【残る服、残らない服】選ぶときも着るときも幸せを感じる服選び 2/3
■プチプラが溢れる時代のモノ選び
ファッション代、おしゃれ代の予算には限りがある。100%納得できる服を端から端まで揃えることは難しい。服ばかりに予算をかけることはできない。もちろん私だってそうだ。
そこで、半年で区切り、大まかな上限の予算を決め、それを超えないように慎重に買い足していくようにしている。
1〜2回着たらすぐにヨレヨレになって、哀しい気もちで処分することになるだろうと思えるアイテムは買わない。特に肌に触れるトップスは、触った感じが心地良いと思えないものには手を出さない。その肌ざわりの不快感は、日々その服を着るときに自分にマイナスのものを与え続けてしまうから。
そして個々のアイテムの上限金額の決め方。
私は洋服でどんなに高級なものでも定番のものでも、永遠に着られるものはないと思っている。着物と違って洋服は時代を写し取るものだからだ。
いつかその洋服を手放したり、処分したりしなくてはいけない状態になったときに、「もったいなくてできない」と思うだろうな、という金額のものには手を出さない。それが上限。
それは人によっては1万円かもしれないし、20万円かもしれない。
自分のファッションや洋服にかけたい、かけられるコストをそうやって自分自身ではっきり決めてくことで、「服を買う」という行為に対して罪悪感は消える。いつも幸せな気持ちで買い物を楽しめるようになった。
プチプライスな服は、できればネット通販で買うようにしている。倉庫から直接配送されるので、人の手が触れず、店舗に並んでいるものより状態がいいため。fifthのリブニットは洗っても型崩れしない秀逸な品。色違いで揃えていくつもり。
■同じ服を二度着ない人生、同じ服を何度も着る人生
今の時代、「基本的に服はワンシーズン限りですべて処分する」という前提での買い物も可能だと思う。現代ではそれほどプチプラな服が大量に溢れている。
早いサイクルで入れ替わる商品。極限までコストを押さえた販売価格。去年のものを着るなんて笑われてしまうんじゃないだろうかと不安になり、「インスタ映え」を気にするあまり、次から次へと大量の服を買ってしまう女性たち。
でも30代40代と年齢を重ねれば重ねるほど、古い服、すなわち歴史のある服を持たないことの方が逆に寂しいことなんじゃないか、と私は思う。
クローゼットの中はもうすぐ捨てようと思っている服か、今シーズン買った服ばかりが溢れている。それって本当に豊かなんだろうか?
納得できる品質の自分の身の丈にあった服を、うんうん悩みながら、お財布と相談しながら一枚一枚選ぶ。丁寧に手洗いして着続けている上質なカシミアのニットやシルクのブラウス。ブラッシングを欠かさず何年も着ている上質なコート。悲喜こもごも一緒に人生を戦ってきたいろいろなアイテム。それらに触れるとき、間違いなく心はふわっと優しい気持ちで満たされる。
それは使い捨てファッションを続けていると絶対に生まれない気持ちだと思うのだ。
女のワードローブにはその女の「何かを選び取り、何かを捨てる」という思考と行動の繰り返しの結果がぎゅうぎゅうに詰まっているのだ。
以前の記事でも登場した、20年近く着ているTOMORROWLANDの紺のパンツスーツと、義母が結婚前に買ってくれた銀座かねまつのバッグ。現在でも現役活躍中。