お客さんには媚びない。脳外科医デザイナー流モノづくりの流儀【ジルデコchihiRo×Drまあや】
ジャズバンド「JiLL-Decoy association」のボーカルを務めるchihiRoさんがホスト役となり、同じく「ものづくり」に携わる方を招き、ものづくり、クリエイティブをテーマに語らう本対談企画。第3回では、脳外科医/ファッションデザイナーのDrまあやさんをお招きしました。
ジャズバンド「JiLL-Decoy association(以下、ジルデコ)」のボーカルを務めるchihiRoさんがホスト役となり、同じく「ものづくり」に携わる方を招き、ものづくり、クリエイティブをテーマにあれこれ語らう本対談企画。
3回目のゲストは脳外科医でありファッションデザイナーでもある、Drまあやさんです。
今回は、どんなものづくり論が飛び出すのか……どうぞ最後までお楽しみください。
■少女の頃から読んでいた『女性自身』がファッションの道へ進むきっかけに
chihiRoさん(以下、chihiRo):ギタリストの知人がギターを弾けなくなって、脳外科手術を受けたんです。びっくりしたのは、脳がパカッと開いた状態の患者にギターを持たせ、会話をしながら手術を進めること。「この部分を触ると弾ける、弾けない」とかやり取りするそうですね。脳外科医の仕事って意外とクリエイティブと関連してるんだなと感じました。
Drまあやさん(以下、まあや):「覚醒下(かくせいか)手術」ですね。手術中一時的に患者さんを麻酔から覚まして、執刀医と会話しながら進める手術です。患者さんの意識は戻っていますが、もちろん痛みを感じることはありません。
chihiRo:脳には神経が通っていないんでしょうか。
まあや:はい。脳そのものには痛覚を感じる神経は走っていないんです。なので、手術中も痛くないんですよ。患者さんの言語機能や運動機能を司る神経細胞を傷つけていないか、どこまで切っていいか、といったことを確認しながら行う手術なんです。
chihiRo:画期的な方法ですね。今回対談させていただくにあたり、まあやさんの著書『カラフルデブを生きる』を読みました。脳外科医として10年働いたタイミングで、ファッションデザイナーの道に進もうと決意し、ロンドンのセントラル・セント・マーチンズに入学されます。医師とデザイナーって、ある意味で対照的な職業のように思えますが、いつからデザイナーの夢を持っていたんですか?
まあや:本当に幼い頃からですね。3歳のときに祖父母と岩手で暮らし始めたんです。祖母がミシンを使って、洋服のお直しをするのを見て、私もミシンでこまごまとしたものを作っていました。そのときからファッションに興味を持っていたと思います。
chihiRo:当時、『女性自身』をよく読んでいた、というエピソードもありました。大人びた少女ですよね(笑)。
まあや:祖母が購読していた『女性自身』から人生のいろいろなことを学びました(笑)。『女性自身』は芸能やゴシップも多いですが、ファッションのページもけっこうあるんです。イブ・サンローランやシャネルなどハイブランドのコレクションも載っていて、憧れを持って眺めていました。
■脳外科医になって10年、訪れた転機
chihiRo:大学卒業〜脳神経外科医として慶應義塾大学病院にお勤めだった10年は、ファッションやデザインへの夢とどう折り合いをつけていたんですか?
まあや:がむしゃらに働いた10年でした。毎日緊急手術を含めた手術や診察に追われ、いつ死んでもおかしくないな……と感じるくらい、多忙を極めていて。ただ、仕事の合間にデザインをするチャンスもありました。大学病院は医師の入れ替わりが激しいので、送別のタイミングにオリジナルのデザインを施したTシャツやバッグをプレゼントしたり、学会用のポスターを作ったり。
chihiRo:そういう機会があると、夢が消えることはないでしょうね。
まあや:本格的に学びたい気持ちが徐々に芽生え始めました。それと同じ頃、大学院での研究があまりうまくいかず、教授から厳しく怒られて落ち込んだ日があったんです。帰り道、「私は脳外科医としてやっていけるんだろうか。これからどう生きていけばいいのか……」と悩んで、気づけば山手線を2周してました(笑)。
chihiRo:スランプの時期ですね。
まあや:何かのタイミングでぱっと顔を上げたとき、日本外国語専門学校 海外芸術大学留学科のオープンキャンパスの広告が目に入ったんです。週末、学校に話を聞きにいくと、かつて『女性自身』に載っていたデザイナーの出身校、セントラル・セント・マーチンズにも留学できると知って、まずは専門学校へ行こうと決めました。
chihiRo:一定期間、専門学校へ通うと留学できるんですか?
まあや:「専門学校で1年勉強して、ポートフォリオを作れば行けます」と言われました。脳外科医として働きながら、1年間その専門学校に通い、翌年にセントラル・セント・マーチンズに入学するため、ロンドンに飛びました。
■脳外科医とデザイナーを両立する方法
chihiRo:医師として働きながらファッションの専門学校に通うのもすごいことですが、さらにロンドンまで行ってしまう――今ある恵まれた環境を捨てて、まったく別の世界に飛び込むのは、相当勇気がないとできないことだと思います。セントラル・セント・マーチンズに通っている間、医師としての仕事はお休みに?
まあや:3〜4カ月休んで、少し働いて、というのを繰り返しました。学校が長期休暇に入ると帰国し、2〜3週間ほど当直や外来のお手伝いをして、またロンドンに戻って、という感じです。
chihiRo:連日たくさんの手術をしていた医師が、3〜4カ月も「現場」から離れる。そのことに不安はなかったですか?
まあや:留学を決めた時点で、「手術の巧い脳外科医になる夢は諦めよう」と覚悟しました。ただ、10年働くなかで、やり方はいろいろあると気づいてもいたんです。
chihiRo:いろいろ?
まあや:脳外科医といっても、手術だけではなく、診察や外来、当直など業務は多岐に渡ります。どの医師も同じですが、救急の業務をしながら一般業務もしなければ、現場は回らないのが実情。とくに脳外科医はそもそも人数が少なく、なかなか休めない医師も多いです。
chihiRo:医療現場は本当に過酷ですよね。『コウノドリ』などの医療ドラマで描かれる目が回るような忙しさや人材不足は、現役医師から見てもリアリティがあると聞くこともあります。
まあや:そうですね。なので、私が外来と当直に専念すれば、手術という第一線で働く医師は、夜家に帰って睡眠をとれますし、医師一人ひとりの負担を少しでも減らせます。現在も外来と当直が中心で、平日は東京で外来、週末は釧路で当直、という働き方をしています。
■モノづくりで大事なのはプロセス? 結果?
chihiRo:セントラル・セント・マーチンズ時代、「モノを作るまでのプロセスや思考が大事」と教わったと、ご著書に書かれていました。同じモノづくりをする者として、すごく興味深いポイントでした。
まあや:例えば、「自分が嫌いなものは何か」というテーマを与えられ、何が嫌いなのか、なぜ嫌いなのか、何がきっかけだったのかなど、ひたすらノートに書いていく授業もありました。作品を作り始める前に、自分で考えたことを作品にどう落とし込んでいくか、ひたすら考えるんです。卒展のときも、各作品の前にスケッチブックが置いてあって、先生は「作品はどうでもいい。この作品ができるまでにどういう過程があったか、このスケッチブックにすべて描かれている。どんなにいい作品ができたとしても、試行錯誤したプロセスが大事なんだ」と口を酸っぱくして言っていましたね。chihiRoさんはこの考え方、どう思いますか?
chihiRo:ジルデコも楽曲制作のプロセスを大事にしてきました。例えば、楽曲発表後に、「この曲は組曲から作ったんです。それはこうこうこういう経緯で〜」と、トピック的に話していましたが、その情報大事かな? と疑問に思うときがある。曲を聴く方にとっては、私たちの制作過程なんて関係なくて、聴いたときの印象がすべてだよな、と思ったんです。
まあや:難しい問題ですよね。私自身は先生が散々繰り返していた、「プロセスが大事」という考え方に真っ向から否定的なんです(笑)。結果がすべてでしょ、と思うから。私のようなデザイナーも、chihiRoさんのようなミュージシャンも、商品や作品を買ってくれる人によって支えられているわけですし。
chihiRo:作品を見たり、聴いたりするとき、作り手が通り過ぎてきたプロセスなんて知らないわけですしね。
まあや:そうなんです。だから、先生がしつこいくらい「プロセスが重要」と言っていたのは、クリエイターがアイデアを絶やすことなく、活動を継続していくための“手段”を身につけて卒業してほしかったからじゃないかなと、今は解釈しています。
chihiRo:なるほど。確かにバンド活動を長く続けていく上では、制作のプロセスは大切かも。
まあや:思いつきやひらめきだけで作っていると、いつかアイデアが枯渇する可能性があるし、クリエイターとしての寿命が短くなると思うんですよね。
■別の仕事がクリエイティブへのヒントになることも
chihiRo:まあやさんはネットショップを立ち上げて、そこで商品を販売されていますよね。さらに2018年にはここ(取材場所)をアトリエとショップとしてオープンされるそうですが、お客様からの反響はいかがですか?
まあや:モノを売ることの難しさを感じています(笑)。今のところは、医師として稼いだお金をモノづくりに投入しています。自転車操業というわけでもないけど、いつか行き詰まるときがくるから、現実的に考えないとダメだな……とは思っていますね。
chihiRo:ミュージシャンの話をすると、アーティストとしての活動と作詞作曲などの曲提供という二本柱でやっている人がほとんどです。アーティスト活動だけで食べている人はほんの一握りのトップでしょう。私たちジルデコもライブ中心ですが、曲提供など音楽にまつわる仕事もしている。うちのギタリストは学校で音楽の先生をしてるんですよ。
まあや:ふたつの顔を持っているんですね。
chihiRo:アーティスト活動以外の活動をすることで、アーティスト活動にもなんらかの影響や発見を与えるので、良いことだなぁとは思っています。
まあや:収入源がふたつ以上あると安心感もありますよね。デビューから3年くらいで消えていくデザイナーって多いんです。デザインの仕事をしているとお金がかかりますから、3年くらいで資金繰りが厳しくなるんだろうと思います。それに自分が作りたい世界観に基づくものだけを作っていても、売上につなげるのはなかなか難しい。
■売る「商品」、世界観を見せる「作品」に分けて考える
chihiRo:お客様の方にすこしだけ歩み寄ったモノを作る――そういった姿勢は必要だと思いますか?
まあや:ある程度売上を立てなければいけないと思う一方で、お客さんに媚びたモノづくりはしたくないんです。こうすればけっこう売れるだろう。でも全然気が進まないな、みたいな葛藤はあります(笑)。
chihiRo:なんとなくわかります(笑)。
まあや:これはお金に変える商品、これはアート、という風に分ける必要があるなと考えるようになりました。
chihiRo:こちらに飾ってあるグルーガンの洋服はアートに分類されますか?
まあや:そうです。リアルクローズではない、彫刻みたいな洋服がこの世に存在していても面白いかな、と思って作りました。商品と作品を分けて作る点で、私はデザイナーというより、「ファッションアーティスト」と名乗るほうがしっくりくるような気もします。
chihiRo:売るものと、ご自身の世界観を伝えるものとはまったく別物として存在しているんですね。その考え方はとても面白いです。
まあや:コム・デ・ギャルソンの店員さんから、パリコレで発表した作品の中でも、商品にするものとしないものとがあると聞きました。すべて商品化して売れるのが理想でしょうけど、パリコレはアート化してますよね。あの服、何十キロあるの? みたいな(笑)。
chihiRo:絶対に日常使いできない(笑)。
まあや:それを考えると、各ブランドがセカンドラインを作っているのにも納得するんですよね。セカンドラインを広い層に売ることで、ブランドの体力を維持しているんじゃないかな、と思います。
chihiRo:説得力がありますね。音楽の世界にセカンドライン的なものはないですが、考え方としてすごく参考になりました。本日はありがとうございました!
(完)
構成/池田園子
いろいろな顔を持つ女性たちへ。人の多面性を大切にするウェブメディア「DRESS」公式アカウントです。インタビューや対談を配信。