理解者

誰しも理解されたい欲求はあるけれど、理解しなくたって一緒に生きて行けるのが、私らしい家族のありかた。

理解者

僕は子どもは欲しいんですけど、嫁さんはいらないんですよね

と語る中年ディレクターがいた。
でも結婚には興味があるらしく、
「小島さん、結婚てどうですか」
「子育てってやっぱり楽しいですか」
と質問が多い。

私の結婚はあなたの結婚とは違うだろうから参考になるかどうかは分からないけど、私は結婚して良かったと思っている。子どもも大好きだ。子育ては大変だけど楽しい。けど、それは全部私の場合だから、一般化は出来ない、と私は戸惑いながら答える。

そうですかあ、いいなあ と言いながらも でも結婚はなあとぶつくさ言うそのディレクターには、何か事情でもあるのかも知れないが、私はロケの現場でディレクターの人生に深入りするつもりはないのでそれ以上は聞かない。

ロケはある男性のインタビューだった。人生を振り返りながら、パートナーとの死別や再婚を語る中で、道ならぬ恋の話もでた。お互いに伴侶があることを知りながら、どうすることも出来なかった恋の話。後に二人は結婚した。

「道ならぬ恋は仕事に差し支えるという不安はなかったんですか?」
「あったが仕方ないと思っていた」
「どうしてそうなるまで人と関わってしまうのですか?」
「理解されたいから」
「仕事仲間に理解されるのではダメですか」
「仕事仲間はライバルになるかも知れないが、伴侶はそうはならない。
本当に自分を理解してくれる人が欲しい」

そんな、情熱的な恋の顛末を聞いてロケは終わった。

件のディレクターは目を輝かせて言った。
「小島さん、僕、結婚したくなりました!」
絶対に味方でい続けてくれる理解者が欲しい、と彼も思ったのだろう。

だけど、と私は思う。

誰も、誰かのことを理解なんて出来ないよ?

ただ「自分は理解された」と感じることが精一杯で、本当に理解されているかどうかの証明は出来ないし、誰だって他者を理解することなんて多分厳密には出来ないだろうと思う。

私は夫と一緒に住んで16年、結婚して13年経つけれど、やっぱり良く分からない。毎晩1時間ぐらい話す間柄なのに、彼がどういう人なのか、私は理解していないと思う。

気になる短所や、尊敬する美点はたくさん上げられるけれど、たぶん理解はしていない。強い関心を持っていることは確かなので、関係は続いている。
子どもに対してもそうだ。

理解しなくたって、一緒に生きて行ける

それが、家族を持って気付いたことだ。私は夫や子どもに理解されているとは思わない。だけど彼らが私に共感し、慰めたり励ましたり一緒に笑いたいと切望しているのは分かるし、私を知ろうと努力しているのも分かる。

私も同じように、彼らと共感して、彼らを知りたくて質問する。それを続けることで、彼らとの間に他にはない豊かな繋がりと信頼が生まれるのを感じる。

誰かに理解されることがあるはずだと思うと、会う人ごとに「ああこの人は自分を誤解している」と失望するけれど、完全に理解されることはないだろうけれど、私のことを理解したいと思ってくれる人がいるのは嬉しいことだと思えば、この世は捨てたものではない。

そういう話を件のディレクター氏にしようと思ったら、まだ20歳の私の現場マネージャーの女性に「誰かいい人いない?」と尋ねている。

40過ぎて、20歳の女の子に理解されたいとか言ってんじゃねえ!
言われる女も大迷惑だよ!

すっかりアホらしくなって、とっとと撤収したのであった。 

小島 慶子

タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族と暮らすオーストラリアと仕事のある日本を往復する生活。小説『わたしの神様』が文庫化。3人の働く女たち。人気者も、デキる女も、幸せママも、女であることすら、目指せば全部しんどくなる...

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