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私は「女子」をこじらせていたわけではなかった

長年、自分自身を「選ばれない側の人間」だと思っていた嘉島唯さん。自立心をこじらせて過ごしていた幼少時代。「女は可愛げが必要なのだ」ということを実感した新社会人時代。同級生の前で本音を素直に伝えることができてから、「自分が選んでいなかった」のだと気づき――。

私は「女子」をこじらせていたわけではなかった

いい大学に入れば、いい仕事に就けば、恋人ができれば、幸せになるんだと思ってた。「選ばれる」ということだから。

いつからだろう? 自分が「選ばれない側」の人間だと思うようになったのは。

■「女」だから、正当に評価されないの?

「パステルカラーの服を着た方が良いんじゃねえの? 客あたり悪いよ」
「外見を変えれば数字が良くなる。俺が女だったらそうするけど」

就職してすぐに、学生の頃には感じることのなかった、それでいて明確な壁を発見した。

総合職として入社した私は営業として汐留のオフィスで働いていた。「目標必達」。こんな雰囲気のもと、毎日追われるように過ごしていた。与えられたタスクは、全部自分で完ぺきにこなしたい。誰かに頼って迷惑をかけるわけにはいかない。そうでなければ、評価してもらえない気がしていた。

でも、いい成績を収めても、周りから投げかけられる言葉は「結果を出してるね」ではなく、いつも外見についての言及だった。

「お前は、もうちょっと可愛げを持とうな」

やるせなかった。徹夜で資料を作って商談に臨んでも、結局「いつも黒い服を着てる。喪服みたい」と意味のわからない返しをされる。オフィスを見渡せば、パステルカラーの服を着た女性たちが、強面の男性社員に「ちゃんとしてくださいよお」と笑っていた。

私は女だから表面的な「可愛げ」が求められるの?

結果を見て。数字を見て。やるせなさに、トイレの個室に篭ってよく泣いた。「死にたいなぁ」という消滅願望は、口をついて出た。夜遅くタクシーで帰る日々が続き、気がつけば会社の最寄駅で過呼吸になっていた。

「これまでのやり方では、上手く行きませんよ。大人の世界は」

心療内科の医師に言われた瞬間、頭を鈍器で殴られたような気持ちになった。適応障害になり、ドクターストップがかかったのだ。

人に媚びることなく自分の足で立ってきた。でも今の私は、仕事もできない。人徳もない。信じてきたものが、脆く崩れていった。

「どこで何を間違えてしまったの? 誰か、どうにかしてここから連れ出して」

病院で号泣しながらそう思った。

■チョコレートなんて、私には甘すぎる

思えば、幼少期から素直になれない子どもだった。正確にいうと、自立心をこじらせていた。

今でもよく思い出す。祖母が家にやって来る際、必ずハーゲンダッツのアイスを買ってきてくれた。いくつも種類がある中で、姉はいつも「大好きなチョコレート」を選ぶ。私は、「“本当は”チョコレートを選びたいけれど、ストロベリー」を選んでいた。

チョコレートは甘すぎる。私はちょっと酸っぱい方がいい。そう言い聞かせていた。

素直な姉は、思春期らしく恋愛し、青春を謳歌していた。パステルカラーの服に身を包み、甘えた声で彼氏に電話する姉の姿を見て思う。

「自分の意思はどこにあるのだろう?」

幼少期に母を亡くした私にとって、先を歩いてくれる姉は、ついていきたい存在だった。習い事も一緒、学校も同じ。姉がいるから、安心して歩みを進められた。

でも、流行よろしく携帯にプリクラを貼る姿は、自分の足で立つのではなく、空気の中を漂うだけの存在に見えた。なんだか、すごく薄っぺらかった。

それに抗うように、恋愛感情が芽生えない10代を過ごした。無意識のうちにその感情を抑圧していたのだと思う。誰かから手を差し伸べられても、丁寧に振り払う。友人関係も同様だ。

「おまえには鉄のカーテンがある」
「どこにも馴染まないよね」

クラスメイトからよく言われた。そんな自分が好きだったが、一方で姉のような人たちを羨ましいとも思っていた。そっちの方が「正解」な気がして。

■「ひとりで生きたいなんて不遜だぞ」

過労の果てに、心身ともに壊れてしまった私に手を差し伸べてくれたのは、大学時代の友人たちだった。学生のころは、さほど関わりはなかったが、鬱々としたTwitterを見て心配してくれたのだ。

「おまえさぁ、ひとりで生きたいなんて不遜だぞ」

高田馬場の安居酒屋で、雑に向けられたこの言葉を最初は理解できなかった。

納得いかない顔をして、「人様に迷惑をかけるより、ひとりで落とし前をつける人間のほうが偉くない?」と反論する。

「とりあえず、自分がどうしたいのか言ってみろ」

どうして今、こんな質問をするのだろう? というか、私は何も成し遂げていないし才能もない。何か語ったところで、イタくない? 身の丈に合ってなくない? みっともなくない? 同情する?

頭の中でさまざまな声が飛び交った。逡巡しながらも、この質問は何かを開けるものだと思った。なんとなく、わかっていた。でも、怖くて開けられなかった。自分が“本当は”行きたかった場所に行くのが。

ゆっくり、おそるおそる口を開いた。

「いいじゃん」

ごく普通の、なんの気負いもない肯定が返ってきた。あまりの気取らなさに驚いてしまったくらいだ。不安定な椅子の上、ジョッキに入ったハイボールを持ちながら、ようやく「誰か」を知った。同時に気づく。私は自立ではなく、孤立していたのだ、と。

■私は、見落としていた

2月14日、会社をやめた。

その10日後には別の会社で働き始める。居酒屋でうっかり口走った「メディアの仕事がやりたい」という言葉のままに。

異業種からの転職。すべてがわからないことが前提。「こんなことも知らないなんて、失望されたら……」という懸念もまったくなかった。わからないことは聞き、できないことは素直に教えてもらう。この単純な行為こそが「可愛げ」なのではないか? 世界がひっくり返ったようだった。

確かに、「女らしい外見にしろ」という発言は古めかしい。けれども、私はもっと重要なことを見落としていた。性別は関係なく、仕事は誰かとの協力のもとに成り立つ。もちろん、人生もそうだろう。ひとりで生きたいなんて、自分の能力を高く見積もりすぎなのだ。

一度鉄のカーテンを開けると、ずいぶん生きやすくなり、人と深く関われるようになってきた。信頼関係とは、互いに「弱さ」を開示することから始まるのかもしれない。もちろん、すべての人にそうあるべきだとは思わない。私は「選ばれない」のではなく、「選んでいなかった」。

面白いことに、恋愛もできるようになった。時に刺激を受け、時に慰めてもらう。その逆を恋人に与えることもできる。だからこそ、お互い自分の足で立っていなければいけないことも知った。そうでないと、肩になんて寄りかかれないのだから。恋愛は、人を強くする効果もある。

別の発見もあった。男性にもある「社会からの圧」の存在だ。「女らしい」と対をなす「男らしい」は、彼らにものしかかっている。みんな同じように悩む。むしろ男性の方が、「弱さ」をさらけ出すのが苦手なのかもしれない。涙を流すのが下手な恋人を見ては、そう思った。決めつけているわけではないけれど、これが想像力というものだろう。性別などに関係なく、誰もが強さと弱さを持つ。

クリスマスやバレンタインを楽しむのも、昔は嫌いだった。街の雰囲気に流されているだけな気もするし、気恥ずかしさもあった。でも、実際に友人や恋人と「ベタ」に過ごしてみると、案外楽しいことも知る。ベタにはベタなりの良さがあるのだ。

私だって、たまにはチョコレートを選んでもいい。もちろんストロベリーの方が好きだけれど、今では素直な気持ちで選べる。黒い服を着て。

Text/嘉島唯
BuzzFeed Japan Writer←HuffPost←GIZMODO←SoftBank /ごくまれにnoteを書いています。

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