『DRESS』3月特集は「どうして伝わらないの」。新生活といえば、新しい出会いがセット。でも、新たに人と知り合う場で、うまく振る舞えない、いいように話せない……。そんな風に、少しだけ憂鬱になっている人もいるかもしれません。でも、大丈夫。新たな環境で過ごし始める人へヒントになる記事をお届けします。
「他人の目」を気にして不幸になる人、幸せになる人
一年の間に、1000人以上のお見合いを実施する婚活プランナーの大西明美さん。「他人の目」に晒され続ける婚活。その中で幸せになれる人、涙を流すほど苦しんでいる人との違いを綴っていただきました。
私の結婚相談所では、年間1000件以上のお見合いを実施しています。
ただ、結果はとてもシビアです。
断られる人はずっと断られ続け、交際を申し込まれる人はずっと申し込まれます。これは若いとかお金があるとかそういったことは関係ありません。
■自分を評価する「他人の目」
お見合い成立までは、若さ、年収、学歴、地位、ルックスは影響する部分も大きいです。
しかし、ひとたびお見合いが成立してしまえば、その後は「人格」的な判断が基準になります。一言で言うと、「印象が良いかどうか」ということ。
印象が良いかどうかは誰が判断するのか。
それは、お見合い相手ですね。誰を判断するのか。それは自分ですね。
つまり、印象の良し悪しを決めるのに「相手の目が自分を判断する」というプロセスがあるわけです。
お見合いを次のステップに進めるためには、この「相手の目」を攻略しなければいけません。
これ、婚活やお見合いだけではなく、自由恋愛にも当てはまると思いませんか?
印象が良くなければ、恋愛が進みにくい。その点はお見合いも恋愛も同じです。
さらにいうと、恋愛だけではなく、職場でも同じです。
印象が良いと思われないと人望を得られなかったり、信用してもらえなかったりなどキャリアに大きな打撃になることも少なくありません。
婚活、自由恋愛、職場……。
印象が良いと思われるための意識や努力をしないでいるとどうなるのか。
次の大事なステップにすすめず、自分らしさを発揮できないままくすぶってしまう危険性が高くなってしまうのです。
「他人の目を気にせず、自分らしく生きるべきだ」という声をよく聞きます。
ですが、実際は他人の目を意識しなかった結果、自分らしさを発揮できる機会が奪われてしまうことになりかねないのです。
印象をよくするということは、自分らしさを発揮する上でとても大切であるのだと、私は思います。
では、他人の目を気にしさえすれば幸せになることができるのでしょうか。
■「他人の目」をただ気にするだけでは、幸せにはなれない
私が結婚のお仕事をしているときに出会った30代の女性・しずかさんの話をします。
彼女は、とても美人で優しい女性でした。
聞く話によると、中学時代からずっとモテモテで、今もひっきりなしに男性から声がかかるとのことでした。私も彼女のルックスと人柄の良さに触れてすぐに納得しました。
しかし、なぜ私の結婚相談所に来なければならなかったのか。
しずかさんは、涙を流しながらその理由を明かしました。
「どの人と一緒にいてもほんまの自分らしくなれません。嫌われないようにするために、『いや』と言えないんです」
こういう女性は本当に少なくありません。
――人に嫌われたらいろいろと不都合な事が起こる。
「ここは私が我慢さえすれば、すべて丸く収まるんや」
そんなふうに考えて、自分の意見を言わないのです。
つねに相手が嫌な顔をしないかどうか顔色をうかがってしまう。察してしまう。そして相手が望む行動をとる。しかし、自分の心はいつも置き去りになり、最後窮屈になって爆発してしまう。その結果、結婚まで行きつけないのです。
彼女はギュッと強くハンカチをにぎり目にあてて泣き続けていました。
私は、そんなしずかさんの肩に軽く手を触れて話しました。
「嫌われないことをあなた自身よりも優先させてしまったんですね。愛しているからこその、あなたの愛の表現方法だったんですよね。これは苦しんだと思います」
「はい……。ひとりになるのが怖くて嫌と言えへんかったんです。でも、嫌と言わんかった結果、だんだん自分が自分でなくなることも同じぐらい恐怖でした」
しずかさんの場合、他人の目を意識する技術を向上させることで、モテ力はあがりました。
こういう女性はお見合いでも断られる確率は非常に低いです。しかし「嫌われない」ことが目的となっている「他人の目への意識」は自分を削り続けることになるのです。
「いや」という感情は自分自身の根幹部分。
例えば、「平気で遅刻する人は嫌だ」という場合、「相手に自分の時間を軽く見られているようでプライドが傷つく」という感情だったり、「ルーズなことがそもそも嫌い」だったりしますよね。
これはまさにその人の性格です。価値観を表していると言っても良いでしょう。
にも関わらず、本当は嫌なのに「大丈夫だよ」と振る舞う行動は、この自分のコアを押し殺すことになるんです。
だから、嫌われないように他人の目を気にするというのは、自分をただ押し殺し、その結果、心をすり減らすことになります。決して幸せな結果はもたらされないのです。
しかし、私はさきほど、「他人の目からの印象を良くしなければいけない」と書きました。
では、一体どうすればいいのでしょうか。
■相手に喜んでもらうため? 自分が嫌われないため?
先日、私の結婚相談所で結婚が決まった会員の女性みゆきさんから連絡がありました。
「美味しいトマトを買ってきたので、ぜひお渡ししますー!」とのこと。
みゆきさんは私の夫である”ひよこさん(と呼ばれています)”が、朝市に行き、新鮮な野菜を買うことが好きなことを知っていました。彼女もまたひよこさんと同じ趣味を持っていたんです。
彼女は八百屋で買い物をしたときに、「ひよこさんなら、絶対このトマト喜んでくれるだろうな」とピンときていたのです。
もうすでに結婚をしている彼女にとって、わたしたち夫婦に何かすることはまったくメリットがありません。そこにあったのは、「この人なら喜ぶだろうな」という気持ちでした。
これが正しい「他人の目」です。
しずかさんとの違いはなんだと思いますか?
それは、手段と目的です。
しずかさんの「他人の目を意識する」目的は、常に「嫌われないこと」です。つまり、自分を押し殺して相手を喜ばせるということは、嫌われないための手段なのです。
一方みゆきさんは、「喜んでもらうこと」そのものが目的です。
その手段は自分を押し殺したものではありません。好きな野菜を買いに行くことが手段ですね。これは自分のやりたいこと、好きなことの現れです。
つまり、他人の目を意識しながら、自分を開放しています。
自分を押し殺す要素はひとつもありません。
■自分自身が苦しいか、気持ち良いか、まずはそこを判断して
ただし、みゆきさんのケースのように、自分の想いや行動が、必ずしも他人の幸せにつながるとは限りません。
もうひとりの女性、さゆりさんが体験したお話を紹介します(何人ものエピソードを紹介してしまってすみません……これで最後なのでどうぞお付き合いください)。
彼女には、2年ほど前まで交際を続けていたとある男性がいました。
その男性は、あるときから一人暮らしをしている彼女の家に、なんのアポもなく夜中に何度もやってくるようになったのです。それも平日……。彼女にも仕事があります。だんだん体がつらくなってきました。
このとき、彼女の「夜中に来ないでほしい」という自分の想いは、彼にとっては満足の行く回答(喜ぶこと)ではありません。
この場合、どうすべきなのか。
身を削った自分じゃないと愛してもらえないなら、その愛を捨てる覚悟を持ちましょう。つまり、彼との軋轢を生むことが大切なのです。
「軋轢を埋めば、自分も他人も幸せな気持ちになれないじゃないか」と思われるかもしれません。その通りです。幸せな気持ちにはなれません。
しかし、身を削ることなくそのままの自分を守ることができます。
自分らしく生きることの大前提は、そのままの自分でいることです。
だから、大前提の自分を守ることを最優先しなければいけません。本来の自分がある上に、「他人に喜んでもらうこと」を目的とすること。
自分と他人の想いが別にあって、どちらかを遂げれば、どちらかがいい気持ちがしないのは当然です。その当然であることを当然だと認めるのです。
自分の身を削りすぎていると思ったら、軋轢を生みだしてでも、革命を起こさなければいけません。これが、ありのままの自分で幸せに生きるための大前提なのです。
ぜひ、他人の目を気にするどころか、生かしつつ、自然な自分を楽しんでくださいね。
婚活アドバイザー。自ら経営する結婚相談所で7年で200組以上のカップルを成婚へと導く。