映画『フジコ・ヘミングの時間』小松荘一良監督インタビュー! 世界を魅了する魂のピアニスト、豊かな人生を奏でる生きるヒントとは?
【シネマの時間】第31回は、映画『フジコ・ヘミングの時間』をお送りします! 苦難を乗り越え、60代で世界に見出された奇跡のピアニスト フジコ・ヘミング。輝き続ける彼女が教えてくれた生きるヒント。小松荘一良監督の特別インタビューも是非お楽しみください。 6月16日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国ロードショー!
こんにちは、アートディレクターの諸戸佑美です。
読者の皆さんは、音楽や芸術好きの方々も多いと思うのですが、最近どんな音楽を良く聴かれていますか?
【シネマの時間】第31回は、世界を魅了する魂のピアニスト フジコ・ヘミングのドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミングの時間』をご紹介させていただきます。
苦難を乗り越え、60代に一夜にして世界に見出された遅咲きのシンデレラ、フジコ・ヘミング!
80代になった今でも日本、ヨーロッパ、北米南米など世界中で年間約60本の演奏活動を続け、チケットは即完売、新たなオファーも絶えない奇跡のピアニストです。
本作は、映画はもとより数多くの音楽映像やドキュメント作品、コンサートの総合演出なども手掛ける小松荘一良監督が、企画から立ち上げ、パリ・NY・LA・ブエノスアイレス・ベルリン・東京・京都といった世界を巡るフジコを2年間に渡って撮影したドキュメンタリー映画。
情感溢れるダイナミックな演奏シーンとともに、お気に入りのアンティークに囲まれたパリや東京などのご自宅で、愛する動物たちとともに暮らす姿、知られざる家族・恋についてなど、本作でしか見られないフジコ・ヘミングの素顔が解き明かされています。
多くの人々を魅了してやまないフジコの音楽は、どんな人生・ライフスタイルから生まれてくるのでしょうか?
今回、小松荘一良監督に制作秘話など貴重なお話をたっぷりと伺っています。
どうぞお楽しみいただければ幸いです!
■映画『フジコ・ヘミングの時間』小松荘一良監督特別インタビュー!
ーー本日はどうぞよろしくお願いいたします。私もフジコ・ヘミングさんのことが好きなのですが鑑賞させていただき素晴らしい作品だと思いました。まずはフジコさんと小松監督の出会いからお聞かせください。
ありがとうございます。出会いは、2013年の春にあるTVのドキュメンタリーの企画がありまして、その時初めて出会いました。
僕は、ロックやポップスやダンスが多くクラシックはあまり知らなかったのですが、1999年のフジコさんの一番最初のドキュメンタリーを見てたんですね。すごく良い作品だったし、いろいろ調べるうちにこの人でやってみようと思いました。
一番最初にはじめましてとコンサート会場に会いに行ったときに、向こうから演奏が終わってスタッフに囲まれて廊下を歩いて来られて、僕が挨拶をしたら、ふっと目をそらしてはにかんだんですよ(笑)。
ーー初対面ですしね。恥ずかしかったのかもしれませんね。
はい。初対面ですし、モジモジとされて少女みたいでした。本当に可愛らしい人だなと思いましたね。初めましてということでケーキを持って行ったんですけどそのお礼もちゃんとしてくださったりして嬉しかったです。それからは基本的にずっと1対1のやりとりをさせていただいています。
ーー最初に企画を立ててアポイントを取って、はじめましてという感じですか?
はい、もちろん。イベンターやコンサート主催者に電話をかけて、こういう状況でとお話しをして。じゃあ後はご本人とお会いして直接決めてくださいと言われて、はじめましてと、そこからなんですよ。
ーーすごいですね。
ちょっとウマが合ったのかもしれないし、色々な話を伺って面白いと思ったんですが、そのドキュメンタリーがどうしても地上波だから、結局今までのフジコさんのドキュメンタリーと同じような艱難辛苦話の焼き直しを求められたんですね。
僕が取材をしていたときは、もっと違うところがあってチャーミングさもあったり。注目を浴びた頃の姿ではなく、もっと今の姿を描きたかったんです。
でもお陰で良い関係性ができたのでいつかまたできたらいいな、ちゃんとしたものが作れたらいいなと、年に何回か一緒にお茶を飲んでお話を聞いたりしていたときに、南米にもツアーに行くということを聞いたんです。
僕は、フジコさんの国内ツアーしか見たことがないので、海外ではどういう生活をしてるんだろうか、どういう人たちと関わってるんだろうか、何を食べているんだろうかとかすごく興味が湧いて、そこを改めて撮りたいなと思った。
まずは、知り合いのTV局に企画を持って行ったりして、だんだんとやっていくうちにやっぱり映画でということになったんです。
ーーTVは様々な制約がありそうです。
はい。もっと自由にしたいというところがあった。その当時のフジコさんに密着して、その時代を伝えたいという思いもありました。現在こうなんですよと。
1999年のあの貧しい時から一夜にしてシンデレラになったというところは、みんなファンの方はすでにものすごく詳しいじゃないですか。でもそれから20年近く経ってるんですよ。
フジコさんは、現在アーティストとしてすごく活動的になっているのでそのあたりを見せたいし、カッコイイし、少女の部分もある、すごく毒舌なところもあるし、気位が高いし、ずっこけたりとその辺がね、面白いの。それにとてもTVも見てるので世情に詳しいんですよ。
ーーなるほど。そんな思いがあって映画で作ることになったわけですね。今回、映画には、世界中で演奏するフジコさんの姿やパリや東京やロサンゼルスやベルリンなどの素敵なご自宅やライフスタイルが観れたことが感激でした。フジコさんは、日々の暮らしやライフスタイルをとても大切にされていて、しかもピアニストとしてとてもストイックですね。
そうですよね。あのストイックさは、おそらくお母さんの影響で。すごく厳しかったらしいので、そうしないとピアノを上手くなれないよ、みたいなことを少女時代に躾けられて、それを未だにずっと守ってるように僕は思えています。家に関してももちろん皆さん、家が綺麗で憧れると思うのですが、あれはフジコさんが自分で作った世界観のような気がしています。
東京のご自宅も友人たちが来て「海外にいるようだわ」と言われるのをすごく嬉しそうにしてらっしゃって。
少女時代から構築してきた夢があって、パリの家はこうしよう、どこどこではこうしようと常にイメージしているのかと想像します。家族の写真などすべて共通するものも置いてたりして、お洒落を超えたものがあって、アンティークやノスタルジックなものがすごく好きで、それは、自分の家族に対してヒストリーに対して愛情を持ってるんだろうなと思います。
ーー出ていってしまったお父様に対しても愛情深く大切に思っていて、表現者でデザイナーのお父様にリスペクトしている関係性を小松監督がとても優しい目線で捉えていて、フジコさんも素敵なんですが小松監督がじっくりと人間関係を構築してすごくあたたかい映像になっているのにとてもグッときました。
ありがとうございます。フジコさんはとても人見知りがある方だし、僕が撮る以上は優しくしようと思うんですけど、愛おしいですよね。
最初はお父さんとのこともわからなかったんですがだんだんわかってくるわけですよ。壁に貼られた写真も最初は飾りかなと思っていたんですが1個1個にストーリーがあって、聞いていくうちになるほどなと思って。
何十年も前のことをすごく覚えていたりとかするんです。文句を言いながらも置いてたりとかして。その身体の中の時を超えたヒストリーみたいなのを感じるなと思ったのでそこをシーンにしているんです。
ーー14歳の頃に描かれた絵日記も素晴らしいですね。よく残してらっしゃったなと思って。すごく上手で、今回『暮しの手帖』にも掲載されたりと。
ね、絵日記もすごいですよね。あれもあの『暮しの手帖』の出版社(朝ドラ『とと姉ちゃん』のモデルになった出版社)で、絵日記をまとめたものを作りたくて、がんばって動いてようやく実現しました。あれはきちんとした形で出したかったんです。
絵日記を見つけた時にこの映画のテーマが変わりました。オーソドックスなものでなくて時を超えれるなと思って。フジコさんの歴史をただ言葉で聞くんじゃなくて、14歳の絵日記の中に全てのフジコさんが入っている。1946年の過去と2018年の現在が繋がったというか、僕は今、80代のフジコさんと話しているけど、14歳のフジコさんに見えるときもあるわけなんです。
ーーご自分でも今でも16歳の気分だと仰る場面があって。
あの繋がりが見えた瞬間に、わあ、すごくロマンチックだなぁと、そしてそれを感じさせる力が音楽だったりするじゃないですか。僕は、フジコさんの「月の光」という曲が特に好きなんですが、あの曲が時代を超えて行く感じがしました。
ドビュッシーの「月の光」という曲は、フランスの詩人・ヴェルレーヌの幻想的な詩から作られたそうなのですが、フジコさんてそんな幻想的な感じがするなと思ってて。
ーーそうですね。魔法が使えるような気がします。
そうそうそう。だから特にフランスのパリで演奏するシーンはちょっとそういう感じに作ってみたんです。あんまりドキュメンタリーではやらない手法なんでしょうけど。僕はそういうのが好きであえて入れてみました。
ーー幻想的でファンタジックで。パリもそうだしベルリンもそうだし、京都のお宅も宮大工の方が造った素敵な家で、あの空間自体がすごくドラマティックで絵になっているように感じました。
おとぎ話のような世界を自分で構築してる気がして。フジコさんは、パリも似合うんですが京都も似合うんです。
ーー本当にお似合いですよね。また、東京のご自宅もより一層良く見えて、フジコさんの側にいる動物たちも犬も猫もみんな穏やかな顔をしていて幸せそうです。
本当に童話の中の主人公みたいです。おとぎ話の人のドキュメンタリーと思ったらいいのかな。フジコさんは、可愛らしくてチャーミングでそれでいて豪快で、ストイックだし孤高、人を嫌いと言いながらも人がすごく好きで、それ以上に動物たちが好きなんだろうなと思います。それとすごいのは、いくつになっても明日を夢見てる、未来を夢見てるのはパワフルですよね。
ーーそうですね。映画の中のフジコさんの話す言葉一つひとつにも名言がいっぱいあって、観ながらメモをとったりしました。80代で年間60公演、世界中を演奏して回って、本当に素晴らしいと思います。
そうなんですよ。素晴らしいバイタリティーです。特に日本では、年を重ねていくとこうでなければならないという風潮があるじゃないですか、それに囚われてないからそれが魅力なんだと思います。僕たちもそういうところを見てちょっと刺激を受けたりしたいなと思います。
ーーそうですね。監督は、どういった部分で一番影響を受けましたか?
やっぱり、やりたいことは、やりたい時にやっていくことなんだろうなと思うし、日本人てどうしても横並びで人に合わせていくんだけど、フジコさんはそういう風潮に背を向けて生きている。
子どもの頃は、時代背景もあるんですけれど外国人だからとイジメにもあったりした。でも今ではそういうことを乗り越えて、自分を大切に自分の好きなように生きていきたいということを通してるじゃないですか。
そうするともちろんいろんな辛いこともあるんでしょうけれど、年齢に関係なく自分の人生を自分らしく生き生きとして生きていけると思います。特に高齢化社会になってる中で、私はもう60、70代だから地味な服を着て年齢を考えてこうしようではなくてね。
ーー服装もお洒落を楽しんでらっしゃって素敵ですよね。フジコさん自体が絵になっているように感じます。
そうそう。だから皆さんもそうなるといいなと思う。お洒落は若者だけの特権じゃないことを、フジコさんから学びたいですよね。
ーー恋に関しても子どものことに関しても映画の中でお話をされていて素敵だなと思いました。「今、恋してるの」「2年ぐらいいい感じであればいいんじゃない」と仰って。
はい。素敵ですよね。いくつになっても素敵だなと思った人に恋するのは自然なことなんだと。あと、僕は映画では言わなかったんですけど、フジコさんが好きになる人というのは、お父さんの面影がある方たちのように思いました。
ーーそうなんですか。お父さま、カッコイイですよね。
2枚目でね。そうなんですよ(笑)。
ーーお母さんも美人で。
そうそう。なんか、そういった何かを追い求めてるんだろうなと勝手に空想したりするんです。
ーー小さい時に別れてしまっているので面影を追うところがあるのかもしれませんね。
そうですね。そこらへんが興味深いと思うのと、やっぱり恋はしていきたいですよね。
ーーはい。あんな言葉がサラッと言えちゃうのが大人だなと思いました。あれくらい軽やかに人生を楽しんで、フジコさんの言葉だと思うと深みがあります。最近、恋愛するのが難しいという人たちもいるので。
恋をしたいというのは、いろんな人たちが言ってると思うんだけど、年齢を重ねると、いろんな雑音が入ってくるじゃないですか。そこにパッと切れるくらいの言葉で「2年ぐらい楽しければいいじゃない、片思いでもワクワクすればいいじゃない」と言うのは僕はすごく素敵なことだと思いました。子どもの話はね、あそこまで話してくれるとは思ってなかったので驚きました。
ーー女の人がそこまで心の内を話すのは、信頼関係があるから話せたんですね。
とても切なかったですね。全ての夢を叶えているようでいて基本的な家族を作らなかったし、悲しくなったり寂しく思ったりすることもあるけれど、クヨクヨしないんだなと思って。様々な哀しみを乗り越えてる強さや優しさがある。あの場面は多くの人に救いのある場面だと思いました。
1930年代から生きてる人って、世の中が変わってるときでもあり、かなり波乱万丈じゃないですか。特にハーフの人にとっては、外国人排斥からアメリカ寄りの外国人が優遇される時代になっていくし、貧乏な日本だったのがだんだん豊かになってきて、いろんなことをいろんな風に経験してるから、人間的な大きさを感じます。
ーーそうなんですよね。ちょっともう想像できないようなことを明るく。劇中フジコさんが「楽しいことばっかりあって悲しいことがないのはちょっとどうかと思うの。センチメンタルなのもいいじゃない」という場面が好きです。
ね、そういったことが演奏の音色になっているのかなと思ったりするんですよ。
ーー本当ですね。生き様ですか。それがラ・カンパネラでも「生き様が、演奏に現れるのよ。誰にも負けないわ」みたいな場面もあって。
はい。それは自分も体感したことがあって1999年フジコさんが60代に一番売れたCDがあるのですが、最近のCDと聴き比べてみると前の方がテンポも早いしタッチも強い感じなんですけど今の方が味わい深く心に染みる感じがあります。
ーー是非、多くの人に聴いてもらいたいですね。映画では、昨年の12月のオペラシティでの演奏も納まってるんですよね。
はい。入ってる音は、基本的には近年の音で1999年の最初の頃の演奏とは違う、今のフジコさんが入っています。
ーーそれが見どころ聴きどころでもありますよね。小松監督だからこその選曲で。
そうですね。フジコさんが仰っているんですが「モーツァルトやドビュッシーを知らない人達が聴いても良い音楽だと思ってもらえるように私は弾きたいの」と、僕もそう思っていて「月の光」だったり「ラ・カンパネラ」だったり感動した曲を集めました。
クラシックが苦手な人もちょっと聴いてこの曲いいじゃんって思ってもらえるように。
ーーそうですね。全然知らない方にも聴いてほしいと思うし、この映画を観てほしいと思います。
この空気の中に漂っていてくれるといいなと思います。静かで大きな事件は起こらない映画なんですけど。
ーーいえいえ、充分、ドラマチックなフジコさんの人生を知ることのできる映画だと。
引きで見るとドラマチックなんですが、近くで寄って見ると別に話しているだけで大きな事件が起こるわけじゃないですか。通常だと事件を起こすんですよ。
ドキュメンタリーの1つの手管として演出側としても用意したりするんです。誰かと誰かを合わせたりしたりしていくことが、よくある商業ドキュメンタリーのやり方なんですけども、今回はあえてそれを絶対しなかった。だから友達に会いに行ったり友達が来たりするシーンは、あれは全て自然なんですよ。
ーーあれ、自然なんですか。
はい。呼んでません。
ーーたまたまなんですか、画家のお友達も……。すごいですね。
リアルに本当のことだったし、ベルリンに行くって言うのも本人が決めたんです。
ーーそうだったんですか。ライフスタイルの素敵さだとか、パリや日本などにあるどの家もこだわりがあってとても素敵で憧れます。
それは、きっと家もフジコさんの作品なんだろうなと思います。自分が呼吸し、生きて、座る場所というのは、ホテルだと味気ないからと海外でも演奏のために家を買ってるんです。家は、インテリアの一つひとつをとっても自分の美的センスのあったもの、自分が居心地良くなるものを置いている。あの空気感の中で佇んでるのがやっぱり空想できるし、ご本人がとても好きなんでしょうね。
ーーさすがプロフェッショナルな芸術家ですね。何を誰と食べるかからインテリア、調度品、ファッション、歩いてる姿、側にいる猫も犬も可愛いし、全てが絵になります。本当にすごいなと思うのが耳が聞こえなくなった時点で落ち込んでダメになったとしてもおかしくないのに、変わらずきちんと毎日ピアノの練習をして、毎年演奏会をやって、コツコツと、そうすることでどこかでちゃんと見てくれてる人がいた。それで60代でフジコブームになった。精神力の強さに驚かされます。
そうですね。絶対的な自信なんでしょうね。
たとえこの世で見出されなくても、毎日4時間の練習をして努力をしていれば、天国では必ず出番があると信じていた。
ーーすごいですよね。撮影は2年間どのようにされたんですか?
365日一緒にいたわけじゃないんですが、基本的に何かあるときはずっと一緒にいました。
ーースタッフについてもお聞かせください。
フジコさんが好きだとか、フジコさんのファンだとか、自分の親がフジコさんのコンサートを聴きに行っていてチラシが毎年来てるとか。いつも仕事をしている人たちに声をかけてみたらたまたま色んな縁があって不思議でした。
日活の中でも担当プロデューサーもフジコさんについて詳しい人だったり、宣伝部もフジコファンが多いんです。お産のときに聴いていたなんて人もいて(笑)。日活チームみんなちょっと詳しいんですよ。
ーーとても強力であたたかいチームですね。
そうなんです。フジコさんの魅力を改めて語らなくても良かったのが一番楽でした。
ーーそうですね。最初からツーカーでわかってもらえる。
はい。最初のスタートは本当に小さなものだったんですけども、やっぱりフジコさんの魅力だったり、何かしら縁があってたくさんの人たちが集まってきて、結果的に今のような映画になったんです。
ーー小松監督の力もありますね。
いえいえ(笑)。それが多分映画の醍醐味だと思うんですよ。どの時代のどの作品も何か作りたいという衝動のようなものがあって、その被写体、モチーフが正しければ人たちは集まってくるし、映画は大変なことばかりで基本的には辛いことが多いんですが、それを超えた後に、こうやってこういうものができたりすると(パンフレットを手に取って見せて)、嬉しいと思ったりするし。ちょっと不思議な縁の連鎖に恵まれました。宣伝のところで協力していただけた黒柳徹子さんやミュージシャンの方たち、テレビ番組で取り上げていただいたディレクターさんが、実は小学校の時にフジコさんのコンサートに連れていってもらったことがあると嬉しそうに話してくれたりとか。
フジコさんのことが好きだったりする人たちが集まってくれて、静かな映画なんですけどちょっと大きなスポットを当てていただいてるなと思っています。
ーーすごく嬉しいですね。それでは最後の質問なんですが、改めて小松監督から見たたくさんの人たちを惹きつけるフジコさんの魅力とは?
フジコさんの魅力は、世界を股にかけるピアニストでありながら、永遠の少女の感性を持っているところだと思います。老いていく部分に対してものすごく喧嘩を売っているところもカッコイイですね。
ーー気持ちは16歳だと仰ってましたね。
はい。いくつになっても純粋な心を持って世間を見ているというか、綺麗な心を持って目の前のことを見ている感じが、なかなかできることではないんだろうなと思うんです。
ーー本当に素晴らしいですね。映画のご成功、今後のご活躍をお祈りしております。本日は貴重なお話をありがとうございました。
■フジコ・ヘミング&小松荘一良監督の経歴
フジコ・ヘミング(本名/ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ)のプロフィール
東京音楽学校(現・東京芸術大学)出身のピアニスト、大月投網子とロシア系スェーデン人画家/建築家ジョスタ・ゲオルギー・ヘミングを両親としてベルリンに生まれる。(年齢非公表)。5歳の時、帰国。以来母の手ひとつで東京に育ち、5歳から母、投網子の手ほどきでピアノを始める。また10歳から、ロシア生まれドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツアー氏にも師事。クロイツアー氏は、「フジコはいまに世界中の人々を感激させるピアニストになるだろう」と絶賛した。青山学院高等部在学中、17歳でデビュー・コンサートを果たす。また、東京芸大在学中には、NHK毎日コンクール入賞、文化放送音楽賞など多数受賞。その後28歳でドイツへ留学。ベルリン音楽学校を優秀な成績で卒業。その後長年にわたりヨーロッパに在住し、演奏家としてのキャリアを積む。その間、ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドゥーラ=スコダに師事。今世紀最大の作曲家・指揮者の一人と言われる、ブルーノ・マデルナにウィーンで才能を認められ、彼のソリストとして契約するなどレナード・バーンスタインほか世界的音楽家からの支持を獲る。しかし「一流の証」となるはずのリサイタル直前に風邪をこじらせ、聴力を失うというアクシデントに見舞われる。失意の中、ストックホルムに移住。耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を取得し、以後はピアノ教師をしながら、欧州各地でコンサート活動を続ける。1999年リサイタルとNHKのドキュメント番組 ETV特集『フジコ~あるピアニストの軌跡~』が大反響を呼び、デビューCD「奇蹟のカンパネラ」をリリース。クラシック界異例の大ヒットを記録した。日本ゴールドディスク大賞のクラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤーを4回受賞。モスクワ・フィル、ロイヤル・フィルなど世界各地の著名オーケストラと共演。彼女と共演した際、世界的チェリスト ミッシャ・マイスキーは「あなたの芸術を賞賛します」と形容している。その他共演した多くのアーティストたちから絶賛されている。現在、ヨーロッパをはじめ、北米、南米、ロシアなど世界中からリサイタルのオファーが絶えない。年間約60本近くの公演活動で多忙を極める中、猫や犬をはじめ動物愛護への関心も深く、長年チャリティー活動も続けている。
小松莊一良(こまつそういちろう)監督のプロフィール
映画監督・演出家。1964年、米LA生まれ。広島県呉市で育つ。高校時代より自主映画製作を始め、第4回ふくおか映画祭 作品賞・脚本賞受賞。大阪芸術大学映像学科入学後、さらに自主映画製作で注目され、第一回集英社ヤングジャンプ・ビデオフェスティバルなど国内外のコンテストでグランプリを受賞。27歳の時、異色の音楽ダンス映画『ハートブレイカー 弾丸より愛を込めて』で商業映画デビュー。ドラマの他にも、ミュージックビデオやライブ作品などの音楽映像も数多く、吉川晃司、藤あや子、VAMPS、湘南乃風、東京スカパラダイスオーケストラ、ケイティー・ペリー、コンパイ・セグンド(ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ)、WOWOW『氣志團万博』などを手がける。ドキュメンタリー作品でも一貫して音楽やダンスをモチーフにこだわり、ストリートダンサーの生態をリアルに描いた長編ドキュメント『∞~MUGEN』(05)などがある。2018年初夏、企画から立ち上げた劇場映画『フジコ・ヘミングの時間』が公開。
■映画『フジコ・ヘミングの時間』作品紹介
6月16日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー
公式ホームページ:fuzjko-movie.com
監督・企画・構成・撮影・編集:小松荘一良
出演:フジコ・ヘミング、大月ウルフ
音楽:フジコ・ヘミング
ナレーション:三浦透子
エグゼクティブ・プロデューサー;新井重人
企画プロデュース:千葉広二
プロデューサー:小室直子
撮影監督:青木正
サウンドトラック・プロデューサー:西尾勇哉
ミキシング・エンジニア:坂元達也
ライン・プロデューサー;佐藤裕武、小松上花
宣伝プロデューサー:宮嵜永子
製作プロダクション:祭
製作:日活、ユニバーサルミュージック、祭り、スピントーキョー、読売新聞社
助成:文化庁文化芸術振興費補助金
制作年:2018年
制作国:日本
上映時間: 115分/カラー
配給・宣伝:日活
©2018「フジコ・ヘミングの時間」フィルムパートナーズ
【シネマの時間】
アートディレクション・編集・絵・文=諸戸佑美
©︎YUMIMOROTO
本や広告のアートディレクション/デザイン/編集/取材執筆/イラストレーションなど多方面に活躍。