渡豪の顛末1

一家でオーストラリアに引っ越した。夫が仕事を辞める時にはショックを受けた。まじか?と思った。

渡豪の顛末1

自分一人で決心できることは少ない。
 
2月から、オーストラリアで暮らしている。一家で引っ越した。
私の生まれた国で、子どもたちは育つ。
と言っても、私は仕事があるので東京と行ったり来たり。
 
夫は去年、仕事を辞めた。これから子どもと豪州暮らし。
こういう人生、全く考えたことがなかった。
夢想したことはあるけど、どうしたって実現不可能だと思っていたのだ。
 
だって、夫が仕事を辞めるなんて思いもしなかったから!!!
 
最初はショックだった。まじか?!辞めんの?
 
でも、私も会社を辞めたことがある。とても孤独で苦しい決断だった。
彼もいろいろ考えて決めたのだろうから、それは尊重しよう。
で、これからどうする?
 
それからが大変だった。
 
自分のことは自分で決めるのが大人だと思っていた。そういう人になりたくて、背伸びをしていた時期もある。
 
けど結婚して家族が出来たら、そうもいかなくなった。一緒に生きている人がいると、自分ではどうにもならないことや、思いもよらないことに巻き込まれる。
 
醜悪な自分に出会うこともある。
 
夫が働いている時には影を潜めていた、私の中の傲慢なおやじが顔を出した。誰のおかげでお金が手に入るの? 私はこんなに大変な思いをして働いてるんだから多少ひどいこと言ったっていいでしょ?
 
最低だ。私が殲滅したかったクソおやじどもと同じ。
自分の邪気にあてられてぎっくり腰とインフルエンザをやった。身体中から、黒い煙がぶすぶすと吹き出した。
 
ほんと、離婚されても文句は言えなかった。
 
インフルエンザの高熱が下がったとき、憑き物が落ちたように気持ちが和らいだ。
 
怖いけど、やってみよう。自分一人ではとても出来なかったことに、この人がいるからチャレンジできるんだ。
 
夫は一度も仕事を辞めて悪かったと言わなかったし、オーストラリアに引っ越すことにも迷いを見せなかった。
 
結婚して13年、一緒に暮らして16年。彼が何かに夢中になっているのを見たことがなかった。いつも穏やかで安定しているのが有り難かったけど、反面、この人は何かを熱望することはないのか……と物足りなく思ってもいた。
 
ま、そういうアツいタイプの人と自分は上手くいかないだろうとも分かっていたけれど。
 
ところが、仕事を辞めて引っ越しの準備を着々と進めている彼は、とても意志的で生き生きしているのだった。
 
こんな顔するんだなあ…
 
彼がこういう人だということも、自分が一家で渡豪することになるなんてことも、全く思いもよらないことだった。
 
これが恋人との間の出来事だったら、私は不安から逃げるために別れていたかも知れない。そしたらこんな冒険、出来なかった。
 
家族は横着で小心な私を、どこかに無理矢理連れて行ってくれる。
誰かに巻き込まれてみるのもいいもんだ。
 
見たくなかった自分も、見られると思っていなかった風景も、こうして巻き込まれないと出会うことが出来なかった。
 
結婚してよかったと思う。
 
 

小島 慶子

タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族と暮らすオーストラリアと仕事のある日本を往復する生活。小説『わたしの神様』が文庫化。3人の働く女たち。人気者も、デキる女も、幸せママも、女であることすら、目指せば全部しんどくなる...

関連するキーワード

関連記事

Latest Article