セクハラ発言に「笑わない勇気」を持ちたい
セクハラのニュースが日々たくさん報じられる。私たちの普段の生活でも、ニュースにはならないにせよセクハラ発言をされたり、他の人がされているのに居合わせることは決して少なくない。そんなとき、私たちがまずはできることって何だろう?
2014年の都議会本会議。東京都議会議員(当時)の塩村文夏さんが晩婚化対策について質問していると、複数の男性議員の声で「早く結婚した方が良いんじゃないか?」「産めないのか?」などのヤジが飛んだ。
塩村さんは困ったように笑いながら次第に涙ぐんでしまい、そのヤジが「セクハラヤジ」なのではないかと批判や抗議が巻き起こった。
この本会議の映像はニュースやワイドショーで散々放映されたので、記憶に残っている人も多いのではないだろうか。私もその頃、何度も見た覚えがある。
ヤジにとても腹が立ったので、女友達と会ったときにそのことを話題に出した。「あのヤジ、あり得なくない?」と。
すると友人は、「あり得ない。あんなオッサンたちが議員なんて、そりゃ都政良くならないなと思うよ。でもね、塩村議員はすごく可哀想だけど、でもあそこで笑っちゃいけない、絶対に。映像見ながら『笑うな』って思った」と言った。
それを聞いて、ハッとした。
塩村さんは100%被害者だ。気の毒だという気持ちは、当時も今も変わらない。ただ、たしかに友人の言うように、ひどいことを言われているからこそ、そこで笑わずに、毅然とした態度をとるほうが良かった。
塩村さんは後日、この件について処分請求書を都議会議長宛に提出していて、決してセクハラヤジを許容したわけではなく、きちんと抗議している。でも、その場での加害者への態度も重要だ。
被害者が笑ってしまうと、セクハラ発言をした側が「あ、これくらいなら大丈夫なんだ」と発言を許容されたと勘違いし、発言がエスカレートしたり、別の被害者が生まれたりしかねない。
「それはNGです」「あなたの発言はセクハラです」と態度で示すことも必要なのだ。
■セクハラ発言に「NO」を言えない心理
でも、塩村さんがとっさに困って笑ってしまったのを私は責められない。
かつて私も、「笑った」ことがあるから。
以前勤めていた職場の上司は、父親ほどの年齢の男性だった。彼はその場にいない同僚について、私や他のスタッフに「彼女はいい人なんだけど、全然結婚しないよね。何か問題あるのかな」とか、「あの人は女性だから、そんな長く仕事しないでしょ。でも彼氏もいなさそうだな」とか、セクハラととれる発言をしていた。
その場に本人がいないとはいえ、職場で名指しでそんな発言をするのはNGだろう。
でも、私も含めその場にいたスタッフは誰も上司を諌めず、気まずくなって黙って俯いていた。困ったように少し口元だけで笑いながら。
そういう場面に何度も居合わせたから、セクハラ発言に、笑う、黙る、俯く、の反応を咄嗟にしてしまう気持ちがよくわかる。
相手が上司だと諌めるようなことは言いづらい。そこで「おかしい」と主張してその場の空気を悪くしたくない。セクハラ云々と言って、「扱いづらいお堅い女」と思われたくない。たとえ正しいことを言っても、女性の同僚ですら味方してくれるとは限らない……。
もし私自身がセクハラ発言されていても、そんな思いが渦巻いて、おそらくその場で毅然とした態度をとることも、反論もできなかったと思う。
■まずは「笑って流さない勇気」を持ちたい
大前提として、セクハラは加害者が100%悪い。責めるべきなのは加害者の理性の欠如で、改善すべきなのも加害者の精神・行動だ。
でも、今の世の中には、セクハラ発言に対して被害者含め、周囲の人間が迷わず「NO」と言えない空気に満ち満ちている。
「まだまだ男性中心の社会で女性が生き抜いていくには、セクハラには騒ぎ立てず、うまく受け流すのが大人」と指南する女性向けメディアすらあって驚かされるし、#MeTooのハッシュタグでセクハラについて書いた女性へのネット上での反応には否定的なものも多い。
この空気があふれている間は、どんなに「セクハラはダメだ」と政府や組織が唱えても、標語だけがひとり歩きするような気がする。
空気の正体を突き詰めて考えると、個人の当たり前で正当な権利を主張するよりも、その場の空気を壊さないことを重視する価値観、そして男尊女卑だろう。
社会に根付いている偏った価値観も男尊女卑も、なかなかそう簡単には変えられない。でも「セクハラはダメだ」だけを叫ぶより、その裏にあるものを意識したほうが、いくらかでも状況改善につながらないだろうか。
セクハラ発言に被害者も周囲も「NO」を表現する勇気を持つために、そのほんの小さな一歩として、まずは「笑わない」勇気を持ちたいと思う。
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