「持っている思い出で満足しなさい」と言われても納得できない

手に入らなかった思い出に焦がれることは、あまり人前では言わない。

昔から、否定されて余計に悲しくなることが多かったからだ。

10代の頃、心のバランスを崩して全日制高校を中退し、通信制高校に在籍していたのだけど、手に入らなかった全日制の青春に焦がれて苦しくなることがよくあった。

そういう気持ちを親や友人に言うと、必ずと言っていいほど、「でも、全日制じゃない人なんていっぱいいるよ。あなただけじゃないよ」と言われた。

相手が私を励ますために言っていることは理解できる。だけど、たとえば喉から手が出るくらいに欲しい宝石があるとして、人から「あの宝石を持ってない人もたくさんいるよ」と言われて諦められるだろうか?

私は到底、諦めきれない。

「手にしてない人が自分以外にもたくさんいる」というのは、私にとって、欲しい気持ちが消える理由にはならない。

だって私は、他人と比べているのではなく、理想の自分と比べているのだから。

他人が手にしていようといまいと関係ない。私は、私の理想通りのものが欲しい。

私には「あなただけじゃない」以上に言われたくない言葉があった。それは「あなたは恵まれてるんだから、今ある思い出で満足しなさい」。

恵まれていることを持ち出されたらぐうの音も出ない。私は経済的に安定した家庭に育ち、友人もいる。だからそれを指摘されるたび、自分自身に「そうだよね、私は十分幸せなんだから満足しなきゃね」と言い聞かせてきた。

だけど、いくら自分にそう言い聞かせたところで納得できない。

今あるものに感謝することと、今あるもので満足することは違うと思う。

今持っているブーツがお気に入りでも、買えなかったブーツのことを考えると、「欲しかったのに」と思ってしまう。それを人から「満足しろ」と強制されたらムッとするし、悲しい。

私は満足しなきゃと自分に言い聞かせつつ、心の奥では満足することを拒否していた。

■「制服デート」というものをやってみたかった

よく「何事も遅いことなんてない」という言葉を聞く。前向きで素敵な考え方だ。皮肉ではなく、心からそう思う。

だけど、今からじゃもう遅いことだってある。たとえば、「全日制の高校に通って制服デートがしたかった」という願いは、30代で既婚の今からではもう叶えられない。

私だって別に、いつもいつも制服デートのことを考えているわけではない。普段はそんなことすっかり忘れて生活しているくせに、何かの拍子に思い出しては「欲しかった思い出が手に入らなかった」と拗ねる。そんなことが、年に数回ある。

夫にそう言うと、「制服デートする?」と笑いながら言われた。

「おじさんと制服デートって何の罰ゲームだよ。そんな思い出、絶対に作りたくないわ」と、私も笑う。

「じゃあ、制服じゃないデートする?」

「それはつまり、普通のデートでは」

「まぁ、そうだね」


そんな話の流れで、久しぶりに夫とデートすることになった。用事もなくふたりで出かけるのはいつぶりだろう。

お弁当を持って、少し遠くの大きな公園に行く。公園までの道すがら、スーパーで缶チューハイを買い込んだ。

ベンチに腰掛け、夫が作ってくれたお弁当を広げる。チューハイで乾杯し、おにぎりと卵焼きとぬか漬けのシンプルなお弁当をつついた。どれも、とても美味しい。ほろ酔いでポツリポツリとおしゃべりをしながら、池を泳ぐ鴨を眺めた。

それだけのことが、なぜだか泣きたくなるほど幸せだった。

「今、なんだかすごい楽しい」

そう言うと、夫は「満足した? 制服じゃないけど」と笑う。

私は、とても満ち足りた気分で頷いた。

かといって、制服デートへの憧れや執着が消えたわけではない。それは、どんなに今が幸せでも消えないのだろう。「今が幸せなら、過去もぜんぶ幸せ」とは思えない。オセロのように、今が白だからといって過去もすべて白にひっくり返ることはなくて、過去に黒だったものは今もまだ黒のままだ。

けれど、今が幸せだと、過去を振り返っても胸が痛くない。

それは、執着が消えたとか、過去を肯定できるようになったとかではなく、今の幸せに気がまぎれているのだろう。

そして「それでいいじゃない」と思う。

新しい思い出を積み重ねることで、過去の痛みをまぎらわす。強欲さや執着を手放さなくても、私はそれで幸せになれるのではないだろうか。

気づけば、空が赤くなっていた。すっかり酔っ払って、ふわふわした足取りで帰路についた。

■強欲で何が悪い

手に入らなかった思い出に執着する強欲さは、正すべきものだと思っていた。

過去に捉われちゃいけない。今あるものに満足して、欲張らず、未来を見なければいけない。ずっと、そう思っていた。

だけど、本当にそうだろうか?
私の強欲さは、絶対に正さねばならないものなのだろうか?

私には、強欲が大罪と呼ばれるほど悪いものだとはどうしても思えない。

もちろん、他人から大切なものを奪ったり、人を傷つけるようなことはしたくない。けれど、強欲というエネルギーは、未来に向ければ夢を叶えるための強力な武器になると思う。

どう足掻いたって今からじゃ手に入らない思い出はあるし、それを思うと胸が締め付けられる。涙を流し、熱を出すこともある。

だけど、そうやって過去に捉われながらも手を伸ばし続ける自分を、私は否定したくない。制服デートに憧れた高校生の自分も、ウユニで泣いた5年前の自分も、認めてあげたい。決して、自分自身に「今あるもので満足しろ」とは言いたくないのだ。

強欲で何が悪い。

これからも、夢には諦め悪く手を伸ばし続けたいし、できる限り掴み取りたい。

それがきっと、過去の自分にしてあげられる唯一の癒しだと思う。

イラスト/緒上ゆき(@ogamiyuki

『7人の女たち』の連載一覧はこちらから

7人の女たち#1
どうせ食べるなら、罪悪感なく笑顔で食べたいじゃない

7人の女たち#2
「この人と恋愛しても幸せにはなれない」。なのに、身体が勝手に相手を選ぶ

7人の女たち#3
親になっても、自分のために怒っていいのだと思えた

7人の女たち#4
今の生活を変えたいんだけど、変えるのがめんどくさいんだよ

7人の女たち#5
20代の頃は、「自分は変われる」って思ってたんだよ

7人の女たち#6
妬ましいってことは、自分もそうなりたいってことですよね

7人の女たち#7
完璧な思い出が欲しかった

吉玉 サキ

1983年生まれ。noteにエッセイを書いていたらDRESSで連載させていただくことになった主婦です。小心者。

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