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あの時ああ言ってやればよかった 第1話「恋人がいない女」

過去の出来事に対して「あの時、きちんと言い返しておけばよかった……」とモヤモヤした気持ちを抱く様々な女性たち。恋愛、結婚、家族や友人との関係に、やるせない想いを重ねる彼女たちの前に、ひとりの老婆が現れ……。小説家・南綾子による最新作『あの時ああ言ってやればよかった』の連載がスタート! 第1話は「恋人がいない女」。

あの時ああ言ってやればよかった 第1話「恋人がいない女」

「あのとき……ああ言ってやればよかった……」

 窓の向こうに遠くそびえる夜のスカイツリーをぼんやり見つめていると、ふいに過去のできごとが胸をよぎって、霧島冴子は息苦しくなった。

 今の人生には満足している。順調にキャリアを積み、同世代の女性と比べても高い報酬を得、40歳になったばかりの3年前、東京の下町に建つ1LDKのマンションを新築で購入した。
 
 結婚。
 
 結婚は、まったくしたくなかったわけじゃない。理由はよくわからないけれど、結局できなかった。周りの人には理想が高いだの、自由を求めすぎだの、好き勝手なことを言われた。どれも正しいし、正しくない。はっきりしているのは、結婚していない人生でも十分幸せだということだ。恋人はいてほしいとは思う。ときどき出かけたり、一緒に食事ができるような。今は、いないけれど。

 でも、あのときのことを思い出すと、胸がモヤモヤとして、たまらなくなる。自分はやっぱりみじめな女なんじゃないかという不安感で、いてもたってもいられなくなる。

 それは、約8年前。冴子が35歳だったときのことだ。

 大学のサークル仲間が、ホームパーティを開いた。客は全部で十人ぐらいいて、ほとんどが夫婦や恋人同士で参加していた。その中に、大学時代から三十代前半まで、約十年付き合った元カレの啓介がいた。彼は冴子がしらない、二十代半ばと思しき彼女を連れていた。

 パーティがはじまって、2時間ぐらいした頃だろうか。誰かが「彼氏できた?」と冴子に話を振った。無言で首を振ると、横から聞き覚えのある大きな声が飛んできた。

「マジかよ、まーだ彼氏できねえの? お前ってほんとモテねえなあ!」

 啓介だった。続けて、独身で彼氏がいないことをみんなの前で散々バカにされた。怒りと屈辱で、頭が真っ白になった。今となっては、細かなことはもう覚えていない。あの頃はなかなか彼氏ができなくて、合コンにいったりパーティにいったりと、必死に活動していた時期だった。とても焦っていた。だから、余計に傷ついた。
 
 でも一番悔しいのは、何も言い返せなかったことだ。
 
 平常心を装ってヘラヘラした笑みを浮かべていたことだ。

 ただただ、自分に腹が立つ。

 でも、もう8年も前のこと。なのにいまだに思い出しては、胸をモヤモヤさせてしまう。

 今夜もそうだった。ベッドに入ってからも、どう言い返せばよかったのかと考え続けてしまい、眠れなかった。 午前1時、思い切って起き上がり、財布を持って外に出た。眠れないときは何か食べる。それに限る。

 マンションから最寄りのコンビニまでは徒歩で二分。信号を渡った先にある。

 深夜でも、普段はわりと車の往来のある道だった。でも、今夜はやけに静かだ。いつもより暗い気もする。

 大きな交差点に、自分ひとり。

 なんだか、怖い。

 どうしてかわからないけれど、とにかくいつもと違う。帰ろう。来た道を戻ろうと冴子は振り返った。そして思わず「わ!」と叫び声をあげた。

 鼻と鼻が触れるほど近く、女が立っていた。

 歳の頃は六十前後だろうか。黒いワンピースに肩までの縮れた髪。みたらし団子をむしゃむしゃ食べている。

「あのとき、ああ言えばよかった、と思うことは、ないかね?」
 
 女は言った。冴子はとっさに「え?」と問い返した。

「わたしはある。ある男に言ってやりたいことがある。でも言えずに死んでしまったよ」
 
 死んだ? え? どういうこと?

「わたしと同じような女たちの、その胸のもやもやを救ってやりたいんだ。だからあなたを過去に戻して、言いたいことを言わせてあげよう。ただし、それは仮の体験で、過去も現在も未来も何も変わらない。どうだい、やってみるかい?」
 
 意味不明。頭おかしい。逃げよう。走って。全力で。猛ダッシュで。それが一番正しい選択だとわかっているのに、なぜか冴子はその場に立ったままでいた。そして、謎の女の言葉に対し、静かにひとつうなずいた。

「うん……やってみる」

 次の瞬間、目の前の景色がまったく別のものに変わっていた。

■わたしがわたしを見下してた

 大きな窓から差し込む、明るい日の光。広いリビング。テーブルに並んだ料理とワイングラス。部屋の角に置かれたクリスマスツリー。人々が床に座ってDVDを見たり、キッチンの前で立ち話したり、それぞれ思い思いに過ごしている。

 まぎれもなく、あの日だった。8年前のホームパーティ。

 冴子はソファにひとり、ポツンと座っていた。居心地がずっと悪かった。自分以外はほとんどがパートナーと一緒だった。今思えば、幹事である舞子の意地悪だったのかもしれない。

 その舞子が含みのある笑みを浮かべて、冴子の隣に座った。

「冴子、相変わらずバリバリ働いてるの?」

「え……まあ」

「すごいよねえ。外資系金融に転職って、年収すごいんでしょ? 1000万越えた? いいなあ。で、いい加減、彼氏はできた?」

「あ、いや……まだ……」

「マジかよ、まーーーーーだ彼氏できねえの? お前ってほんっっっっとにモテねえなあ」

 啓介の声だ。彼はキッチンカウンターの前で若い女と菓子をつまみながらイチャついているところだった。記憶にあるより50倍、いや100倍憎らしい言い方だなと、冴子は妙に冷静に思った。

「もうかれこれ五年はいねえんじゃねえの? もう三十五だぜ? いくら仕事ができて稼いでるからってさあ。誰にも相手にされなくて、ぶっちゃけ、女として恥ずかしいって思わねえの? 仕事命のアラフォー女なんて、男に相手にされないって」

 改めて、なんてひどいことを言うんだと思った。こんな男と10年も付き合っていたなんて。

「あ、そうだ。いいこと思いついた」そう言って、啓介はリビングの隅を指さした。「お前、あいつと付き合えばいいじゃん」

 振り返ると、ひとりの男がワイングラス片手にポツンと立っていた。

 彼の名は、吉田次郎。小太りで、背が低くて、前歯が一本欠けている。区役所勤め。人生で1秒も彼女がいたことがない男。
「あ! いいかも」と隣の舞子がうれしそうに言った。「ね、本当にふたり、付き合えば? お似合いかなって実はずっと思ってたの、わたし」

「ひどい!」冴子はほとんど反射的に、そう口走っていた。

 と同時に、ハッと思い出した。啓介の発言にも傷ついたけれど、舞子に次郎とお似合いだと言われたことにも傷つき、腹を立てたことを。でも、舞子に対してはストレートに「ひどい!」と怒りを表明できた。だから腹の虫も収まり、そのまま忘れてしまったのだ。

 少しずつ、記憶が脳裏によみがえる。このあと、自分は続けてこう言ったはずだ。

「舞子、わたしが次郎なんかとお似合いだって、本当に思っていたの? ひどくない? あいつ、彼女いない歴年齢の童貞だよ?」
 
 次郎に対してとても失礼なことを言っているという自覚は、あのとき、これっぽっちもなかった。恋人ができたことがない人間は、見下されて当然だと信じていたのだ。自分は今はいないけれど、過去にはいたことがある。だから、まったくいない次郎よりは立場が上だと。

 バカみたい、と冴子は思った。そんな考えが自分の体には染み着いている。だから、この日のことを思い出して、いつまでもモヤモヤしてしまうのだ。

 恋人がいないわたしは、元彼にバカにされて当然だと、わたしがわたしを見下している。

 そんなこと、あるもんか。

「冴子?」目の前で、舞子が不思議そうな顔でこちらを見ていた。「どうしたの? 黙り込んで。あの、次郎のことは冗談……」

 冴子はすっくとその場に立ち上がった。そして啓介をまっすぐ指さした。

「あんたみたいな、他人を見下していい気になっているバカ男とつき合うぐらいなら、ひとりで十分。わたしはあんたと別れて、本当に幸せ。その隣の若い彼女、自慢するためにここにつれてきたんでしょ? 相変わらず人の評価ばかり気にしてるのね。いまだにやりたいことが見つからなくて迷走してるの? 自分に自信がなくて、不安でしょうがないところも変わらないね。かわいそうな人生。ご愁傷様」

 啓介は顔を真っ赤にしていた。何をやりたいかわからない。それは彼の隠れたコンプレックスだった。

「わたしはわたしでいいの。誰とも比較しないし、誰のことも上にも下にも見ない。負け惜しみとでもなんとでも思えばいい」

■きっとまだ遅くない

 ハッと気付くと、夜の交差点に戻っていた。

 謎の女は、もういなかった。

 なんだったんだろう、今の。まるで短い夢を見ていた気分。

 そう思いながら、フフッと笑いがこぼれる。夢だったとしたら、とてもいい夢だ。なんだかとても気分がスッキリしている。

 そうだよな。結婚してないから、恋人がいないからって、結婚してる人や恋人がいる人より立場が下だなんて、思わなくていいんだよな。今まではずっと、無意識のうちにそう思っていた。でも、今日からはもうやめよう。

 それにしても、次郎って、今頃何をしているんだろう。近々電話して、あのときのことを謝ろう。

 うん。きっと遅くない。


イラスト/つぼゆり(@tsuboyuri_

南綾子先生によるweb小説『あの時ああ言ってやればよかった』は、10月22日から10月31日まで毎日更新! 公開スケジュールはこちらからご確認いただけます!

10月22日
第1話「恋人がいない女

10月23日
第2話「謝られたい女

10月24日
第3話「叩かれた女

10月25日
第4話「浮気された女

10月26日
第5話「告白した女

10月27日
第6話「プロポーズされた女

10月28日
第7話「死にたい女

10月29日
第8話「絵を描く女

10月30日
第9話「完璧な母の女

10月31日
最終話「怒る女

南 綾子

1981年、愛知県生まれ。2005年「夏がおわる」で第4回「女による女のためのR‐18 文学賞」大賞を受賞。主な著作に『ほしいあいたいすきいれて』『ベイビィ、ワンモアタイム』『すべてわたしがやりました』『婚活1000本ノック...

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