【残る服、残らない服】選ぶときも着るときも幸せを感じる服選び
プチプラが溢れる時代のもの選びは難しい。高いモノ=必ず良いモノとは限らない。お安いもの=粗悪なモノとも限らない。自分の身の丈にあった、着ていて管理していて幸せな気持ちになれる服や小物の選び方について。
■残る服、残らない服
女業を長く営んでいると、「洋服を買う」「洋服を見る」という行為の回数は、天文学的な数字になっている。特に若い頃から洋服を見るのが大好き、試着するのも買うのも好きとくれば、触って手に触れた洋服のショップやブランドは数知れず。そして無事お持ち帰りとなって我が家の狭いクローゼットの一員となった洋服や靴や小物たちも数知れず。
「君、素敵だよ!」とラブコールを送り、大切に持ち帰った流行最先端の服。けれど哀しいかな、当然別れの日はやってくる。
「シンプルな定番のデザインだし、ずっと長く着られそう、ずっと着よう」と永遠の愛を誓って招き入れても、1年で破局、処分に至ることもある。
逆に、毎シーズンのシビアな総選挙にも勝ち抜き、ずっとしぶとく何年もクローゼットに残り続ける服もある。
残る服、残らない服。
その違い、境界線はどこにあるのだろう?
最近その答えが見えてきたような気がする。
「丁寧に作られた服、生地と縫製が上質な服、自分が愛情を持てる服」というのはやっぱり残る確率が高い、ということに気づいたのだ。
セオリーのニットは手洗いしながら10年以上着ているが、まったく古びず型崩れもしない。
毎年冬になると「お久しぶり」と声をかけて着る。古い友人という感じ。
■私がファストファッションのお店に行かなくなった理由
私は現在、誰もが名前を知っているような、全国展開のファストファッションのお店で服を買うことはほとんどない。
理由はいろいろあるが、「人とかぶる」「縫製や素材が悪くて長く着ることができないモノが多い」「積みあげられている大量の服から選び出すという行為が好きじゃない」「試着室が好きじゃない」などいろいろな理由がある。
「服を見て着て買う」という行為において、その時間にワクワクする気持ち、キラキラする気持ちが生まれないと思うお店、ブランド、場所を避けたい……と思っているうちに自然にそうなった。
そんな私も、もちろん一時期、ファストファッション、プチプラのショップで服を大量に買い込んでいたときがあった。そういったお店は、次々と新商品が投入され、次から次へと欲しいものが出てくる。そして嬉しいことに、衝動買い、色チ買いが気軽にできてしまう、とにかくお安いお値段。
暇さえあればお店を覗き、店内の隅々までチェックして必ず何か買ってしまう……という習慣がついてしまった。
私はあるとき気づいた。
「私は服を消費している。けれどそのことにより、自分自身がとんでもなく消耗している」と。
「安いから」「ワンシーズンでどうせ捨てるから」という意識のもと、あまり深く考えずにどんどん買っては捨てる、を繰り返す。そのサイクル。キリがない―――。
それって決して自分にとってプラスになっていない、と思い始めたのだ。
■服を買うお店の選び方は?
じゃあ、身分不相応な高級店に足繁く通うようになったのか?というとこれまたNO。
高級なお店でもちっともワクワクしない、逆に緊張するばかりで不愉快な思いをするお店もいくらでもある。
安いか高いかではなく、自分がそのお店に身を置いて、服や商品を見て触れてみて、そのときに感じる「気持ちの良さ、ワクワク感」。これで判断するようになった。
「この服を買って、毎日この服に触れるとき、自分はどのくらい幸せな気持ちになれるだろうか」と必ず自問自答してから買うようにした。
そうやって、お店やブランドを厳選していくうちに、驚くほど思考はすっきりし、買い物に費やす時間は激減したのだった。
「その料理に、作る人の気持ち、愛、熱意がいかに込められているかどうか」だと。
高級レストランでも愛のない料理が出てくることはいくらでもあるからだ。
私が洋服を選び取るときに感じる判断基準も、これに似ているところがあると気づいた。
生地や縫製が上質なもの。そして丁寧に作られていると感じるもの。デザイナーさんの愛を感じる服。
そして、一番大事なのは、お店のスタッフの方の、洋服・おしゃれが好きでたまらない! という、「アガる感じ」が溢れているお店。そういうところで洋服を買うのはものすごく楽しい。
実は、渋谷109で服を買うのはすごく好き。なぜなら店員さんが誇らしげに売り場に立ち、そのブランドの服を着ることを心から嬉しく思い、服に愛情を注いでいるのがわかるから。
逆に、店員さんや何故かお客さんまでがだるそうに疲れているお店。
服たちがぞんざいな扱いを受けているお店。
そんなお店には二度と行かない。下がり気味の「気」をもらってしまうからだ。