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あの時ああ言ってやればよかった 第5話「告白した女」

過去の出来事に対して「あの時、きちんと言い返しておけばよかった……」とモヤモヤした気持ちを抱く様々な女性たち。恋愛、結婚、家族や友人との関係に、やるせない想いを重ねる彼女たちの前に、ひとりの老婆が現れ……。小説家・南綾子による最新作『あの時ああ言ってやればよかった』の連載がスタート! 第5話は「告白した女」。

あの時ああ言ってやればよかった 第5話「告白した女」

「あのとき、ああ言ってやればよかった……」

 日曜の昼下がり、ドーナツ屋の隣のテーブルではしゃぐ家族連れを横目で見ていると、ふいに過去のできごとが胸をよぎって、小山内梅子は息苦しくなった。

また、最初のデートで失敗してしまった。

 もう37歳なのに。何度繰り返せばいのだろう。あまりに彼氏ができなさすぎて、死にたい、と思うことすらある。

 原因はわかっているつもりだ。理想が高すぎることと、経験が著しく不足していること。若い頃に美人とチヤホヤされ、そのときに釣り上げまくった理想をどうしても下げられない。

なまじ外見がよかったから、もったいぶってほとんどの誘いを断ってきたらこのザマだ。好きな人ができても失敗ばかり。


 最新の失敗の相手は、職場の後輩、藤井完次だ。

 一年前、藤井は梅子のいる営業二課に異動してきた。25歳のさわやかな見た目の好青年。タイプどんぴしゃだった。

 そして、運命の日はふいにやってきた。今から半年前のこと。午後3時過ぎの社内エレベーターで、彼とふたりきりになった。彼のほうから声をかけてきた。「小山内さんって、バイク乗るんですよね。俺、中免とりたいってずっと思ってるんですよ。話聞かせてもらえません? 今度、飲みに行きましょうよ」

 内心ではその場ででんぐり返しでもしたいほどの大歓喜だったが、冷静に対処した(つもりだ)。個人的な連絡先を交換し、2日後にさっそくふたりで飲みにいくことになった。絵にかいたようなトントン拍子の展開に、梅子は有頂天だった。

 会社近くのタイ料理屋で、バイクの話を30分、恋愛の話を1時間30分した。ふたりの雰囲気はよかった、いや最高だった。聞いてもいないのに、年上の女性がタイプだと彼は言った。

しかし、間違いなく2軒目に誘われると思ったのに、そうはならなかった。

梅子は焦った。また、いつふたりで会えるかわからない。これが最後かも。ならば今夜、少しでも進展しておきたい だって、わたしはもう37だから! 1秒でもはやく彼氏がほしいから! モタモタなんかしてられないんだから!

 そんなわけで、地下鉄の入り口が見えてきたとき、酔いも手伝って、梅子は言ってしまった。

「わたし、前から藤井君のこと、好きだったんだ」と。

 そのときの彼の引きつりまくった顔は忘れられない。死んだとき思い出すのはあの顔かもしれない、とすら思う。

 翌日から、完膚なきまでに無視された。挽回できないまま日々は過ぎた。そして今から3週間前の6月半ば、営業二課の女性管理職の送別会が開かれた。そのとき、藤井が酔ったふり(に梅子には見えた)をしながら、その場にいる全員に聞こえる声でこう言った。

「こないだもスゲー年上の女から告られてさ。相手、37歳だよ? 干支同じだよ? その人、会話もガツガツしてて、恋愛の話ばっかりしたがるし、独身のおばさんって怖いよ、本当」

「37っていうと、俺と同じじゃん」梅子の隣にいた同期の川野が口をはさんだ。

「うちの部署だと小山内しかいなくね? もしかして、小山内、お前、こいつに告ったの?」

 梅子は顔を真っ赤にして、絶句してしまった。わたしです、と宣言しているようなものだった。

 ああ、イヤだ。思い出したくないのにまた思い出しちゃった。梅子はドーナツ屋の窓際の席で、思わず頭を抱える。

「あのとき、ああ言えばよかった、と思うことは、ないかね?」

 梅子は顔をあげた。向かいの席に、見知らぬおばあさんがいた。随分と小汚い恰好をしている。梅子のドーナツを勝手に食べている。

「わたしはある。ある男に言ってやりたいことがある。でも言えずに死んでしまったよ」

「は? あの、すみませーん、変な人が……」店員に助けを求めた。しかし、誰もいない。

店中が無人で不気味に静まり返っていた。

「わたしと同じような女たちの、その胸のもやもやを救ってやりたいんだ。だからあなたを過去に戻して、言いたいことを言わせてあげよう。どうだい、やってみるかい?」

 すぐにあの送別会のことが思い浮かんだ。

もし戻れたら、川野にうまく言い返してなんとかその場をごまかしたい。でもそれ以上に、もうあんな屈辱を味わいたくはなかった。みんなの前で好きな人にバカにされるなんて。無理無理。死んだって無理!

「いやだ! 戻りたくない!」

「ダメだ、いきなさい」

「そんなあ」その瞬間、梅子の頭の中でガーンという音が響いた。

■正々堂々と好意を告げたわたし

 ガーン。

 音はまだ続いている。しかし音の出どころは隣にいる川野だった。

「ガーン、ガーン、ガーン。ああ、俺終わったよ」

 梅子は周りを見渡した。間違いなく、あの送別会の最中だった。場所は会社近くの居酒屋の個室。

「見てよ、あのふたり」川野は言う。「雪乃ちゃんと藤井、デキてるのかな」

 テーブルの一番端に、藤井と派遣社員の山本雪乃がいた。あの日、なるべく藤井のほうを見ないようにしていたので気づかなかったが、藤井は雪乃を口説いている最中だった。思わず梅子も「ガーン」とつぶやいた。

 そういえば、ふたりで飲んだとき、やたら雪乃のことを聞かれた気がする。当時、環は雪乃の指導係だった。もしかして、彼女のことが聞きたくて飲みに誘ってきたのかも。いやそうだよ。年上好きとか、ただのリップサービスだったのだ。今頃気づくなんて、わたしって本当にバカだ。

「彼氏と3カ月も会ってないの? そんなの他に女いるって。俺は浮気って一度もしたことない。二股なんて考えられないよ」

 妙にはっきりと藤井の声が聞こえた。必死で雪乃にアピールしている。しかし、彼女のほうはやや困っているようにも見えた。

「藤井さんって、社会人になってから彼女がずっといないって聞いたんですけど、本当ですか?」

 雪乃に聞かれ、藤井は顔を引きつらせた。最初にふたりで飲んだときにチラッと感じたことだが、彼はモテそうなルックスのわりに、恋愛下手というか不器用なところがあるようだった。傷つくのが怖いのかもしれない。プライドが高すぎるのだ。

「俺さー、なぜかわからないけど、全然好みじゃない女から言い寄られたりするんだよね」

「へえ、そうなんだ」

「そうなんだよ、例えば……こないだもスゲー年上の女から告られてさ。相手、37歳だよ? 干支同じだよ?」


 あ、と思った。その言葉を改めて耳にして、急にすべてが腑に落ちた。そうか、そういうことだったのか。

「その人、会話もガツガツしてて、恋愛の話ばっかりしたがるし、独身のおばさんって怖いよ、本当」

「なるほどねぇ。なるほどなるほど」

梅子は藤井に聞こえるように、わざと大きな声を出した。

「そういうわけねー、なるほど、藤井君」

 藤井が不審げな顔でこちらを見る。川野が「何がなるほどだよ」と梅子に聞いた。

「いやね、藤井君はその……誰かしらないけど、年上の女に告られた話をダシにして、自分はモテるアピールを雪乃ちゃんにしてるわけよ、今。セコいわよね。誰かを貶めることで自分を持ち上げてるつもりなのよ。ダサいわ」

「お前、キッツー」川野はそう言って、ガハガハと笑った。ほかの同僚たちも笑っている。

「でもまあ、ダサいよな」

「ダサいわよー。たしかにね、その37歳の女もガツガツしてて痛々しかったかもしれないわ」梅子は藤井をまっすぐ見つめた。

「でもわたしは、今、心から思う。こんなセコいやり方でしか異性にアピールできない奴より、正々堂々と好意を告げたわたしのほうが、ずっとマシだから!」

 しまった! わたしって言っちゃった……。

「え! それお前の話?」

「いや……えっと。ちがーう!」

 あまりの恥ずかしさで恥骨が痛い。みんながクスクス笑っている。最悪だ。結局みんなにバレた。梅子は「トイレ!」と叫んで立ち上がり、その場から逃げだした。個室を出るとき、数秒だけ振り返って藤井の顔を確かめてみた。 

無表情だった。必死でなんらかの感情――多分、屈辱感とかそういうもの――を抑え込んでいる顔だ。いい気味。そう思ったら、なんだか笑えてきた。ふふふと笑っているうちに、気分が晴れてきた。

■外見とか、年齢とか

 ハッと気づくと、隣の家族連れがじっとこちらを見ている。梅子はドーナツ屋の窓際の席で、なぜか大笑いしていた。慌てて口を閉じ、店を飛び出した。

 さっきまで降っていた雨が上がって、外は蒸し暑かった。日曜日の午前10時過ぎ。今日は何も予定がない。

 なにげなくスマホを見ると、誰かからLINEのメッセージがきている。一昨日の合コンで出会った男性だった。「よかったらまた飲みましょう」と書いてある。

 うーんと思わずうなった。この人、とってもいい人そうだったけど、背も低いし髪も若干薄くて、しかも40過ぎなんだよなあ。

 でも外見とか、年齢とか……そういうことで人を判断することから、そろそろ卒業しようかな。

 なんだかそれって、かっこ悪いことのような気がしてきた。 

 うん。どうなるかわからないけれど、この人に会ってみよう。久しぶりのデートになるかも。なんだかワクワクしてきた。できることならその場ででんぐり返しでもしたい気分だった。

イラスト/つぼゆり(@tsuboyuri_

南綾子先生によるweb小説『あの時ああ言ってやればよかった』は、10月22日から10月31日まで毎日更新! 公開スケジュールはこちらからご確認いただけます!

10月22日
第1話「恋人がいない女

10月23日
第2話「謝られたい女

10月24日
第3話「叩かれた女

10月25日
第4話「浮気された女

10月26日
第5話「告白した女

10月27日
第6話「プロポーズされた女

10月28日
第7話「死にたい女

10月29日
第8話「絵を描く女

10月30日
第9話「完璧な母の女

10月31日
最終話「怒る女

南 綾子

1981年、愛知県生まれ。2005年「夏がおわる」で第4回「女による女のためのR‐18 文学賞」大賞を受賞。主な著作に『ほしいあいたいすきいれて』『ベイビィ、ワンモアタイム』『すべてわたしがやりました』『婚活1000本ノック...

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